本庄教会月報第11号をお届けします。
印刷版には、1月最終主日の、講壇交換の写真を掲載しました。埼玉地区内の豊かな交わりの中に置かれていることを、改めて感謝する機会となりました。
在 主


本庄市見福にあるプロテスタント教会です
印刷版には、1月最終主日の、講壇交換の写真を掲載しました。埼玉地区内の豊かな交わりの中に置かれていることを、改めて感謝する機会となりました。
在 主


2019年1月6日(日)礼拝説教より
疋田國磨呂 牧師
聖書:イザヤ書61章10節、
ルカによる福音書11章1-13節、
マタイによる福音書6章5-15節、
2018年度標語の「主よ、祈りを教えてください」は、主の弟子がイエス様に「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください」(ルカ11:1)と言ったことを「主よ、祈りを教えてください」を短く表現したものです。
私たちキリスト者は、キリスト者としてどのように祈るかを、弟子たちのようにイエス様から教えてもらわなければならないのです。
私たちの祈りの多くは、信仰の先達たちの祈りの見様見真似で身に着けたものであります。私は神学校でも祈りの仕方について学びませんでした。
そこで、本庄教会として「主よ、祈りを教えてください」とイエス様が弟子たちに教えられた「主の祈り」を通して共に祈りについて学びたいと願っています。私たちの祈っている「主の祈り」は文語調ですが、これに基づいて、一つ一つの祈りについて御言葉から聞きたいと考えました。ですから、次年度に入り込みますが、ご了承ください。
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「主の祈り」は、ルカによる福音書11:1~13のほかに、マタイによる福音書6:9~15でも記されています。
ルカもマタイも「主の祈り」の本文に付随して、語られていることがあります。その御言葉を取り次ぎます。次回から本文を何回かに分けて取り次ぎます。私は「キリスト入門講座」でも「主の祈り」について取り扱っています。
イエス様は「主の祈り」を教えられるに当たって、ルカ、マタイにおいてそれぞれ3つのことを言われています。
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弟子の1人が「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言ったことに対して、イエス様は「祈るときには、こう言いなさい」と言って「主の祈り」を教えられています。イエス様は、朝早く起きて祈られ、夕方一人になって祈っておられる姿は聖書に記されています。また、十字架にかかる前に、ゲッセマネの園で、汗が血の滴るように苦しみ悶え、切に祈られた姿も(ルカ22:44)記されています。しかし、祈りの全体の形や内容は全く記されていません。
イエス様は「主の祈り」を通して、初めて弟子たちに直接、祈りの形や内容を教えられているのです。以来、2000余年間、イエス様が「祈るときはこう言いなさい」と教えられたとおり、キリストを信じる者たちは世界中、自分の国の言葉で祈ってきているイエス様直伝の「主の祈り」なのです。
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イエス様は弟子たちに次の話をされました。「友達が真夜中に来て、『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』と言いました。すると友は『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』と言いました。
しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはしなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるだろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。」
祈りの姿勢は、「しつように頼む」ことです。しきりに頼む、切実に頼むとも訳されています。しつように求め、探し、門をたたくことなのです。
イエス様は「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。」(ヨハネ14:13、Ⅰ5:16、16:23)と約束されています。約束を信じて、あきらめないで、しつように頼み、求め、探し、門をたたくのです。
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「まして天の父は求める者に聖霊を与えて下さいる。」と言われています。
イエス様はマタイ福音書で「あなたがたの天の父は求める者に良い物を下さるにちがいない」(マタイ7:11)と言われています。どうして「聖霊」は「良い物」なのでしょうか。
祈りの答えとして聖霊が与えられるとは、神様の御心は何処にあるのかを悟らせるためなのです。神様の祈りの答えには、4つのパターンがあると言われます。
①祈り願ったことが、そのまますぐ答えられることです。
②祈り願ったことが、内容を変えて答えられることです。
③祈り願ったことが、時間が経ってから答えられることです。
④祈り願ったことが、絶対駄目、叶えられないのではないかと思われる答えです。
どの答えが自分に最も良い物として与えられているのか、その答えを悟り分からせて下さるのが聖霊なのです。
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次の三つのことが言われています。
祈りは、会堂や大通りの角に立って人に聞かせたり見せたりするのではなく、神様と一対一の祈りができることが基本です。イエス様は「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父は報いて下さる。」と言われています。神様は決して隠れてはおられるのではないのですが、私たちの隠れた所での祈りを聞いてくださる神様であるということです。〝密室の祈り〟と言います。
或る兄弟は、私の密室は大宮駅から東京駅の電車の中だと言われました。始発の電車に着席して、小型の聖書で日課を読んで神様からの御言葉を黙想し、祈るのだそうです。小1時間、周りの人々のことが全く気にならず集中できるそうです。
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イエス様は「異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。」と言われています。ある宗教ではお経を一万回唱えると御利益が与えられると言っています。
しかし、イエス様は彼らのまねをしてはならないと言われます。なぜならば、「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じ」だからです。
