本庄教会月報第20号をお届けします。
エンジェルストランペットの花がさらに二つ咲きました。琉球アサガオも頑張って花を咲かせています。環境に順応して生きる植物の逞しさに、学ぶことが多いように思います。
在 主
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本庄市見福にあるプロテスタント教会です
エンジェルストランペットの花がさらに二つ咲きました。琉球アサガオも頑張って花を咲かせています。環境に順応して生きる植物の逞しさに、学ぶことが多いように思います。
在 主
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2019年11月3日
永眠者記念礼拝より
説教者:疋田國磨呂 牧師
聖書箇所:詩編23編1〜6節、
ヨハネによる福音書14章1~7節
私たちの日本キリスト教団では、11月の第1日曜日は、キリスト教会に連なって信仰の生涯を終えて、神様の御許に召された兄弟姉妹を覚えて「永眠者記念礼拝」の日としております。本庄教会も、この日を「永眠者記念礼拝」として関係のご家族たちと共々に、本庄教会に連なって生涯を終えられた兄弟姉妹の方々を覚えて礼拝をささげています。
本庄教会の逝去者名簿には、1888年9月26日に神様の御許に召された新井志ゲ子姉妹を始めとして86名の兄弟姉妹の方々が覚えられています。
1888年は、この教会が設立された年で、10月20日を設立記念日としています。2週間前に設立131周年の礼拝をささげました。131年前に、神様の御許に召された姉妹を始めとする86名の方々が、キリストによる神様の恵みによって生きて、本庄教会で神様を礼拝して来たのであります。
今、本庄教会の会堂が建てられているこの場所は、元々はキリスト教会の墓地であったのです。この教会は、本庄駅の北側、前原の地に在り、友愛幼稚園をも運営していました。しかし、経営困難から幼稚園を閉園したことと、会堂の老朽化もあり、移転新築となったのです。そのために見福の教会墓地の未使用部分を集約し、地目変更をして、ここに会堂建築となったのです。1993年、26年前のことでした。
この教会墓地に関してですが、県の歴史に、1888(明治21)年8月、本庄メソジスト教会が寺院管理墓地への埋葬に際して寺院や檀家から妨害を受けたことが記されております。そこで、当時の本庄の町長が県知事に相談し、キリスト教徒たちのために墓地を提供することになり、本庄メソジスト教会に寄付されたのです。こういうことがあって、今、この墓地は、登記上は本庄教会名義になっていますが、本庄教会の外に、本庄旭教会、カトリック本庄教会の方々が葬られる墓地となっています。
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今朝も、皆様と共に聖書の御言葉から神様の恵みを聞きたいと思います。
詩編23編は、多くの信徒の方々に愛誦されている聖書個所であります。ここでは、神様と私たち信仰者との関係を、羊飼いと羊の関係にたとえて語られています。
1節、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」
「主」と言うのは神様のことです。神様は私の羊飼いなので、何も足りないものはなく、乏しいことはないということを、何も欠けることはないと言っているのです。何の心配もないということです。
2節、「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、」
羊飼いは、いつも羊たちを青草の茂っている野原に連れて行って草を食べさせ、休ませるのです。また、水のほとりに連れて行って、水を飲ませて憩わせるのです。神様は、この羊飼いのように十分な食べ物を備えて、私たちの心身を養い、憩わせてくださるお方なのです。
3節、「魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。」
口語訳聖書は「主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。」新しい訳も、他の翻訳も、口語訳のように一つの文となっています。羊は、方向音痴と言われています。どこに青草があるか分からないので、羊飼いは羊の群れを青草のある方向に導かねばなりません。神様は、羊飼いのように私の魂を生き返らせて、神様の御心に適った道に導いて下さるのです。
4節、「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。」
羊飼いは、いつも羊と共に一緒にいて、野獣が襲ってくると鞭を打って野獣を撃退し、進む道を誤ると杖で道を正すのです。神様は、羊飼いのように、私たちに敵が襲って来ても鞭で撃退し、私たちの歩む道が誤っていると杖で道を正してくれますから、私たちはたとえ死の危険のあるような所に行っても、災いを恐れないで歩むことができるのです。
私は7年前、腎臓癌が再発し、両方の肺にも癌が転移して、あと余命1年と宣告を受けました。癌の恐ろしさを痛感したのですが、神様を信じてすべてを神様の御手にゆだねました。教会員の多くの祈りもあって、良き医師と良き治療が与えられて、今なおこうして元気で皆様の前に生かされ、神様の御用に仕えているのです。余命1年の宣告を通して、この4節の御言葉の真実を味わうことができました。
5節、「わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。」
羊飼いは、羊を襲う野獣のいるようなどんな中でも、餌の青草を十分に食べられるように羊たちを守り、その食べ物を整えてくれるのです。神様は、羊飼いのように、私たちの敵の前であっても、私たちの食事を整えてくださり、客を迎える主人のようにオリーブ油を注いで食卓を満たしてくださるのです。この神様が共にいて下さることを信ずることができるならば、どんな状況にあっても、食卓が整えられ、満たされるのです。
イエス様は、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)と言われています。
6節、「命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。」この6節は結論です。生きている限り、神様の恵みと慈しみは、いつも私を追うように注がれるのです。わたしは生涯、神様の御許に帰り、住み続けます。と言うことです。
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詩編23編では、「主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろうと」と言われていますが、これは具体的にどのようなことでしょう。
「主の家」とは、神様の家です。神様は私たちの目には見えなく、天におられる方ですから、神様の家は天の家、天国の家なのです。その天国の家に帰って、生涯、そこにとどまるだろうと詩編では言っているのです。
私たちの世の中では、人間は死んだらすべてが終わりと考え、だから生きている間、好きなことをして生きれば良いのだと思って生きる人がいます。他方、人は死んだら地獄か天国に行くのだと考え、地獄に行かないようにと一生懸命に良い行いをしようと生きる人がいます。
聖書は、イエス・キリストを信じる者は、すべての罪が赦されて、復活して天の神様の御許におられるキリストが準備してくださった天の父の家、天国の家に行くことができると約束されています。それがヨハネによる福音書14章の1節~7節に言われていることなのです。
