月報『マラナタ』18号巻頭言

説教:
わることのないかみさまいつくしみ』

2019年9月8日の説教より

せっきょうしゃひきよし 牧師ぼくし
せいしょしょ:エレミヤしょ31しょう1-14せつ
ルカによるふくいんしょ15しょう11~32せつ

19.9maranatha 義也牧師

1、「恵老けいろうの日」を覚えて

 本日は、週報にも記載されています通り、本庄教会では恵老の日礼拝をお捧げしています。日本の国民の祝日として9月第3月曜日が敬老の日と定められています。この敬老の日に先立って、本庄教会でも「敬う」という漢字を「恵み」の漢字に置き換えて、老いの中でも神様からの恵みを数え、覚える日としています。ご年配の方々の祝福を願い、また健康が守り支えられますようにと祈りつつ、神様に礼拝を捧げるために、ここに共に集っています。

 後ほど、礼拝式の中でも、80歳以上の教会員の方を対象に、祝福を祈る時を持ちます。疋田國磨呂牧師が祈りまた祝福カードをお渡しすることになっています。今日祝福をお受けになる方々が、これまで主イエス・キリストへの信仰を与えられ、主の愛と恵みのもとに、また教会の交わりのもとに、信仰の歩みをなされてきたことを覚え、神様に感謝をささげると共に、その方々の信仰の歩みの証を受けて、私たちお祝いをする側も、励ましと慰めを受け、共に主の愛に根差すものとして、信仰を受け継いでいきたいと思います。

2、神学校の寮で

 80歳という年齢を思うと、私は東京の三鷹にある、東京神学大学で神学生として学んでいた時のことを思い出します。私は、学生寮に入っていて、その学生寮から東京神学大学に通っていました。学生寮といっても、そこに住んでいる人たちは、全員、神学生ですから、神様から伝道者としての招き(召命)を受けて、献身して入学してきた神学生の方々です。学生といっても、もちろん高校を卒業してすぐ入学してくる方もいれば、一般大学を経て三年生から編入学してくる方、または社会人を経験してから社会人入学してくる方、又は仕事を引退してから入学される方もいます。

 ですから、学生寮とはいっても、幅広い年齢の方々が、この寮に一緒に生活をしているのです。神学生の寮なので、将来、牧師として教会に仕えるために、その備えの神学の研鑽を積んでゆくのですが、礼拝を通じて信仰生活を整えることも大切です。この寮では、毎朝、朝の祈祷会があり、その祈祷会では、神学生が交代で聖書の箇所から奨励(つまり聖書からお勧めの話しをしたり、信仰の証し)をするということになっていました。

 私が献身し、東京神学大学に入学したのは2009年のことで、丁度今から10年前のことでした。同じ年に献身をされて、東京神学大学に入学された方の中に、吉新緑(よしあら みどり)先生という方がいました。卒業後、牧師になられて、九州・大分の杵築教会にいらっしゃいます。今は一線を退いておられるようです。その吉新先生が、神学校に在学中、学生寮に住んでおられました。そして、ある朝、吉新先生が朝の祈祷会の奨励の担当となり、ご自身が神様からの招きを受けて、東京神学大学に入学されたことをについてお話しされました。そのお話しの中で、吉新先生は旧約聖書の出エジプト記から一箇所を読み、ご自身が東京神学大学に入学し、神学生として学んでおられることを振り返り、「これは私の出エジプトです!」とお話しされたのです。

 これだけ聞くと、何のことか意味が分かりにくいかもしれません。実は吉新先生が東京神学大学に入学された時、既に75歳を迎えておられました。その日祈祷会で読まれた聖書は、確か出エジプト記の7章7節だったと思います。そこにはモーセが神様から選ばれて、エジプトのファラオからイスラエルの民を救うために遣わされたのが、モーセの80歳の時であったと書かれているのです。吉新先生は、まだ80歳にはなっておられなかったのですが、2年間神学校で学ばれた後、九州の杵築教会へと派遣されて行かれました。さらに、そこで何年間か伝道師としてお仕えになり、丁度80歳を迎えられた頃に、按手を受けて牧師となられたのです。吉新先生は、幼稚園の教諭として幼児教育に携わってこられ、長い間、神様からの伝道者としての招きがあったことを感じておられたのですが、あと少しで80歳を迎えられるという時に、キリストの福音を携えて、神様の招きに応えるものとされたのです。