人間の親も、小さい子供の必要とするものや欲しがっているものを知っていて与えます。まして父なる神様は私たちの必要をすべてご存知なのです。だから異邦人のようにくどくど祈らないのです。「〇〇をお願いします」率直に願い求めるのです。
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人の過ちを赦すことは、本当に難しいものです。イエス様は「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。と言われています。」私たちは、神様からキリストの十字架の贖いを通して赦しの恵みをいただくことによって、初めて人を赦すことができるのです。それであるのに、赦すことがなかなか難しいのです。人の過ちを赦すことは、祈りの最大の課題であります。
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今日皆さんと考えたいことは、弟子たちはなぜ「わたしたちにも祈りを教えてください」と願ったのかと言うことです。
弟子たちはユダヤ人でありますから、1日に午前9時、正午、午後3時に、どこにいても祈るように決められていました。ですから弟子たちは誰も祈ることを知っていたはずです。イスラム教徒も1日に何度か祈る時間が決められていて、小さなじゅうたんを敷いて、メッカの方に向かって額をすりつけては祈っています。額に祈りだこができるのだそうです。
私たち日本人も、神仏に祈っています。正月三が日に神社やお寺に初もうでに多くの人々が出かけていることが報じられています。この人々は、普段は、宗教と関係のないような生活をしていても、正月には神社仏閣に出かけて、新しい1年が幸いであるように祈り願っているのです。
祈りと言うのは、世界中のどの国のどんな宗教でも見られる普遍的な宗教的営みであります。
祈ることを知っている弟子たちが、なぜイエス様に祈ることを教えてくださいと願ったのでしょうか。
ルカは、イエス様が神様に徹夜の祈りをして12人の弟子を選ばれたこと(ルカ6:12)を記しています。マルコは、12人を選んだのは「彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった」(マルコ3:14~15)と記しています。
12人の弟子たちは、イエス様のそばに置くために選ばれたのです。ですから、イエス様の祈る姿もよく見ていたのです。自分たちはユダヤ人として1日3回祈ることをしてきたが、イエス様の祈る姿に、自分たちと違った何かがあると感じ取ったのではないでしょうか。それは一体何なのでしょうか。
ルカによる福音書の3:21や、9:29に、その何かを感じさせるものがあります。
・ルカ3:21~22(106頁)
イエス様が洗礼を受けた時の出来事です。
「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたは私の愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」
・ルカ9:29~30、35(123頁)
イエス様が山の上で姿が変わった出来事です。
「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤであった。」
この時も「すると、『これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け』と言う声が雲の中から聞こえてきた。」とあります。
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イエス様は、人間として生まれ、人間の貧しさや弱さ、悲しみや苦しみなど全てをご覧になってお育ちになりました。罪なきお方でしたが、人間として「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」(マタイ3:15)と言われて、悔い改めのバプテスマをヨハネから受けられました。その時、聖霊が鳩のように降って、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が天から聞こえたのです。
この天からの声に答えて、聖霊に導かれて、イエス様はゲッセマネの園の祈りの最初にあるように、「父よ(アッバ)」という言葉を語られたのです。人間の歴史において初めて神様を「父よ」と呼ばれたのです。
そして、イエス様の姿が変わることを通して、人としてお生まれになったイエス様が神の子であることが現わされたのです。
弟子たちは、イエス様が神様を「父よ」と呼んで祈り、「これは私の愛する子」と天からの声が聞こえたりするこの神様とイエス様との親密な姿は自分たちの祈りにないことに気づいたのではないでしょうか。
イエス様がバプテスマを受けられて聖霊が降った出来事は、すべての人々のバプテスマにおいて起きる祝福なのです。私たちも洗礼を受けると、天から聖霊が降って私たちの内に宿って下さり、「わたしの愛する子、わたしの心に適う者」とされて、「救いの衣」と「恵みの晴れ着」(イザヤ61:10)をまとった神の子供とされて歩むのです。
そして、目に見えない神様をイエス様と同じように神の子供として「アッバ、父よ」「天の父よ」と呼んで祈ることができるのです。
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ユダヤ人を始め世界の人々は祈りをしているのですが、天の神様に向かって「父よ」と祈るのはイエス・キリストを信じる者だけなのです。
私たち人間は、「主の祈り」を通して、初めて神様を「父よ」と言って祈ることができるようになったのであります。
ある人は、主の祈りがもたらした祈りは、人間の心を垂直次元の動きをもつ神様へとむけられた言葉であると言っています。
イエス様が教えられる祈りは、神様を「父よ」と呼ぶことを通して神様と私たちという縦の関係、垂直次元の関係を成り立たせる祈りなのです。
これに比べて、私たちの周りに見られる祈りは、自分を中心とした水平次元の祈りなのです。日本人の祈りは、神仏を動かして自分の願いを聞かせようとする祈りなのです。
私たちは、神様を「天の父なる神様」と呼んで祈る祈りの中で、自分の願いを率直に訴え答えられる喜びを知ります。また、自分の思いが叶えられる喜び以上に、父なる神様の御心を知り、神様の御心に応えて従う喜びも知るのです。
この1年、神様を「父よ」と呼んで、垂直次元に働く祈りの恵みを豊かに頂き、味わいたいと願います。
キリスト者の中で、祈るとき、「神様」とだけ呼びかける祈りをする方もおられますが、是非、「父なる神様」と「父なる」をつけることをお勧めします。私は18歳になるまで罰や呪い、たたりを与える日本の神仏を恐怖の中で神様と呼んできました。しかし、イエス様を通して知らされた神様は人間を祝福し、救い、愛される神様なのです。イエス様が祈られたように、私たちも神様を「父よ」、「天のお父さん」とお呼びして、救いの衣と恵みの晴れ着をつけた神の子供として感謝と喜びを分かち合う生活をする2019年といたしましょう。