1~3節、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうしてわたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」
このように、イエス様ははっきりと約束して、「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」と言われています。このイエス様の約束を信じる者は、誰でもすべての罪が赦され、イエス様の準備された天国の家に住むことができるのです。
イエス様が「わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っている。」と言われたら、トマスは、「主よ、どこに行かれるのか、私には分かりません。どうして、その道を知ることができるのでしょうか。」と正直に問うています。
するとイエス様は答えられました。
6~7節「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
私たちの命の造り主である神様は、神様に背いて生きてきた人間が神様の天国の家に帰ることができるようにと、イエス様をクリスマスに誕生させました。イエス様の33年の生涯を通して神様の愛と神様の御心がどんなものであるかを私たち人間に示し、現わされたのです。そして、人間の罪が小羊の命を犠牲にして赦されたように(出エジプト12:5、13、レビ5:6)、神様はイエス様を十字架に犠牲の命として献げて、すべての人間の罪を赦す道を開かれたのです。
イエス様の十字架の死は、わたしの命を赦すためであったのだと信じて、イエス様を救い主キリストと信じる者は、誰でも、復活されたイエス様が準備して下さっている天国の家に入って、イエス様と一緒にいつまでも生きることができるのです。
クリスマスにお生まれになったイエス様こそ、神様を知り、天国の家に行くことのできる道なのです。永眠者記念礼拝に来られたご遺族の関係者の方々は、是非、このイエス様を信じて天国に備えられた家に行かれるようにお勧めし、神様のお導きをお祈りいたします。
このイエス様を通して神様の恵みと憐れみを味わうことのできる1週間となるようにお祈りいたします。
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天の父なる神様、
本庄教会に連なって信仰の道を歩み通し、天の国に備えられた家に帰られた兄弟姉妹を覚えて、御遺族関係者の皆様と共に永眠者記念礼拝を献げることのできることを感謝いたします。
どうか御遺族関係者の皆様が、イエス様の備えられた天国の父の家に、やがて帰ることができますようにお一人お一人を守り、導いて下さい。主イエス・キリストの御名にて祈ります。
アーメン。
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「巻頭言」、「編集後記」はホームページ上でご覧になれます。以下の項目をクリックすると各内容のページにとびます▼
**内容(全6ページ)**
◇巻頭言:説教『教会は、すべてを満たしている方のおられる場』疋田國磨呂 牧師
◇報告:「桐生教会長谷川直紀牧師就任式」、「本庄教会設立131周年記念礼拝」
◇9月度諸報告:集会平均出席者数報告/会計報告
◇編集後記
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**内容(全8ページ)**
◇巻頭言:説教『変わることのない神様の慈しみ』疋田義也 牧師
◇報告:「『恵老』の日礼拝」、「教会一日研修会」
◇8月度諸報告:集会平均出席者数報告/会計報告
◇編集後記
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**内容(全12ページ)**
◇巻頭言:山上の説教シリーズ(1)説教『平和わを造る人々は幸いである』疋田國磨呂 牧師
◇巻頭言:山上の説教シリーズ(2)説教『義に飢え渇く人々は、幸いである』疋田義也 牧師
◇巻頭言:山上の説教シリーズ(3)
説教『悲しむ人は幸いである』疋田勝子 牧師
◇報告:『緑のカーテンについて』
◇7月度諸報告:集会平均出席者数報告/会計報告
◇編集後記
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**内容(全10ページ)**
◇特集:『教会学校の現状について』
◇報告:『青年会・バーベキュー大会』
◇6月度諸報告:集会平均出席者数報告/会計報告
◇編集後記
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**内容(全10ページ)**
◇特集:「ヨナ書」講解(7)ヨナ書4章5~11節
◇報告:花の日訪問『花の日の訪問に参加して』、
『神の家族を実感して』
小島・上里地区集会の報告『家庭集会の喜び』
計 3件
◇5月度諸報告:集会平均出席者数報告/会計報告
◇編集後記
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**内容(全18ページ)**
◇巻頭言:2018年度標語の学び
説教「主よ、祈りを教えてください(3)」疋田國磨呂 牧師
◇特集:「ヨナ書」講解(7)ヨナ書4章1~4節
疋田義也 牧師
◇報告:「本庄がん哲学カフェ」発足
5月26日(日)礼拝後「ディボーションの分かち合い」
◇4月度諸報告:集会平均出席者数報告/会計報告
◇編集後記
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**内容(全10ページ)**
◇特集:「受難週祈祷会より」 兄三名の証し文
◇報告:受難週祈祷会
イースター(復活日)
納骨式(4/21)
その他 計 5件
◇3月度諸報告:集会平均出席者数報告/会計報告
◇編集後記
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**内容(全8ページ)**
◇巻頭言:2018年度標語の学び
説教「主よ、祈りを教えてください(2)」疋田國磨呂 牧師
◇特集:「ヨナ書」講解(6)
ヨナ書3章4~10節
疋田義也 牧師
◇報告:本庄がん哲学カフェ発足
「特別がん講演会」より
◇2月度諸報告:集会平均出席者数報告/会計報告
◇編集後記
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**内容(全8ページ)**
◇巻頭言:説教「主よ、祈りを教えてください」疋田國磨呂 牧師
◇特集:「ヨナ書」講解(5)ヨナ書3章1~3節
疋田義也 牧師
◇報告:「埼玉地区講壇交換より」/
写真で振り返る、川染三郎先生との懇談
◇1月度諸報告:集会平均出席者数報告/会計報告
◇編集後記
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**内容(全6ページ)**
◇特集:「ヨナ書」講解(4)
疋田義也 牧師
◇12月度諸報告:集会平均出席者数報告/会計報告
◇編集後記
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日本キリスト教団本庄教会
〒367-0044 埼玉県本庄市見福3-4-1 TEL 0495 (22) 2785