 吉新先生は、お体の健康は必ずしも万全ではなかったようですが、しかし、イエス・キリストの福音を全身で味わい、喜んで語られる吉新先生を見て、その場にいた私たち寮生は大きな励ましと慰めをいただきました。東京神学大学の学生寮は、当時まだエアコンが各部屋に付いていなく、ご高齢の方のお体には負担のかかる、厳しい環境でした。しかし、当時学長でいらした近藤勝彦先生の呼びかけによって、諸教会からの献金により、学生寮の各部屋にエアコンが配備され、夏の猛暑日を前に、環境が整っていったのでした。
 
 80歳で牧師として派遣されることを目指された吉新先生は、ご自身の歩みを80歳のモーセに重ねておられました。まさにモーセは、生涯全体を神様に守り導かれていたことを証しする存在でした。生まれた時から神様に抱かれ、愛され、祝福され、幾度となく命を狙われつつも、神様に救い出され、80歳を迎えてから、神様からの救いの知らせを神の民に伝える者となるように整えられていったのです。そして、主なる神様はモーセに、「わたしはある」という神様ご自身のお名前をお伝えになり、常に神の民イスラエルと共に居て下さる神様であることを表してくださいました。モーセが「わたしはもともと弁が立つ方ではありません。わたしは口が重く、舌が重い者なのです」と断りますが、神様はモーセを助ける存在としてアロンという兄弟を遣わして下さいます。モーセも、またアロンも様々な課題を抱えていましたが、一つ一つを神様の憐みの中で赦され、神様の恵みを証して伝えるものとされていったのです。

3、変わることのない神の慈しみ

 さて、本日、旧約聖書のエレミヤ書31章から共に御言葉に聞かせて頂きました。この時代の背景としては、イスラエルが南北に分かれており、北のイスラエル王国が既にアッシリア帝国によって滅ぼされ、今度は南のユダ王国のエルサレムがバビロニア帝国によって滅ぼされてしまい、イスラエルから祭司や指導者たちが捕囚としてバビロニアに連れ去られてしまっている状況にありました。こうした70年間にも渡った捕囚の苦しみを背景として、預言者エレミヤはバビロン捕囚からの解放とエルサレムへの帰還の日がくることを慰めの約束として伝えたのです。エレミヤ書は、その救いの恵みを代々に渡って伝えるために巻物に書き記された言葉でした。新共同訳聖書で「新しい契約」と表題が付されている31章の31節以下に有名な聖句があります。

 「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日がくる…すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、『主を知れ』と言って、教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」(31:31、33-34)

 神様ご自身が、生きて働かれる救い主として私たちを救い出し、私たちを赦して、神様との祝福された関係へと引き戻してくださると約束されているのです。神様からの裁きの中にあったと思われていたものが、神様の御前に心を開き、御前に悔い改めて、神様との新しい契約の関係の中に、新たな信仰の歩みへと向かわされて行くのです。しかし、これは、この救いの時に、また恵みの時に、神様ご自身の私たちへの姿勢が180度転換したということなのかというと、そういうことではないのです。

 先程、エレミヤ書31章31節以下において語られている新しい契約の箇所をお読みしましたが、これに先立って、本日読まれた旧約聖書の箇所である、31章1節以下、特に3節には、決して変わることのない、主なる神様の慈しみが語られています。
「遠くから、主はわたしに現れた。わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ。」(エレミヤ31:3)

 ここで「とこしえの愛」、そして「変わることなく慈しみを注ぐ」という言葉が出てきます。「慈しみ」(原典のヘブライ語では“ヘセド”)という言葉は、「誠実」と翻訳することもできます。ですから、一昔前の聖書翻訳である口語訳聖書では、新共同訳聖書で「変わることなく慈しみを注ぐ」となっていた3節が、「それゆえ、わたしは絶えずあなたに、真実をつくしてきた」と翻訳されています。絶えず、真実を尽くして、愛して下さる神様が、共に居て下さる恵みを指し示しているのです。