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天の父なる神様、
2019年という新しい年を あなたの御子イエス様の誕生を祝う喜びと共に迎えることができました。「主よ、祈りを教えてください」と2018年度標語として掲げていますが、「主の祈り」を通して、私たちが心新たにして祈ることができるようにお導き下さい。
イエス様は、神様を「父よ」と呼んで祈ることを教えてくださったので、私たちは天の神様が私たちに働きかけてくださる垂直次元の祈りの恵みに与かることができています。この神様を天の父と呼び、垂直次元の祈りの恵みに与かるのはキリスト者に与えられている特権です。この特別の祈りの恵みを新年も豊かに頂けるようにしてください。
道を求めておられる方々が、この素晴らしい垂直次元の恵みに与かることができるように聖霊なる神様がお働き下さい。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
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2019年の歩みが始まりました。新たな心で御言葉に聞き、希望をもって信仰生活を過ごしたいものです。
在 主


2019年1月13日(日)礼拝説教より
疋田勝子 牧師
聖書:箴言1章7節、
ルカによる福音書2章41-52節
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12月30日の礼拝は、ルカによる福音書2章22~38節の御言葉に聞きました。「神殿に献げられる」と小見出しにあるように、両親は、主の律法に「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と定められているので、イエス様を主に献げるためにエルサレムの神殿に連れて行きました。
そして、神殿でシメオンに会いました。シメオンは聖霊に導かれていた人で、幼子イエス様が両親に連れてこられた時、すぐに幼子を腕に抱き、神様をたたえて言いました。
「主よ、今こそあなたは、お言葉通りこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(:29~32)
イエス様の誕生は、異邦人の救い、全世界の万民の救いとして語られています。シメオンによって祝福された幼子イエス様は「たくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」(:40)のです。続いて、「神殿での少年イエス」の小見出しがついた、イエス様の12歳の時の話が出てきます。
イエス様は「たくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた」(:40)とありますが、イエス様だけでなく、幼子は皆、神様の子供ですから、「神の恵みに包まれている」のです。
そのことを大人がどれだけ気づき、神様からお預かりしている子供として認識しながら育てているかが問われてきます。産まれた時は、みんな純真な子供なのです。ところが育てられ方次第で、悪の道に入り、犯罪を犯してしまう子供もいるのです。
幼い子供はなかなか体温調整ができないので、室温が高いと高い体温になってしまうのです。それと同じように、子供の置かれた環境が悪いと、悪い方に同化してしまいます。私たち大人は、子供たちを良い環境に置いてあげることができるように祈り努めなければなりません。その意味で、ミッション・スクールの存在は大きいです。
神様は、どんな子供でも愛して下さっていることを、知的に教えるだけでなく、愛を注ぎながら育てていくことが大事です。今日の聖書の個所は、子供は、自分の子供である前に、まず神様の子供であることを意識して育てていく大切さを教えているのです。
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「イエスが12歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。」とあります。
日本では、満20歳で成人式を迎えます。ユダヤ人の男子は13歳で成人式を迎え、この年から律法のあらゆる義務を果たすことが求められます。まず、年3回のエルサレムでの三大祭り(過越し祭、五旬祭、仮庵祭)に出席することが命じられています。
女性にはその義務はないのですが、敬虔な家庭では同行したのです(サムエル上2:19)。しかし、年3回出席という規定は、一般的に年1回の「過越祭」への出席だけでも良いとされていました。イエス様のご両親は、この慣習に従ったのです。
ユダヤ人社会では、男子が12歳になると青年期に入ったとされ、律法に従う生活ができるようになると考えられていました。
そして断食をすることを教わり始め、13歳になると幼年期を脱し、成人の宗教的義務に関わることが求められました。おそらく、イエス様の両親は、一人前の年齢に達したイエス様が、これから神の前に一人で立つことができるという喜びを持ってエルサレムに上ったと思います。過越祭と、それに続く「種入れぬパンの祭り」(除酵祭)は7日間に渡ります。当時、一緒に連れて行くことは子供に対する宗教教育でありました。
新約時代に生きる私たちにできることは、何と言っても一般化されているクリスマスに、子供たちと教会で礼拝を捧げることです。〝クリスマスって何の日〟とテレビ番組で取り上げられていました。クリスマスは終わり、今度は、クリスマスほど世間に知られていませんが、イースターに向かって準備しなければなりません。今から、祈りながら、このチャンスに子供や孫を誘ってみるのも一つの良い方法です。
信仰とその成長とは、自動的に起こるものではなく、何もしないでは起きるものではありません。信仰の成長には訓練が必要であることが、ここで語られています。今日の聖書では「慣習に従って」と言うところです。「慣習」とは〝しきたり〟〝ならわし〟習慣の意味です。信仰には、しきたりや習わしに従うことが、つきものです。
礼拝も習慣になることが大事とも言えます。日常の決まりきった行いは、信仰生活と切っても切れないものなのです。私たちの毎日の生活で、朝、顔を洗ったり、歯を磨いたり、1日3回の食事をしたり、お風呂に入ったり、習慣化されていることを欠かすと気持ちが悪くなります。
信仰生活もこれに似ています。毎日曜日の礼拝に来て、御言葉に聞き、そして兄弟姉妹と交わりをします。そして始まる1週間、毎日、聖書日課を通して聖書を読んで、御言葉に従い、執り成しのお祈りをし、週半ばの祈祷会を覚えることが、習慣化され、当たり前の生活となっていくのが大事です。
ある賢人は、〝性格というものは習慣の総計である〟と言っています。即ち、性格とは、何らかの行動が習慣となって表れたものだと言うのです。ですから、キリストのような品性を身に着けたいと願うなら、キリストの持っておられた習慣を身に着けて成長していけばよいと言うことです。