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10月は雨の日が多く、晴天率の高い本庄市も、記録的な雨量となりました。
被災地の方々に、主の支えと慰めとを祈ります。
在 主
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2019年10月20日
設立131周年記念礼拝より
説教者:疋田國磨呂 牧師
聖書箇所:詩編8章2〜10節、
エフェソの信徒への手紙1章15~23節
今朝は、本庄教会設立131周年を記念して礼拝を献げています。
記念すべき日に、K兄、K姉をこの群れの会員として迎えることができたことは大きな喜びであります。共に神の家族として励んでまいりたいと願っています。
今年の本庄教会の標語は「わたしたちは神の家族」であります。神の家族として、教会とは何なのかを御言葉に聞きたいと願います。
今日の説教題は「教会は、すべてを満たしておられる方のおられる場」と長いですね。なぜ、こんな長い説教題をつけたのかと言うと、この言葉が今日のメッセージを一言で言い表しているからです。
私たち神の家族が集う「教会とは、すべてを満たしている方の満ちておられる場」であるからです。「すべてを満たしておられる方」とは、イエス・キリストのことです。
神の御子・イエス様は、私たち人間と同じようにして生まれてくださり、私たちのために神様の御心と愛を教えてくださり、ついには十字架にかかって私たちの罪を赦すための小羊としてご自身を献げられ死なれました。しかし、3日目に復活され40日間弟子たちに現れて、天の神様の御許に行かれました。そして御自身に代わる助け主として聖霊を送ってくださったのです。
その復活されたキリスト・イエス様が、すべてを満たしておられる方として、この本庄教会の礼拝の場におられるのです。この目に見えない復活されたキリスト・イエス様を信じるのが私たちの信仰なのです。
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この手紙は、使徒パウロがローマの牢屋に捕らわれていた時、エフェソと小アジア(今のトルコに当たる地域)の諸教会に、回し読みしてもらうために書いた手紙だと言われています。前半の3章は、キリストによる救いの教えについて書かれております。後半の3章は、キリストを信じる者の生活の在り方について書かれています。
今、読んでいただいた聖書の個所の1章全体は次のような内容になります。
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一章の全体を見てみますと、パウロは、まず、三位一体の神様が教会に与えられた恵みを記しています。
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神様は、父なる神として、子なる神として、聖霊なる神として、三重の仕方で私たちの教会を祝福し、恵みを満たしてくださっているのです。
この3~14節の中に「父である神が、ほめたたえられますように」、「私たちがたたえるためです」、「神の栄光をたたえるためです」、「神の栄光をたたえることになるのです」と4回も神様をほめたたえることが記されています。
神様の祝福が私たちに注がれるのは、すべて、私たちが「神の栄光」をほめたたえるためなのです。ここに神の家族としての私たちの人生の究極的な目的があります。
私たち本庄教会も、神様の栄光をほめたたえることに、しっかりと焦点を合わせて歩んで行きたいと願います。
*
パウロは、教会の人々の心の目が開かれ、神様に招かれた者の望み、神様のものとされた信徒たちの受け継ぐべき栄光、偉大な働きをなさる神様の力を知ることができるようにと祈りました。
神様のことは神の聖霊の導きによる以外に知ることはできないのです。
「わたしたちには、神が〝霊〟によってそのことを明らかにしてくださいました。〝霊〟は一切のことを、神の深みさえも極めます。」(Ⅰコリント2:10、11)と言われています。〝霊〟は聖霊のことです。
私たちは、神様をより深く知るためには、「知恵と啓示の霊」を、即ち聖霊を与えてくださいと熱心に主に祈り、神様の深みを極めさせていただきましょう。
*
神さまの力は、キリストにおいて働かれたのです。
「キリストを死者の中から復活させ、天において御自身の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。」
復活されたキリストは、神様のあらゆる権威を受け、今の世ばかりではなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれて、すべてを御支配して下さっているのです。
神様は、そのキリストをすべてのものの上にある頭として教会に与えられたのです。
「すべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」と言われています。
ですから、私たちが礼拝を献げるこの教会の場に、復活されたキリストが御臨在し、私たちと出会ってくださるのです。
罪のために滅ぶべきものであった者が、キリストと出会い、キリストを信じた時に、神の子とされ、祝福と恵みに満たしてくださるのです。
教会は、すべてを満たしている方、復活のキリストのおられる場であることを信じましょう。
*
パウロは、第一コリントの手紙15章3節で、「最も大事なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。」と言っていることを、10月6日の礼拝で取り次ぎました。
この最も大事なこととは、次の3つのことです。
だから、私たち教会は、この二千年を越えて、クリスマス、イースター、ペンテコステの礼拝を大事に献げるのです。
皆さんご存知だと思いますが、この3つの礼拝は、毎年献げられますが、同じ日にちではないのです。
今日、転入されたK姉妹は、19**年のクリスマスに清水が丘教会で倉持芳雄牧師より洗礼を受けられました。私は、18歳の時、1961年のクリスマスに羽咋教会で杉山謙治牧師より洗礼を受けました。同じクリスマスの受洗ですが、K姉妹は、12月25日なのです。私は12月24日なのです。年によって主日クリスマス(クリスマスの週の日曜日)の日にちが違うのです。
このように、年ごとに迎えられるクリスマス礼拝、イースター礼拝、ペンテコステ礼拝ですが、日にちが違い、その一つ一つに多くの兄弟姉妹の信仰の歴史が刻みこまれているのです。おそらく、多くの兄弟姉妹たちは、こうした記念すべき礼拝で洗礼を授けられているのです。
K姉妹の受洗日が、19**年のクリスマスだったのですが、日にちを覚えていないと言うことなので、私の手元にある「大宮教会100年史」を見ると、19**年のクリスマスは12月25日だったと直ぐ分かったのです。
ですから、教会の歴史において、クリスマス礼拝、イースター礼拝、ペンテコステ礼拝が、いつ守られたかを記し、残すことが大切なことなのです。ペンテコステ礼拝はクリスマスやイースターに比べてあまり重んじられていない時期や教会がありましたが、最近は重んじる教会が増えてきました。本庄教会も、この三つの礼拝を大事に書き記していきたいと願います。
*
父なる神様、
本庄教会131年の歩みを導き守ってくださり、ありがとうございます。あなたは、すべてのものを満たしている方として御子イエス様を二千年前に誕生させ、すべてのものの上にある頭として、教会にお与えくださいました。