 2節には、「荒野で恵みを受ける、イスラエルが安住の地に向かう時に」とあります。これはイスラエルが遠くバビロンからエルサレムへと戻ってくるということだけではありません。遠い昔に、モーセを遣わして、神の民イスラエルを、エジプトからカナンの地へと救い出し、導きだしてくださった神様の“変わることのない慈しみ”を、ここで思い起こしていると取ることもできるのです。

 また10節には「諸国の民よ、主の言葉を聞け。遠くの島々に告げ知らせて言え。『イスラエルを散らした方は彼を集め、羊飼いが群れを守るように彼を守られる』」とあります。ここでは、神様が羊を養う牧者として語られています。これまで神様から遣わされて民に悔い改めを求めた預言者たちがいました。バビロン捕囚の苦しみとは、それらの預言者たちの言葉に耳を傾けなかったイスラエルに対する、神様の裁きであったことを受け止めています。しかし、その彼らを神様は罪の歩みから、迷い出た羊を探し出すかのように、神様の慈しみと愛のもとへと贖いだしてくださったのです。

 神様はこの救いの恵みをエレミヤ31章14節以下でこのように語っておられます。
「彼らは喜び歌いながらシオンの丘に来て、主の恵みに向かって流れをなしてくる…その魂は潤う園のようになり、再び衰えることはない。そのとき、おとめは喜び祝って踊り、若者も老人も共に踊る。わたしは彼らの嘆きを喜びに変え、彼らを慰め、悲しみに代えて喜び祝わせる。」

 神様の救いを頂くとき、そこには立場や世代を超えて変わらぬ愛を頂いた、私たちの方が、悲しみ嘆きから、喜びと希望に生きる者へと、変えられて行くということが語られているのです。

4、天にある大きな喜び

 さて、この贖いの恵みと救いは、罪から私たちを救い出す良き羊飼いとしてきて下さった、主イエス・キリストによって示されています。本日、新約聖書はルカによる福音書15章11節以下の「放蕩息子」のたとえを共に読みました。そしてこのたとえ話しは、イエス様が語られた「失われたものがみつかる」という三つのたとえの中の最後の話しとなっています。「見失った羊」のたとえ、「無くした銀貨」のたとえ、に続いて「放蕩息子」のたとえがイエス様によって語られているのです。この「失われたものがみつかる」というのは、ルカ15章7節にありますように、「…悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」、つまり罪の中に失われていたものが、神様によって見つけ出され、悔い改めへと導かれて救われることこそ、天におられる神様が一番望んでおられ、喜ばれることなのです。

 この放蕩息子のたとえの中では、失われた存在というのは、まずは、二人の息子の弟の方のことです。最近では生前贈与ということが話題になっていますが、この弟の息子の方は、父親が生きているうちに、財産の分け前をもらい、遠い国で遊びほうけて財産を使い切ってしまうのでした。丁度その頃、飢饉がその地域を襲い、生活の糧に困り、苦しみの果てに我に返り、息子は父親のもとに戻ってくるのです。息子は心に決めていたのです。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」このようにして、息子と思われなくても良いから戻ろうと心に決めていたのです。

 しかし、この放蕩を尽くした息子の覚悟や予想に反して、息子の父親は、遠く離れた所にいる息子を目にすると、父親の方から駆け寄ってきて、接吻し、「罪を犯しました」と罪を告白する息子を抱きしめて、彼にいちばんよい服と履物と指輪を与えたのです。さらに肥えた子牛を屠って、祝宴も開きました。「この息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」。「死んでいたのに生き返った」という言葉に、父親の喜びが最大限に表現されています。

 このたとえ話では、無条件に息子を受け入れた父親が神様をあらわしていて、弟の息子が神様に罪を赦していただく私たち罪びとであることが、ルカ15章全体の流れから示されてきます。

 以前、本庄教会で礼拝後に、このルカ15章11節以下の放蕩息子のたとえを共に読んで、そこから頂いた恵みを分かち合う、ディボーションの時を持ちました。ディボーションというのは、ある聖書の箇所を繰り返し読んで、祈りつつ、神様が示して下さる恵みを聞き取ることで、その恵みを互いに分かち合うことです。3つほどの小さなグループに分かれて行いましたが、そのやり取りの中で、ある方が、イエス様はこのお話しで、弟のことだけではなくて、兄の方も取り扱ってくださっているのではないかと語られていたのがとても印象に残っています。