ある人は言いました。暇さえあればテレビばかり見ていてよいのだろうか。聖書も読まないし、祈りもしない、礼拝は時々しか行かない。これでクリスチャンと言えるのかと自分を責めていました。思い切って礼拝に出ることにしました。そうしたら、とても気が楽になり、月1回の礼拝が、2回、3回となりました。テレビばかり見ていたが、半分だけテレビを見、半分は聖書を読む時間にするようにしました。すると気が楽になり、信仰生活が楽しくなってきましたと言っておられました。良い習慣に少しずつ置き換えていくことによって、少しずつキリストの似姿に向かって成長していったのです。
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私たちは毎日の生活で、時として知らないうちに、あれやこれやと神様以外の人や物を捜しています。「私たちは、なんとも落ち着かず右往左往して、どうしようもないものですが、しかし、そんな私たちであることをご存知の上で御手を広げて、〝ここだよ、ここだけだよ〟とお迎えくださる主のやさしさはたまりません。」(FBマイヤー)
少年イエス様は12歳になって、ある程度自由にふるまっていました。両親は過越祭の期間が終わって帰途についた時、イエス様はエルサレムに残っておられました。両親は1日分の道のり(35km)を行った時に、イエス様がいないことに気づいたのです。それから、両親は親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返しました。3日後に、イエス様が神殿の中にいるのを見つけました。
少年イエス様は、「学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり、質問したり」しておられました。「聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いた」と記されています。ここに神の御言葉を学ぶ姿勢が示されています。
「マルタとマリアの話」があります。マリアはイエス様の足もとに座り、しっかりと話を聞いていました。姉のマリアはイエス様をもてなす料理を作るのに忙しく、何も手伝わないマリアの姿を見て怒ってしまいました。するとイエス様は「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ10:41~42)と言われました。
少年イエス様の姿は、マリアとは状況は違いますが、教わる者の姿勢を取り、何よりも神の御言葉に耳を傾け、真剣に学者に質問していました。この神の御言葉に学ぶ姿勢は、私たち大人も学ぶべきでありますが、ここを通して、子供には教会でなければできない、聖書を読み・祈り・礼拝をささげるという習慣の大切さを、小さいうちから教えなければならないことを学ばせられます。大人も子供も御言葉に聞いて従う習慣、祈る習慣を身に着けていきたいと思います。
少年イエス様と学者とのやり取りは、学者たちと対等に議論していると言うよりも、座って御言葉を〝教わる者の姿勢〟が示されています。
12歳になったイエス様が、神の掟に対して責任を持つことができるようになることは〝自立する〟ことです。普通、自立することは親の手から離れることであります。しかし、母親のマリアは、ここではまだ子離れしていないのです。
:48)母は言った。「なんでこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです。」
:49)するとイエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのが当たり前だということを、知らなかったのですか。」
:50)しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
ここには、私たちに対して大切なことが教えられています。つまり、〝子供は、いったい誰のものか、親だけのものなのか〟と問われています。
親が子供はどこへ行ったのかと心配するのは当然であります。しかし、イエス様は「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と言われ、親子の関係よりも自らの使命をはっきりと打ち出しておられるのであります。
私たちには家が2つあります。一つは生活する家です。もう一つはイエス様が言われた父なる神の家です。私たちは、父なる神の家に住んでいるのに、不安な生活をしていないでしょうか。
もし、親である私たちが、マリアのように子供のことで大変不安な生活をしているとしたら、子供を父なる神の家に住まわせていないから不安で仕方がないのです。子供は神様からの預かりもので、自分一人で育てるのではなく、神様が育てて下さるのです。そのことを信じる時に安心が与えられます。
大人の私たちも、マリアのようにイエス様を捜して右往左往しないためには、まず、父なる神の家にいるのが当たり前だと思うことです。
具体的には、何よりも第一に主日の礼拝と聖餐を大事にしてしっかりと主イエス様に結び付くことです。次に、イエス様の〝御言葉を教わる姿勢〟に習って、日々の聖書日課を大事にすることです。また、少年イエス様が学者たちと交わって成長したように、私たちも兄弟姉妹との交わりと執り成しの祈りを大切にすることです。そして「父の家にいるのは当たり前」と言い合いながら、キリストの体なる教会にしっかりとつながり続けて行きましょう。ここにこそ安心の道があるのです。
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少年イエス様は、ナザレの家に帰ってから、両親に仕え、父ヨセフの大工の仕事を手伝いながら社会生活をされました。
私たちは新しい年も、それぞれこの世へと遣わされて行きます。置かれている所でキリストの恵みを証ししつつ、仕事に励み、隣人に仕えて行きましょう。そうすれば、神様は私たちの生活の中に平安と喜びを恵みとして与えて下さいます。
:52)イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
私たちクリスチャンは、イエス様に似た者として成長していくイエス様の弟子ですから、この御言葉は、私たちにも与えられている恵みであります。
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天の父なる神様、御名を賛美します。
主イエス様が12歳の時からもうすでに神の御言葉を学び、従う姿勢を取っておられ、「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前」と言われたことを私たちに自覚させて下さり本当にありがとうございます。
どうか、まず私たち大人が父の家から離れることなく、しっかりとつながって、子供たちをも信仰へと導いていくことができますように力を下さい。
主イエスの聖名によって祈ります。
アーメン。
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今回はクリスマス特集です。
今年のクリスマスは、昨年より5,000部多い8,000部のチラシを作成し、新聞折り込みやポスティングで地域に配布しました。
クリスマス礼拝には5人、イブ礼拝には9人の新来会者を迎えることができました。