神様の力がキリスト・イエス様を通して働いておられることを、クリスマス、イースター、ペンテコステの祝日礼拝を通して確認し、その恵みに生かされている私たちです。
本庄教会131年の歩みも、神様の力と恵みを証し刻む歴史であることを覚えて心より感謝いたします。記念すべき日にK兄姉を本庄教会の会員としてお迎えできたことを感謝いたします。共に神の家族として神の栄光を現すことができますように祝福し導いて下さい。
イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
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2019年9月8日の説教より
説教者:疋田義也 牧師
聖書箇所:エレミヤ書31章1-14節、
ルカによる福音書15章11~32節
本日は、週報にも記載されています通り、本庄教会では恵老の日礼拝をお捧げしています。日本の国民の祝日として9月第3月曜日が敬老の日と定められています。この敬老の日に先立って、本庄教会でも「敬う」という漢字を「恵み」の漢字に置き換えて、老いの中でも神様からの恵みを数え、覚える日としています。ご年配の方々の祝福を願い、また健康が守り支えられますようにと祈りつつ、神様に礼拝を捧げるために、ここに共に集っています。
後ほど、礼拝式の中でも、80歳以上の教会員の方を対象に、祝福を祈る時を持ちます。疋田國磨呂牧師が祈りまた祝福カードをお渡しすることになっています。今日祝福をお受けになる方々が、これまで主イエス・キリストへの信仰を与えられ、主の愛と恵みのもとに、また教会の交わりのもとに、信仰の歩みをなされてきたことを覚え、神様に感謝をささげると共に、その方々の信仰の歩みの証を受けて、私たちお祝いをする側も、励ましと慰めを受け、共に主の愛に根差すものとして、信仰を受け継いでいきたいと思います。
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80歳という年齢を思うと、私は東京の三鷹にある、東京神学大学で神学生として学んでいた時のことを思い出します。私は、学生寮に入っていて、その学生寮から東京神学大学に通っていました。学生寮といっても、そこに住んでいる人たちは、全員、神学生ですから、神様から伝道者としての招き(召命)を受けて、献身して入学してきた神学生の方々です。学生といっても、もちろん高校を卒業してすぐ入学してくる方もいれば、一般大学を経て三年生から編入学してくる方、または社会人を経験してから社会人入学してくる方、又は仕事を引退してから入学される方もいます。
ですから、学生寮とはいっても、幅広い年齢の方々が、この寮に一緒に生活をしているのです。神学生の寮なので、将来、牧師として教会に仕えるために、その備えの神学の研鑽を積んでゆくのですが、礼拝を通じて信仰生活を整えることも大切です。この寮では、毎朝、朝の祈祷会があり、その祈祷会では、神学生が交代で聖書の箇所から奨励(つまり聖書からお勧めの話しをしたり、信仰の証し)をするということになっていました。
私が献身し、東京神学大学に入学したのは2009年のことで、丁度今から10年前のことでした。同じ年に献身をされて、東京神学大学に入学された方の中に、吉新緑(よしあら みどり)先生という方がいました。卒業後、牧師になられて、九州・大分の杵築教会にいらっしゃいます。今は一線を退いておられるようです。その吉新先生が、神学校に在学中、学生寮に住んでおられました。そして、ある朝、吉新先生が朝の祈祷会の奨励の担当となり、ご自身が神様からの招きを受けて、東京神学大学に入学されたことをについてお話しされました。そのお話しの中で、吉新先生は旧約聖書の出エジプト記から一箇所を読み、ご自身が東京神学大学に入学し、神学生として学んでおられることを振り返り、「これは私の出エジプトです!」とお話しされたのです。
これだけ聞くと、何のことか意味が分かりにくいかもしれません。実は吉新先生が東京神学大学に入学された時、既に75歳を迎えておられました。その日祈祷会で読まれた聖書は、確か出エジプト記の7章7節だったと思います。そこにはモーセが神様から選ばれて、エジプトのファラオからイスラエルの民を救うために遣わされたのが、モーセの80歳の時であったと書かれているのです。吉新先生は、まだ80歳にはなっておられなかったのですが、2年間神学校で学ばれた後、九州の杵築教会へと派遣されて行かれました。さらに、そこで何年間か伝道師としてお仕えになり、丁度80歳を迎えられた頃に、按手を受けて牧師となられたのです。吉新先生は、幼稚園の教諭として幼児教育に携わってこられ、長い間、神様からの伝道者としての招きがあったことを感じておられたのですが、あと少しで80歳を迎えられるという時に、キリストの福音を携えて、神様の招きに応えるものとされたのです。
吉新先生は、お体の健康は必ずしも万全ではなかったようですが、しかし、イエス・キリストの福音を全身で味わい、喜んで語られる吉新先生を見て、その場にいた私たち寮生は大きな励ましと慰めをいただきました。東京神学大学の学生寮は、当時まだエアコンが各部屋に付いていなく、ご高齢の方のお体には負担のかかる、厳しい環境でした。しかし、当時学長でいらした近藤勝彦先生の呼びかけによって、諸教会からの献金により、学生寮の各部屋にエアコンが配備され、夏の猛暑日を前に、環境が整っていったのでした。
80歳で牧師として派遣されることを目指された吉新先生は、ご自身の歩みを80歳のモーセに重ねておられました。まさにモーセは、生涯全体を神様に守り導かれていたことを証しする存在でした。生まれた時から神様に抱かれ、愛され、祝福され、幾度となく命を狙われつつも、神様に救い出され、80歳を迎えてから、神様からの救いの知らせを神の民に伝える者となるように整えられていったのです。そして、主なる神様はモーセに、「わたしはある」という神様ご自身のお名前をお伝えになり、常に神の民イスラエルと共に居て下さる神様であることを表してくださいました。モーセが「わたしはもともと弁が立つ方ではありません。わたしは口が重く、舌が重い者なのです」と断りますが、神様はモーセを助ける存在としてアロンという兄弟を遣わして下さいます。モーセも、またアロンも様々な課題を抱えていましたが、一つ一つを神様の憐みの中で赦され、神様の恵みを証して伝えるものとされていったのです。
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さて、本日、旧約聖書のエレミヤ書31章から共に御言葉に聞かせて頂きました。この時代の背景としては、イスラエルが南北に分かれており、北のイスラエル王国が既にアッシリア帝国によって滅ぼされ、今度は南のユダ王国のエルサレムがバビロニア帝国によって滅ぼされてしまい、イスラエルから祭司や指導者たちが捕囚としてバビロニアに連れ去られてしまっている状況にありました。こうした70年間にも渡った捕囚の苦しみを背景として、預言者エレミヤはバビロン捕囚からの解放とエルサレムへの帰還の日がくることを慰めの約束として伝えたのです。エレミヤ書は、その救いの恵みを代々に渡って伝えるために巻物に書き記された言葉でした。新共同訳聖書で「新しい契約」と表題が付されている31章の31節以下に有名な聖句があります。
「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日がくる…すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、『主を知れ』と言って、教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」(31:31、33-34)