 罪の死の力の中に囚われていた罪びとが、イエス様の十字架の恵みによって贖われ救われるという体験は、無条件で全ての罪を赦されて受け入れられ、悔い改めた弟の体験によって語られた方が分かり易いかもしれません。ただ、兄の方はどうであったかと言われると、兄の方が救われることに関して、神様が全く無関心ということではないと思うのです。むしろ、「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに…」と父親に対する怒りと不満を爆発させているのです。父親である神様は、いつも共に、傍にいて下さるのですが、その喜びと恵み、また平安を味わっていない兄がここにいるのです。実際には近くにいるのに、しかし、心が遠く離れてしまっているのでした。

 しかし、この兄が、弟は父親の財産を食いつぶしてきたのに…と憤っていると、父親は兄をこのようになだめるのでした。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。」またその後に、「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに生き返ったのだ。」と伝えたのです。弟が救いの体験をしたのをきっかけとして、父親は発見されたその弟を共に喜ぼうと兄にも招いているのです。実は、兄には救いが必要ではないのではなく、むしろ、弟の救いの喜びを通じて、兄も父なる神様のもとにあって、その神様によって絶えず支えられ、救われて歩んできたことを、知ることになるのです。 

 私たちは、イエス様がご自身の命を私たちのために十字架でお献げになられたことにより、罪を赦されています。またイエス様が十字架の死からよみがえってくださったことによって、私たち自身の体が地上の歩みを終えて死を迎える時にも、主と共に甦りの命・復活の命を与えられていることを信じ歩む恵みが与えられています。このイエス様の救いの恵みに対する私たちの信仰の歩み、応答の歩みは様々です。冒頭の、吉新緑先生は、神学校に入学し、牧師として神様に仕える歩みによって応答しました。私たちも、それぞれの生活の場にあって、神様に赦され、支えられ、祝福されて、生かされているものとして、それぞれの仕方で、神様と共に歩む喜びを輝かせ、分かち合っていきたいと思います。

 最後に、今日のエレミヤ書31章2節から3節までを、リビングバイブルの訳でお読みします。
「昔わたしが荒野で、エジプトから逃げて来た、イスラエル人をあわれみ、休息を与えた時のように、彼らをいたわり、愛を注ぐ。それは、かつてイスラエルにこう言ったからだ。わたしの民よ。わたしは永遠の愛をもってあなたを愛してきた。あわれみの綱で、あなたを引き寄せてきた。」

 「変わることのない慈しみを注いだ」という所が、「あわれみの綱で、あなたを引き寄せてきた」となっています。神様がいつも私たちを愛してくださっていたことが、イエス様の十字架の贖いの救いによって明らかにされました。神様がその御手によって私たちをつかみ、その愛を見失わないようにと、絶えず導いてくださいます。この神様の誠実な愛に感謝したいと思います。

祈り

 天の父なる神様、
本日は、恵老祝福を覚えて礼拝をお捧げしました。祝福を受けられる8名の方々が、この一年も神様によって信仰と健康を守られますようにお祈りいたします。

これまで、あなたは愛の御手で私たちをかたち造り、導いて下さいました。しかし、時として困難や苦しみの故にあなたを見失い、あなたに背く歩みがあったことをここに悔い改めます。

放蕩息子の弟を、走り寄り受け入れた父親のように、またその寛大な対応を妬んで怒る兄に「子よ。おまえはいつも一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」とさとした父親のように、あなたは御子キリストの十字架の贖いのもとに、私たちを赦し受け入れてくださいます。この変わらぬ慈しみと平安のもとに、私たちの信仰の歩みがあることに感謝します。

「あわれみの綱で、あなたを引き寄せてきた」とあるように、絶えず私たちをキリストの命の光へと導かれる主の愛に信頼し、祈りと感謝をもって、今週も歩むことができますように。

イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン

 吉新緑先生について

後日、教団新報にて吉新緑先生が2019年8月27日に召されていたことを知りました。ご遺族と関係の教会の方々の上に主の平安と慰めをお祈りいたします。

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