その中にはチラシを見ていらしたご夫妻もありました。本庄の地域に福音を宣べ伝えるために、今後も小さな努力と祈りを積み重ねていきたいと思います。
在 主
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2018年12月24日(月)
クリスマス・イヴ礼拝説教より
疋田國磨呂 牧師
聖書:詩編36編14~22節
ヨハネによる福音書1章1-18節
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メリー・クリスマス。皆さん、ようこそ、イブ礼拝にお出で下さいました。クリスマスは、日本の年中行事に、なくてはならないものになりました。
私は、一昨年まで、キリスト教幼稚園の園長を39年間務めてきました。クリスマスになると、キリスト教幼稚園では3歳児、4歳児、5歳児が一緒にキリストのお誕生を祝う劇を演じるのです。この劇のことを「ページエント」と言います。無垢で純真な心で演じる子供たちのページェントを見て、イエス様の世界を垣間見るようで感動していました。この子どもたちに「クリスマスってなあに」と聞くと、「イエス様のお誕生日です」と返事が返ってきます。
ところで、キリスト・イエス様のお誕生日のクリスマスなのに、なんでサンタクロースが出てくるのでしょうか。
NHKの番組〝チコちゃんに叱られる〟ではありませんが、「今や、日本の全国民に問う。クリスマスはキリストの誕生日なのに、なぜサンタクロースが出てくるのでしょうか」と問われます。その答えは、現在のトルコのミラで、セント・ニコラスという司教・神父さんがいました。ニコラスはある時、貧しくて娘が身売り寸前の家にコインを投げ入れて、娘が助かったという逸話が元です。
「セント」と言うのは聖人のことです。聖マリアのことをサンタ・マリアともいうように、セントはサンタともいわれます。サンタ・ニコラスという名前がサンタクロースと訛って行ったのです。このセント・ニコラスは、キリストの救いの恵みと喜びを人々に伝える神父でした。ニコラスは裕福な家に育ったそうですが、貧しくて身売り寸前の娘を救うためにお金を投げ入れて助けました。ニコラスは、キリストの救いの恵みと喜びを分かち合っていたのです。投げ入れたお金がストープわきに干してあった靴下に入ったそうです。それでサンタクロースが靴下にプレゼントを入れてくれるとの逸話になったのです。
今日では、サンタクロースは子どもたちの願望叶える象徴的存在になっています。それはそれなりに意味があるかと思いますが、サンタクロースの元祖はキリストの救いの恵みと喜びを分かち合う意味でのプレゼントであったことを覚えたいと思います。
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キリストの救いの恵みと喜びとは何かについて、お話いたします。
ヨハネは、キリストの誕生を、暗闇の中に輝く光として描いています。9節に「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」と言われています。
皆さんは、暗闇と言うとどんな場面をイメージしますか。
1)停電した真っ暗な世界を思う人もいるでしょう。
2)しかし、電気がついていても暗闇があるのです。それは人間の「心の暗闇」です。
皆さんは、どんな時に心が暗くなりますか。4つの場合を考えてみたいと思います。
①番目。頑張ったが失敗した。頑張ったが合格しなかった。頑張ったが負けた場合の「心の暗さ」です。がっかりしたり、悔しくも思ったりもしますが、こんな場合、やり直しでチャレンジすることができます。
②番目。人間関係がうまくいかない場合から生じる「心の暗さ」があります。人間関係の問題で一番辛いのは、相手から無視されたように思える時です。牧師を40年以上も務めていて、たくさんの方々の悩みを聞いてきましたが、自分が無視されたように思える時の辛さをよく聞かされました。ある方に、どうして無視されたと思うのと聞くと、「わたしが挨拶しても、返事してくれない」と言うのです。「聞こえなかったのでないの」と言うと、「自分は、いつもはっきりと、今日は、おはようございます、と言うけれど、返事は帰ってきません」と言うのです。挨拶の仕方で無視されたと思う人がいるのです。
挨拶は、人間関係を作る窓口で、大切なものであります。互い快く挨拶をかわしたいものですね。
③番目。何か悪いことをして心に秘めている時です。自分で悪いことをしたと罪を犯している場合の「心の暗さ」です。犯罪と言う刑事事件もあるでしょう。また、人間関係の中でうそをついて相手の立場を悪くしてしまった場合もあると思います。犯罪にかかわることは警察に早く自首することが一番でしょう。うそをついた場合、本人に告白して謝るのが一番でしょうが、それがなかなか難しいのですね。
④番目。これは普通、人々は気づかない場合が多いです。私たちの命の造り主である神様を信じないことから来る「心の暗さ」です。神様を信じないと言うことは、人は皆、自分を中心で生きることになります。この「自分中心」は、意外とくせ者で、自分中心を貫いていくと、自分も他の人の心も暗くしていくのです。
2番目の人間関係がうまくいかない場合も、3番目の罪を犯している場合も、もとはと言えば、自分中心からくる「心の暗さ」であります。
私たち人間は、失敗したり、負けたり、人間関係がうまくいかなくなって辛い思いをしたり、相手を悪い方におとしめたり、最悪の場合、人の命を奪ってしまったりするのです。国が自分たちの考え方を絶対化すると戦争になってしまいます。人間は「心の暗闇」を持つ存在なのです。
神の御子、イエス様がクリスマスにお生まれ下さった世界は、人間が自分中心にして生きるためにもたらす「心の暗闇」のある世界なのです。
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ですからヨハネはクリスマスの出来事を次のように告げるのです。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは一つもなかった。」この「言」は、神の御子、イエス様のことなのです。「言」=「神の御子」なのです。
この言=神の御子の内に命があって、神の御子の命は人間を照らす光であったのです。神の御子は、この世の暗闇の中で、人間の心の暗闇を照らす光として来られて、輝いているのです。しかし、「暗闇は光を理解しなかった」と言われています。
今、私たちは暗闇の中にロウソクを灯しています。このロウソクは私たち人間の外側を明るく照らしています。しかし、私たちの心の暗闇を照らすことはできないのです。9節に「その光は、真の光で、世に来て全ての人を照らすのである。」と言われている光とは、人々の心の暗闇を照らすことのできる神の御子・イエス様のことなのです。
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と言われていますが、神の御子・イエス様が人間の肉・体をもって生まれてくださったことであります。