神様ご自身が、生きて働かれる救い主として私たちを救い出し、私たちを赦して、神様との祝福された関係へと引き戻してくださると約束されているのです。神様からの裁きの中にあったと思われていたものが、神様の御前に心を開き、御前に悔い改めて、神様との新しい契約の関係の中に、新たな信仰の歩みへと向かわされて行くのです。しかし、これは、この救いの時に、また恵みの時に、神様ご自身の私たちへの姿勢が180度転換したということなのかというと、そういうことではないのです。
先程、エレミヤ書31章31節以下において語られている新しい契約の箇所をお読みしましたが、これに先立って、本日読まれた旧約聖書の箇所である、31章1節以下、特に3節には、決して変わることのない、主なる神様の慈しみが語られています。
「遠くから、主はわたしに現れた。わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ。」(エレミヤ31:3)
ここで「とこしえの愛」、そして「変わることなく慈しみを注ぐ」という言葉が出てきます。「慈しみ」(原典のヘブライ語では“ヘセド”)という言葉は、「誠実」と翻訳することもできます。ですから、一昔前の聖書翻訳である口語訳聖書では、新共同訳聖書で「変わることなく慈しみを注ぐ」となっていた3節が、「それゆえ、わたしは絶えずあなたに、真実をつくしてきた」と翻訳されています。絶えず、真実を尽くして、愛して下さる神様が、共に居て下さる恵みを指し示しているのです。
2節には、「荒野で恵みを受ける、イスラエルが安住の地に向かう時に」とあります。これはイスラエルが遠くバビロンからエルサレムへと戻ってくるということだけではありません。遠い昔に、モーセを遣わして、神の民イスラエルを、エジプトからカナンの地へと救い出し、導きだしてくださった神様の“変わることのない慈しみ”を、ここで思い起こしていると取ることもできるのです。
また10節には「諸国の民よ、主の言葉を聞け。遠くの島々に告げ知らせて言え。『イスラエルを散らした方は彼を集め、羊飼いが群れを守るように彼を守られる』」とあります。ここでは、神様が羊を養う牧者として語られています。これまで神様から遣わされて民に悔い改めを求めた預言者たちがいました。バビロン捕囚の苦しみとは、それらの預言者たちの言葉に耳を傾けなかったイスラエルに対する、神様の裁きであったことを受け止めています。しかし、その彼らを神様は罪の歩みから、迷い出た羊を探し出すかのように、神様の慈しみと愛のもとへと贖いだしてくださったのです。
神様はこの救いの恵みをエレミヤ31章14節以下でこのように語っておられます。
「彼らは喜び歌いながらシオンの丘に来て、主の恵みに向かって流れをなしてくる…その魂は潤う園のようになり、再び衰えることはない。そのとき、おとめは喜び祝って踊り、若者も老人も共に踊る。わたしは彼らの嘆きを喜びに変え、彼らを慰め、悲しみに代えて喜び祝わせる。」
神様の救いを頂くとき、そこには立場や世代を超えて変わらぬ愛を頂いた、私たちの方が、悲しみ嘆きから、喜びと希望に生きる者へと、変えられて行くということが語られているのです。
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さて、この贖いの恵みと救いは、罪から私たちを救い出す良き羊飼いとしてきて下さった、主イエス・キリストによって示されています。本日、新約聖書はルカによる福音書15章11節以下の「放蕩息子」のたとえを共に読みました。そしてこのたとえ話しは、イエス様が語られた「失われたものがみつかる」という三つのたとえの中の最後の話しとなっています。「見失った羊」のたとえ、「無くした銀貨」のたとえ、に続いて「放蕩息子」のたとえがイエス様によって語られているのです。この「失われたものがみつかる」というのは、ルカ15章7節にありますように、「…悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」、つまり罪の中に失われていたものが、神様によって見つけ出され、悔い改めへと導かれて救われることこそ、天におられる神様が一番望んでおられ、喜ばれることなのです。
この放蕩息子のたとえの中では、失われた存在というのは、まずは、二人の息子の弟の方のことです。最近では生前贈与ということが話題になっていますが、この弟の息子の方は、父親が生きているうちに、財産の分け前をもらい、遠い国で遊びほうけて財産を使い切ってしまうのでした。丁度その頃、飢饉がその地域を襲い、生活の糧に困り、苦しみの果てに我に返り、息子は父親のもとに戻ってくるのです。息子は心に決めていたのです。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」このようにして、息子と思われなくても良いから戻ろうと心に決めていたのです。
しかし、この放蕩を尽くした息子の覚悟や予想に反して、息子の父親は、遠く離れた所にいる息子を目にすると、父親の方から駆け寄ってきて、接吻し、「罪を犯しました」と罪を告白する息子を抱きしめて、彼にいちばんよい服と履物と指輪を与えたのです。さらに肥えた子牛を屠って、祝宴も開きました。「この息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」。「死んでいたのに生き返った」という言葉に、父親の喜びが最大限に表現されています。
このたとえ話では、無条件に息子を受け入れた父親が神様をあらわしていて、弟の息子が神様に罪を赦していただく私たち罪びとであることが、ルカ15章全体の流れから示されてきます。
以前、本庄教会で礼拝後に、このルカ15章11節以下の放蕩息子のたとえを共に読んで、そこから頂いた恵みを分かち合う、ディボーションの時を持ちました。ディボーションというのは、ある聖書の箇所を繰り返し読んで、祈りつつ、神様が示して下さる恵みを聞き取ることで、その恵みを互いに分かち合うことです。3つほどの小さなグループに分かれて行いましたが、そのやり取りの中で、ある方が、イエス様はこのお話しで、弟のことだけではなくて、兄の方も取り扱ってくださっているのではないかと語られていたのがとても印象に残っています。
罪の死の力の中に囚われていた罪びとが、イエス様の十字架の恵みによって贖われ救われるという体験は、無条件で全ての罪を赦されて受け入れられ、悔い改めた弟の体験によって語られた方が分かり易いかもしれません。ただ、兄の方はどうであったかと言われると、兄の方が救われることに関して、神様が全く無関心ということではないと思うのです。むしろ、「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに…」と父親に対する怒りと不満を爆発させているのです。父親である神様は、いつも共に、傍にいて下さるのですが、その喜びと恵み、また平安を味わっていない兄がここにいるのです。実際には近くにいるのに、しかし、心が遠く離れてしまっているのでした。
しかし、この兄が、弟は父親の財産を食いつぶしてきたのに…と憤っていると、父親は兄をこのようになだめるのでした。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。」またその後に、「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに生き返ったのだ。」と伝えたのです。弟が救いの体験をしたのをきっかけとして、父親は発見されたその弟を共に喜ぼうと兄にも招いているのです。実は、兄には救いが必要ではないのではなく、むしろ、弟の救いの喜びを通じて、兄も父なる神様のもとにあって、その神様によって絶えず支えられ、救われて歩んできたことを、知ることになるのです。
私たちは、イエス様がご自身の命を私たちのために十字架でお献げになられたことにより、罪を赦されています。またイエス様が十字架の死からよみがえってくださったことによって、私たち自身の体が地上の歩みを終えて死を迎える時にも、主と共に甦りの命・復活の命を与えられていることを信じ歩む恵みが与えられています。このイエス様の救いの恵みに対する私たちの信仰の歩み、応答の歩みは様々です。冒頭の、吉新緑先生は、神学校に入学し、牧師として神様に仕える歩みによって応答しました。私たちも、それぞれの生活の場にあって、神様に赦され、支えられ、祝福されて、生かされているものとして、それぞれの仕方で、神様と共に歩む喜びを輝かせ、分かち合っていきたいと思います。
最後に、今日のエレミヤ書31章2節から3節までを、リビングバイブルの訳でお読みします。
「昔わたしが荒野で、エジプトから逃げて来た、イスラエル人をあわれみ、休息を与えた時のように、彼らをいたわり、愛を注ぐ。それは、かつてイスラエルにこう言ったからだ。わたしの民よ。わたしは永遠の愛をもってあなたを愛してきた。あわれみの綱で、あなたを引き寄せてきた。」
「変わることのない慈しみを注いだ」という所が、「あわれみの綱で、あなたを引き寄せてきた」となっています。神様がいつも私たちを愛してくださっていたことが、イエス様の十字架の贖いの救いによって明らかにされました。神様がその御手によって私たちをつかみ、その愛を見失わないようにと、絶えず導いてくださいます。この神様の誠実な愛に感謝したいと思います。
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天の父なる神様、
本日は、恵老祝福を覚えて礼拝をお捧げしました。祝福を受けられる8名の方々が、この一年も神様によって信仰と健康を守られますようにお祈りいたします。
これまで、あなたは愛の御手で私たちをかたち造り、導いて下さいました。しかし、時として困難や苦しみの故にあなたを見失い、あなたに背く歩みがあったことをここに悔い改めます。
放蕩息子の弟を、走り寄り受け入れた父親のように、またその寛大な対応を妬んで怒る兄に「子よ。おまえはいつも一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」とさとした父親のように、あなたは御子キリストの十字架の贖いのもとに、私たちを赦し受け入れてくださいます。この変わらぬ慈しみと平安のもとに、私たちの信仰の歩みがあることに感謝します。
「あわれみの綱で、あなたを引き寄せてきた」とあるように、絶えず私たちをキリストの命の光へと導かれる主の愛に信頼し、祈りと感謝をもって、今週も歩むことができますように。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン
*
後日、教団新報にて吉新緑先生が2019年8月27日に召されていたことを知りました。ご遺族と関係の教会の方々の上に主の平安と慰めをお祈りいたします。
今年の研修会の主題は、「賜物を活かしあう教会」でした。
9月15日(日)礼拝後、教会ホールで「教会一日研修会」がもたれました。21名の参加で講義を受け、その後3つのグループに分かれて話し合いをしました。会は、讃美歌289「みどりもふかき」を讃美して始まりました。國磨呂牧師は講義の中で、聖書に基づき賜物とは何かを明らかにしてくださいました。
その後、それぞれが「賜物を見分けるチェックリスト」の、A~Gの7項目に割り振られた84の設問に取組みました。戸惑いながら、4段階(3・2・1・0)の判定で点数化していきます。それを項目ごとに集計すると、A「教える」、B「指導」、C「預言」、D「慈善」、E「勧める」、F「奉仕」、G「施し」の7つの賜物の内、どこに自分の特性があるか(どこが高い点数になるか)が示されてきます。
それをもとにグループでの協議に移り、各自に与えられた賜物を具体的にどう活かすか、話し合いました。最後にグループごとに報告をし合って会を閉じました。
以下にグループごとの報告の概要を記します。
グループA
・「教える」、「奉仕」の賜物の傾向がある方が多かったが、「慈善」と「預言」の賜物を持つ方もいた。
・具体的に何ができるかを考えた時、「慈善」が難しかった。「教える」については、「子どもたちを教会に招くアピールをするために」何ができるかとの視点が多かった。
・身近なところから、「花壇や墓地の整備」、「お休みされている方のために祈る」、「教会でのこと、神様からいただいた愛を周りの方にお話しする」等の意見もあった。
・歌う喜びや賜物という点で、「讃美歌を歌う会」を作ったり、礼拝後の交わりの時間にヒムプレーヤー(讃美歌が収録された機械)を使って新しい讃美歌の練習を始めたらどうかとの提案もあった。
グループB
・点数の高かった「賜物」について、その結果に納得のいく人が多かった。
・自分の賜物をこれからどう生かしていくかについては、「教会学校等で若い人たちの育成をしていきたい」、「子どもたちやそのお母さん方の話を聞いていきたい」、「自分の子どもに信仰をのべ伝えていきたい」、といった次の世代への信仰の継承への願いが多く聞かれた。
・「今、精一杯やっているが、体がなかなかついていかない」といった意見もあったが、周りの人々は大いに励まされている面があり、無理をせず喜びをもって賜物を活かしていくことが大切と思われた。
グループC
・奉仕の賜物が高い人が多かった。
・接点を求めて、高齢者、新来会者、教会を離れている方等に訪問・連絡ができるようにしていきたい。
・今、何が求められているかに敏感になり、応えられるようにしたい。
・「子育てカフェ」、「子ども食堂」なども教会の業として取り組めるとよいのではないかという意見もあった。
9月8日(日)は、「恵老」の日礼拝を守りました。本庄教会では、高齢化の中にある教会が「老い」を神の「恵み」として受け止め、主にある希望を分かち合う教会でありたいとの願いから、2006年度の臨時教会総会で決議し、2007年9月16日(日)の礼拝からこの表現を用いています。
今年も80歳以上の方を覚えて、礼拝の中で疋田國磨呂牧師が「敬老の日の祝福」の祈りをささげ、礼拝に出席されたお一人お一人にお祝いのカードを手渡されました。
一人ひとりの賜物は異なりますが、互いに補い合い、支え合って、また助け合いながら神様の恵みとして与えられた各自の賜物を、感謝をもって“活かしあう”教会の群れでありたいと願います。
在 主
2019年8月18日の説教から
説教者:疋田勝子 牧師
聖書箇所:創世記27章28〜36節、
マタイによる福音書5章4節
私たちの長い人生の中では、誰もが悲しみを味わっていると思います。その悲しみも、深い悲しみや、ちょっとした悲しみもあるでしょう。また、その悲しむ期間も、長い期間の悲しみや、短いちょっとした悲しみもあるでしょう。
私自身も今までの歩みの中で長い期間の悲しみがありました。それは、若い時に受験に失敗したのがとても深い悲しみでした。しかし、後で分かったことは、その失敗で別の道を歩んだことは、神様の導きであったと知らされたのです。こういうことは皆さんも体験されていることと思います。