フィリピの信徒に書いた手紙に神の御子イエス様の誕生を次のように言っています。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」
キリストは、神の御子で、神御自身であるにも関わらず、神の特権を捨てて、弱い人間としてお生まれになったのです。それは、人間の生きるすべての苦悩、心の暗闇を知るためでした。私たち人間は、いまだかって誰も、神を見た者はいないのです。だだ、独り子であるイエス様を通して、私たち人間を造られた神様の御心と愛、「恵みと真理」を知ることができるのです。この神の御子・イエス様の言葉を通して、私たちは心の奥底まで照らし出されるのです。
御子イエス様の光に照らし出される時、自分がどんなに自分中心で、他の人を愛することのできない、自分のことばかり考えている小さい、弱い者であるかを知らされます。
しかし、同時に、自分中心な自分の存在であるが、神様に掛け替えのない者として造られ、愛されている存在であることも知らされるのです。
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イエス様は言われています。「隣人を自分のように愛しなさい。」(マタイ22:39)と。
イエス様が言われる自分を愛するとは、神様に造られ、神様から愛されている自分を大事にすることです。そのように、隣人も自分と同じように神様に造られ、神様から愛されている者として大事にしなさいと言うことなのです。
私たちは自分に良くしてくれる人には良くし、好きになれるのです。しかし、自分を批判する人には良くできないし、好きになることはできません。
イエス様は、自分に良くしてくれる人も、自分を批判する人も、自分と同じように神様から掛け替えのない者として造られ、愛されている者であることを認めなさいと言われていのです。隣人を愛するとは、どんなに嫌いな人でも、その人も自分と同じように神様に造られ、神様の愛をいただいていることを認めることなのです。どうしたらそのように隣人を愛することができるのでしょうか。
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イエス様は、人間の心の暗闇をもたらすすべての罪を背負って、十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)と祈りつつ、私たちの罪を赦すために身代わりとなって死んでくださったのです。
このイエス様の十字架の祈りは、自分中心に生きて、心の暗闇を持っている私自身の赦しのためだと受け止める時、私たちは、神様が、イエス様の命を犠牲にしてまでも、私の命を大切に愛して下さっていることを信じることができるのです。
この神様の自分への愛が分かる時、神様はどんな人の命も愛してくださっていることも分かり、自分が神様から愛されているように、隣人を愛することができるのです。
クリスマスにお生まれになった神の御子・イエス様の光で、私たちの心の暗闇が照らしだされる時に、神様の愛が分かり、隣人を愛する喜びも分かるのです。
セント・ニコラスは、神の御子イエス様を十字架にかけてまで、自分の罪を赦し愛して下さっている神様の大きな愛を知った時に、自分の手に持てるものを惜しみなく貧しい、困っている人々に分け与えることができたのです。そしてサンタクロースの元祖となったのです。
このクリスマス、私たちの心の暗闇を神の御子・イエス様の愛と御言葉によって照らし出してもらい、神様の愛を喜ぶものとさせていただきましょう。
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天の父なる神様、クリスマスにお生まれになった神の御子イエス様は、私たちの心の暗闇を照らす光として来て下さいました。イエス様の愛の御言葉によって私たちの心の暗闇を照らしてください。そして神様から愛されている喜びを分かち合うクリスマスとしてください。御子イエス様の御名によって祈ります。
アーメン
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2018年12月23日(日)
主日クリスマス礼拝説教より
疋田義也 牧師
聖書:詩編103編17~22節
ルカによる福音書2章8-21節
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クランツのロウソクの4本すべてに火がともり、クリスマス・イエス様の誕生をお祝いする礼拝の日となりました。皆様、イエス様のお誕生、おめでとうございます!
この時期、町では綺麗な電飾がほどこされ、自宅でもクリスマスライトを飾って楽しんでいる様子が見受けられます。クリスマスというと、華やかな電飾やクリスマスツリー、サンタクロース、クリスマスプレゼントと陽気な気持ち、楽しさというのが、世間一般的なクリスマスの印象だと思います。
クリスマスの「メリー・クリスマス!」と、今では定着しているクリスマスの挨拶も、「メリー」というのは英語で「愉快な!陽気な!」といった意味ですから、そのようなフェスティブなお祭りのような楽しさという、今日のクリスマスの気持ちに近いのかもしれません。
しかし、その反面、「実はクリスマスが苦手」という人も結構いるみたいです。そのような意見の中には、このクリスマスの中の「お祭り騒ぎがどうも…」という方も多いかもしれません。そもそも、なぜクリスマスが嬉しいのか、なぜクリスマスが楽しいのか。なぜ、クリスマスを祝うのでしょうか。私は、そのようなお祭り騒ぎについてゆけない、自分の気持ちをそのような陽気な感じまでに高められない。むしろ、そのような方に今日の聖書の言葉は語り掛けていると思います。
また、既にクリスマスを楽しんでいる方で、この胸が高まる期待感、そのワクワクした気持ちというのはどこから来ているのか。なんでクリスマスは嬉しいのだろうか。その起源を知ることにこそ、私たちの「本当の喜び」があり、「そこに、生きる喜び」があります。そのように私たちに語り掛けられている聖書の言葉を聞いてゆきたいと思います。
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今日、ここに集まって下さった本庄教会の皆様、また初めての方も、イエス様のお誕生がどうして、それほどにまで大きな喜びの出来事だったのか共に見てゆきたいと思います。
さて、私たちはどのような時に一番喜ぶのでしょうか。特に西洋では、クリスマスにはプレゼント交換を行ったりする習わしがあります。プレゼント交換といっても、パーティーのレクリエーションやゲームのように、誰に何が当たるか分からないと言ったやり方よりも、この人の為にこれをと、とっておきのプレゼントをお互いに用意するのです。これはプレゼント交換とは言わないかもしれませんが、まさか何かプレゼントをもらえると、思ってもいなかった人にプレゼンが贈られたりすることもあります。