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さて、今朝、与えられています「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。」との主の御言葉に共に聞きたいと思います。
「幸いである」との祝福の言葉は、5章~7章の説教の冒頭に当たります。このイエス様の説教は、山に登って語られたので、「山上の説教」と言われています。
「山上」は、旧約聖書以来、神様の啓示の場所でした。モーセもエリヤもシナイ山(ホレブ山)で神様からの言葉を受けました。詩編121編1節にも「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ」と記されています。
新約聖書においても、「イエスの姿が変わる」(マタイ17:1~13)時に、イエス様はペトロ、ヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に登られたと記されています。
さて次に、この山上の説教は誰に対して何のために語られたのでしょうか。それは、イエス様の行動を最初から順に追って見るとよく分かります。
イエス様は、マタイによる福音書では、3章に、洗礼者ヨハネからバプテスマを受けました。4章に、公生涯に入られる前に、悪魔の誘惑を受けて、準備しました。そして、ガリラヤで伝道を開始され、「悔い改めよ。天の国は近づいた」(4・17)と言って、宣べ伝え始められました。その後、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(4・19)と言われて、ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの4人の漁師を弟子にしました。
そして、今朝の5章に入ります。イエス様は、大勢の群衆見て、山に登られ、腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄ってきました。そこでイエス様は口を開いて「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。」と教えられたのです。3節~13節まで、「幸いである」と言う祝福の言葉が9回も繰り返されます。
山上の説教は、直接的には「弟子たち」に対して語られています。それゆえに、これはイエス様に従おうと決意したものに与えられた道であるのです。
しかし、それは、決して弟子たちにだけ言っているのではなく、イエス様は「群衆を見て」とありますから、イエス様に従おうとする弟子たちと群衆の両方に語っておられるのです。
4章17節の「悔い改めよ。天の国は近づいた。」との神の国の福音は、12弟子だけのものではなく、世界中の人々に向かって証ししなければならないものなのです。山上の説教を世界中に向かって宣べ伝えるのには協力者が必要なのです。
そのために、まずイエス様は地上の諸会堂で教えられ、病人をいやされ、そして山に登られて協力者になる弟子たちに、山上の説教を教えられ、すべての民に教え、弟子とするように示されたのです。
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次に3つの語句、「幸い」「悲しむ」「慰められる」について簡単に述べます。
(1)「幸い」について
「幸い」は、ギリシア語でマカリオスと言って、「最高度の幸福と幸福感」を示します。
人間として生まれた誰もは、幸福な人生を送りたいと思うわけです。そこから、どのようにしたら幸福に人生を築き、送ることができるかを追求し、多くの教訓などが語られて来ました。
旧約聖書では、どのように語られているでしょうか。
まず、詩編1編1~3節をご覧ください。
「いかに幸いなことか。神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。
その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」
この場合、幸いとは、神様のおきてを守る者や神様に罪赦された者の幸いと言うように、神様との交わりがもたらす幸いに力点が置かれていることが特徴です。
マカリオスはギリシア語的な「幸福」を意味しますが、へブル語的に、神様から与えられた「祝福」「救いの喜び」を表します。「祝福」は「幸福」を含むものですが、神様との人格的な深い交わりにおける喜びを軸としています。「幸い」とは、単なる幸福追求に生きるのではなく、神様との交わりに従って生きる時に、神様から与えられる賜物、それが幸いなのです。
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)と言われている通りです。
すなわち、これは追求される幸いではなく、神様との交わりの中で与えられる幸いなのです。山上の説教の祝福は、そのような性質のものであります。
(2)「悲しむ」について
「悲しむ」は、ギリシア語でペンセオーと言って、ギリシア語の中で悲しさを表す一番強い言葉です。これは愛する者の死を狂わんばかりに悼み嘆く場合に用いられます。
「70人訳聖書」と言うギリシア語訳旧約聖書の創世記37章34節で、この「悲しむ(ペンセオー)」と言う語は、息子ヨセフが死んだと思ってヤコブの嘆き悲しんだ時に使われています。この悲しみは、人の心に食い入ってどうにも隠すことができない悲しみです。心に痛みを感じて、押さえても押さえても涙が出るような悲しみなのです。
(3)「慰められる」について
「慰め」は、神様から与えられるすばらしい恵みであります。この「慰め」をいただくためには、悲しんでいることも恵みであります。悲しんでいない人は、どうして慰めを受けることができるでしょうか。
この慰めは、ただ単に悲しみがいやされると言う意味ではありません。これは、神様から与えられる素晴らしい恵みの賜物なのです。この恵みの賜物は、悲しんでいる人にだけ与えられるものです。今、慰めていただけるので幸いなのです。
この慰めを下さるお方は、十字架と言う苦難を通して人々の悲しみを知っておられる慰め主であります。このお方のもとに真の慰めの道があります。私たちの悲しみは、イエス・キリストを仰がせる道となるからこそ、悲しみも恵みであるのです。
へブライ人への手紙に「この大祭司は。わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」(4:15~16)と勧められています。以上で、語句の説明は終わります。
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さて、イエス様が言われた「悲しむ人々は、幸いである。その人は慰められる。」と言う御言葉を3つの点で述べます。
(1)そのままの解釈
この御言葉は、人生の最大の悲しみに耐え抜いた人は幸いであると言うことであります。それは、悲しんで見て初めて体験できるものがあります。
ある夫婦の話です。御主人は、大変傲慢な亭主関白でした。奥さんは、勤めていて、働きながら子どもを育て、何から何まで一人でしなければなりませんでした。御主人は、怒りっぽくて、人前でも奥様を怒鳴り、恥ずかしい思いをしていました。たいへん悲しく心の中ではいつも泣いていました。