クリスマスにはサンタクロースの文化が普及して、クリスマスのプレゼントと言うと、「私はこれが欲しいです」と子供たちがサンタさん、或いはお父さんお母さんにお願いすることも多いと思います。でも、サンタクロースの起源をたどっていくと、現在のトルコのミラの聖ニコラスという司教が貧しく家族を身売りする寸前であった家族に銀貨を投げ入れて助けたということがサンタさんの始まりなのです。何を言いたいのかと申しますと、本当に嬉しいのは、思いがけない、思いも想像すらもしなかった物をもらったり、思いがけない人物からプレゼントをもらったりすることなのです。
今日お読みした聖書に出てくる荒野の羊飼いたちは、まさにこの驚きのプレゼントを受け取った人たちだったのです。
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さて、ルカ福音書には夜の暗闇に包まれた野原で、夜の番をしていた羊飼いの様子が語られています。「夜通し羊の群れの番をする」というのは、羊に牧草を食べさせるために、羊と一緒に旅をしなければならなかったようです。そして、夜には石で囲って作った檻(おり)のようなところに羊を入れて、そしてその入り口に枝木で簡易的に作った小屋に泊まるのでした。或いは、旅先では羊と羊飼いたちが夜を過ごすために、洞窟を見つけて利用したようです。
なぜ夜通しの見張りの番が必要であったかというと、夜行性のオオカミなどの野獣や、羊を奪おうとやってくる盗人がいたということです。50から200頭ぐらいの羊の群れを一つの群れとして数人で羊の世話をしていました。ですから、羊飼いの仕事というのは、大地を駆け巡るのどかな印象がありながらも、代わる替わるに見張り役を担う人の責任の大きさ、そして、何か野獣や盗賊などを察知した時の見張り役の緊張感は物凄かったのではないでしょうか。
その様な中での出来事です。急にパッとあたり一面が眩く白い光で包まれたのでした。「主の栄光があたりを照らした」という「主の栄光」というのは「光」と書くように、まぶしい光なのです。イザヤ書では、神様から注がれる光というのは、真っ暗闇を一瞬にして真昼のように照らし出す光だと言われています。普段、外敵が来れば羊の杖で対峙しなければならなかった羊飼いたちは、休んでいた羊飼いも飛び起きて、恐れおののいて、地面に伏したと思います。「何事が起ったのだろうか!」
そこには、少なくとも、何か良い事であったり、ワクワクするといった期待感はありませんでした。むしろ、聖書にあるとおり、そこには「非常な恐れ」がありました。実は、遠い昔のイザヤのような預言者たちは、神様の光で照らされるということを、嬉しいこととしてだけではなくて、いいことも悪いことも、白日(はくじつ)のもとに晒されて、全てが明らかになる、そのような出来事としても伝えています。
ですから、もしその預言者たちの言葉を知っていたとしたら、神様の光に照らされるというのは、単に光に驚いただけではなくて、神様の遣わされた天使が目の前にいる緊張感、もしかしたら裁きを下されるのか、という不安さえも感じていたと思います。しかし、神様のもとから来た天使は、初めに、こう伝えたのです。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」
本来、恐れというのは、喜ぶというのとは対照的な、全く反対の心の動きではないでしょうか。もし、天使に恐れおののき、全ての出来事が恐れと緊張の中にあり続けたのであれば「大きな喜び」というのは、絵に描いた餅のように、形だけになってしまいます。
実はここで言われている「喜び」という言葉は、聖書がもともと記された言語であるギリシャ語では“カラ”となっています。ある韓国歌手グループはこの「喜び」という言葉にちなんでKARA(カラ)という名前で音楽活動をしていたりもします。この“カラ”という言葉と、神様の恵み(ギリシャ語で“カリス”)という言葉とは実は切っても切り離せない、繋がりがあります。同じ語源なのです。つまり、神様の「恵み」、“カリス”、は私たちに、本当の意味での「喜び」、“カラ”、を与えて下さるのです。神様の恵みを知る時に、神様が与えて下さる、決して“過ぎ去ってしまわない”喜びが与えられるのです。
そして、そこに神様からのお恵みがあり、神様に私たちの存在を受け止めて頂けた時に、私たちは初めて「神様が与えて下さる喜びとは何だろうか」ということに思いが及んでいくのではないでしょうか。私たちの「恐れ」というものを、喜びに変えて下さるお方がおられるのです。
「今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」
ダビデの町に、あなたがたのために主メシア(救い主)が御生まれになった。これは「あなたを救うお方がそこにいます!」と天使が告げているのです。「恐れ」を「喜びに」変えて下さるお方が今まさに、ベツレヘムにお生まれになった。その知らせが、まず初めに、野原にいた羊飼に届けられたのです。
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これも神様の不思議な計らいです。もし、天使がこの知らせを、いち早く多くの人に知らしめたいと動いたならば、当時、人々が多く集まっていたはずのエルサレムや、ベツレヘムなどの町の人に知らせたはずです。当時、ローマ帝国が住民登録(つまり人口調査)を行っていたので、その報告をするために都に上ってきた人々で溢れていました。もし、その町のただ中にいた人に告げれば、労苦もなく、いち早くその知らせは広まったと思われます。もしそうならば、都から少し距離を置いた所の野原で過ごしていた羊飼いたちには、その知らせは入らず、彼らはこのクリスマスの出来事からは省かれてしまっていたことでしょう。
また、その知らせがエルサレムの宮廷に早々に入っていたとしても、この出来事を喜ぶのではなくてイエス・キリストの命を狙う人々もそこにはいたのです。ヘロデ王もその一人でした。イエス様がユダヤの新しい王となるべき存在だという話を聞いていて、自分の立場の危機を感じていたからです。
数々の神様の配慮と計らいの中で、クリスマスの出来事から一番遠い存在となっていたかもしれない、蚊帳の外におかれていたかもしれない羊飼いたちが、喜びの知らせを運び届ける、このクリスマスの出来事の中核の部分を担う役割を与えられたのです。では羊飼いたちは、羊はどうしたのだろうか、石の囲いに羊たちを残していったのだろうか、或いは子どもたちがこの時期にクリスマスの出来事を演じる聖誕劇の中では、羊飼いたちは羊を連れてそのままベツレヘムへと入っていきます。もしそうだとしたら、その場所は騒然としていたかもしれません。50頭以上もの羊が群れを成して町に入っていく、その様子は異様にも映ったかもしれません。でも、それもお構いなしでイエス様を探し出したのです。
イエス様を探し出すこと、ここにも神様の深い配慮がありました。天使は羊飼いたちに、ひとつの「しるし」、〝このマークを頼りにしてください〟というイエス様だとわかる特徴が伝えられていたのでした。それは「布にくるまって、飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つけるであう」というものです。