ところが、その御主人が癌になりました。御主人は病気で苦しみ、悲しみ、病気になってみて初めて、奥さんのありがたみが分かって来ました。何にもまして、励ましてくれる人々の情けや奥さんの日頃の苦労が分かったのです。更にまた、神様の憐れみと慰めが分かって来ました。病気によってクリスチャンであった御主人の信仰が成熟してきたのです。
順境にある間は何年たっても、物事の表面しか知ることができませんが、悲しみに遭って、人の心の温もりや優しさ、更には神様の慰めが分かって来るのです。
(2)悲しむ隣人を助ける人の幸い
ある人は、この世の悲しむ人、苦しむ人に対して親身になって助ける人は幸いであると解釈しています。
このことで、すぐに頭に浮かぶのはマザー・テレサのような働きであります。あのような大きな働きができなくても、私たちキリスト者は、イエス様から大きな愛をいただき、また、兄弟姉妹のお互いの愛をいただいて味わっていますので、周りに悲しんでいる人、苦しんでいる人がいるならば何とか助けてあげたいと思うのではないでしょうか。いや、自分が助けているようですが、本当は、その相手を通して自分が励まされ助けられている体験をします。このことが互いに慰められると言うことになるのです。病人の方をお見舞いに行って、かえってこちらの方が、励まされ、力をいただくと言うことがよくあります。
教会生活の中で体験したことですが、あるとても上品な言葉を使うホームレスの人が、時々来ました。東京都の役所に勤めていた人で、家庭も、病気がきっかけで家族がバラバラになったそうです。70歳代の方、Kさんと呼ばれていました。
よく水曜日夜の求道者会にやってきました。生活保護を受けると良いと思い問い合わせましたが、住所不定者は受けられません。山谷の教会にも行っていましたが、山谷にも縄張りがあってなかなか仲間に入れなく、苦労しているのだと言っていました。
ある時、Kさんから大宮駅に来ているとの電話があり、急いで行ってみたら、体全体が黄色で、かなり重症の黄疸の状態で、やっと会いに来て下さいました。それが最後となりました。
とうとう生活保護を受けられないまま、また信仰にも導けないで申し訳なく思いました。しかし、私は、Kさんの生活保護の問題をきっかけに、社会人入学によって明治学院大学二部で社会福祉を勉強する機会を得ました。青年会の皆さんもKさんと交わることができ、Kさんの別れた子供を思う思いを聞いて、一人の青年が受洗を決意することができたのです。
ここで教えられたことは、他人の苦しみ、悲しみに対して思いやりを持てる人は幸いであると言うことでした。
この点で、もう一つ思うことがあります。それは、イエス様が十字架を背負って刑場に向かって行く時、キレネ人シモンが代わりに十字架を背負わされたことです。そこに民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成してイエス様に従いました。その時イエス様は婦人たちの方を振り向いて言われました。「わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。」と言われています(ルカ23:26~28)。
私たちは、こうして日曜日に教会に来て礼拝をささげています。そして、救いの恵みをいただいています。この恵みを思うと、まだ救われていない家族のことを悲しみ、救われていない友人や近所の人たちのことを覚えて悲しみ、真剣に祈りつつ、伝道をして行くことの大切さを思います。
(3)自分自身のことに悲しむ人
最後に、聖書が一番言いたいことかと思います。「自分の罪と自分の力のなさに悲しむ者は幸いである」と言うことです。
イエス様が、伝道の最初に言われたことは「悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)でした。
自分の罪に悲しまなければ、悔い改めることはできないのです。十字架を仰ぎ見る時、私たちは自分の罪を告白せざるを得ないのです。
親子で言い争うことがあります。子供は、自分の気持ちを必死になって言います。〝少しわがままだ〟と思ったりします。そして、そのことが通らないと、親は分かってくれないと思って、子供はそれなりに悲しむのです。わがままで、自分勝手であると子供自身も知っているのに、どうにもならない子供なりの悲しみがあるのです。夫婦喧嘩なども、こういうことがあります。
確かに、自分はわがままなことを言っているし、自分勝手なことを言っているが、しかし、自分の気持ちを分かってもらえない悲しみがあります。
人にはいろいろな悲しみがあると言うことです。だからイエス様は「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。」と言っておられるのです。
この御言葉は、たとえ、自分がわがままで、自分勝手からくる悲しみであるにもかかわらず「幸いである。その人たちは慰められる」と言われるのでしょうか。
それは、その通りなのです。どんな種類の悲しみでも、イエス様はご存知であります。ただ主イエス様のもとに来さえすれば、その時、その時、その内容によって悔い改めさせられ、修正され、慰められて、幸いを与えられるのです。
悲しみには、涙がつきものです。しかし、日本人という国民性は、悲しくても泣き顔を見せたら恥ずかしいことだから、と言って教育されてきました。だから、泣きたいのに泣かないで我慢してきました。
しかし、泣きたいのに泣かないで我慢していると自分が見えてこないのです。悲しい時は、我慢しないで泣くことです。
イエス様も、涙を流されました。それはラザロの死に際して、マルタとマリアの訴えに、共に涙を流して悲しんでくださいました。私たちは、ありのままの姿で主イエス様の御前に、自分の悲しみを訴える時、慰められるのです。詩編にも「泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。」(30:6)とあります。
私たち人間は、自己中心の塊のようなもので、この罪は大変根深いものです。使徒パウロさえ、次のように告白しています。
「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、私の中に住んでいる罪なのです。・・わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」(ローマ7:19~24)・
パウロのように、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」と、へりくだって自分自身の罪を悲しむ者は本当に幸いであり、主の慰めをいただくことができるのです。
以上の主の慰めは、この世の何をもっても変えることのできない主よりの賜物であるのです。そして何と言っても、この地上での私たちの悲しみ、苦しみは希望であります。それは主の再臨の時に与えられる恵みです。最後に黙示録21章3~4節を読んで終わります。
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天の父なる神様、
私たちの人生にはなぜこのような悲しみがあるのかと苦しむような様々な悲しみがあります。
今日は、イエス様から「悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。」との御言葉の深い意味を示され感謝します。
自分の罪と力のなさに悲しむ者を、いつもイエス様は共にいて赦し、慰めてくださることを感謝いたします。この恵みによって悲しむ隣人の傍らに立って主の慰めを共にする者としてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。