もしかすると、私たちは「飼い葉桶」つまり「餌箱」に布に包まれて藁と一緒に寝かされたイエス様のお姿を、当然そのようなものだとして、クリスマスのカードや人形で見慣れてしまっているかもしれません。しかし、よく考えてみると、生まれたばかりの赤ちゃんを家畜の餌箱の中に置くというのは不衛生ですし、しかも、餌箱ということは、家畜小屋の中にイエス様はいらっしゃるということです。民全体、また全世界の救い主としてこられたメシア・イエス様には似つかわしくない、そのような状況の中に置かれていたのです。でも、だからこそ、羊飼いたちは、その場所に入ってくることが出来たのです。今日読まれた聖書の箇所から少しだけさかのぼりますが、月が満ちてイエス様が誕生された時の様子が2章の前半に伝えられています。そこでは、宿屋にはイエス様やマリアたちの泊まる場所がなく、飼い葉桶に寝かされることになった次第が、伝えられています。
もし、宿屋に空きがあって、部屋を取ることができたのだとしたら、その宿屋の部屋まで羊飼いたちが、立ち入って確認することができなかったかもしれません。迷惑です、と立ち入りを断られてしまっていたかもしれません。誰でも訪ねてくることが出来る場所に、イエス様はお生まれになって下さったのです。
それも、大勢の人がひしめき合う中で、その中で生まれた赤ちゃんを探し出すのは大変であったかもしれません。しかし、羊飼いたちの中には彼らを突き動かす喜びがありました。その様子は、天の大軍の賛美の後に「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせて下さった出来事を見ようではないか」と奮い立ったことから見て取れます。
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さて、彼らがベツレヘムへと向かった、その直前に天の大軍の賛美がありました。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」前半部分は「栄光、神にあれ」とこの出来事を通じて、天におられる神様が礼拝され賛美されるようにと、そして後半部分は、この地上に神様の平和が、「御心に適う人に」とあります。
私は、いつも、この箇所を読む時に、「御心に適う人」というのはどういう人だろうかと思うのです。「正しい人」或いは、「地には平和」とありますから、地上で平和をもたらす人が「神様の思いに適った(御心に適った人)」なのだろうかなどと思いめぐらすのです。聖書を読んで行くと、神の子であるイエス様に対して、天の父とも呼ばれる神様は、この子こそ私の「御心に適う」と言われています。御(おん)と言う字は、聖書の中では「神様のもの」と言う意味で“み”と発音して言われますから、「御心」というのは「神様の心」という意味です。神様の子であるイエス様は「神様の心」に適うというのは、なるほど、その通りだと思います。
しかし、実は、この「御心に適う人」というのは少し言い換えると、「喜んで受け入れる」と言う意味になります。この天使の歌の中では「神様が喜んで受け入れる人」という意味になりますが、今日この羊飼いの出来事の中で、羊飼いたちは確かにこの「神様が喜んで受け入れてくださっている一人一人である」ということが明らかにされているのです。
神様の光に包まれた時、恐れおののき、神様に裁かれるのではと恐れた彼らでした。羊飼いたちは、神殿の祭司たちや律法(聖書)の学者たちのように、神様の掟をしっかりと守った生活を送ることは困難でした。そこで、彼らは人の不完全さ、そして人の破れ、弱さ、儚さというものを身をもって体験していた人たちであったのではないかと思います。
しかし、神様はその彼らを喜んで受け入れ、そしてこのクリスマスの核心部分を担うものとして下さいました。神の子・救い主としてお生まれになって下さったイエス様がベツレヘムに、家畜小屋の中に、しかも羊飼いたちの目の前にいるのです。これこそ、神様が彼らを喜んで受け入れて下さったことのしるしです。
天国の神様への感謝の賛美が満ち溢れるように、神様はなんとご自身の大切な神の子であるイエス様を地上に送り出されたのでした。イエス様がこの地上にお生まれになった、このクリスマスの時、私たちには神様に罪を赦され、神様に喜んで受け入れて頂ける道が開かれたことを知ります。そこにこそ、救いに至る喜びがあります。私たちの日々の生活が、悲しみと恐れで終わるのではなくて、神様のもとへと、救いへと繋がっている、またクリスマスには、まだ「乳飲み子」とよばれていたイエス様がこれから十字架という救いを成し遂げて下さいますが、それに先立って既に、この時に救いの希望として、私たちをその恵みで包み、喜びで満たしてくださるのです。
飼い葉おけに寝かされた幼子イエスを見て、羊飼いたちはその様子をベツレヘムの人々に伝えました。聞いた者たちは不思議に思ったとありますが、羊飼いたちは確かに、その喜びの知らせを手渡す役割を与えられたのです。喜びの知らせは羊飼いたちの間だけに留まらず、彼らの心を動かし、そして彼らの喜びはその周りの人々へと伝わっていきます。「不思議と思った」とありますので、全ての人が耳をかしたのではなかったのでしょう。しかし、彼らは共に喜び、そして最後には神様への賛美・礼拝へと至ったのです。
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私たちはクリスマスの出来事に遭遇するとき、私たちがその救い主の誕生の知らせを「受け入れるか・断るか」選ぶ側にたっていると思うかもしれません。しかし、それ以前に神様の方から、私たちに扉は開かれているのです。
新約聖書の第一ペテロの手紙1章5~6節にはこうあります。
「あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。それゆえ、あながたがたは、心から喜んでいるのです。」
私たちはそれぞれに弱さもあり、また課題もあるかもしれません。しかし、今日の詩編103編が伝えているように、「主の語られる声を聞き、御言葉(神の言葉)を成し遂げるものよ、力ある勇士たちよ」とあるように、私たちの力は人間の力に掛かっているのではありません。今日の天使たちを通じて、羊飼いに知らされ、私たちにも知らされている言葉のように、神様の言葉に耳を傾けるとき、神様は既に私たちを弱いものから、神様の目において強く雄々しい勇士へと造り変えられているのです。羊飼いたちがまさにその勇士となったのでした。神様の恵みを聞き、そしてこのクリスマス、羊飼いたちのように、私たちもそれぞれの道をイエス様への信頼によって力強く歩ませて頂きたいと思います。
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最初は救い主(メシア)からは縁遠いとされていた羊飼いたちに、馬小屋で生まれたばかりの赤ちゃんイエス様を間近に見て、礼拝する特等席が与えられました。同じように、神様は私たちに対して、イエス様のすぐ近くに特等席を用意していてくださいます。クリスマスにお生まれになったイエス・キリストの恵みを感じて感謝し、祈るこの礼拝がイエス様の一番近くの特等席です。
教会にはいつも、イエス様の傍に、あなたのための席があるのです。「あなたたちのためのしるしである」と天使が伝えたイエス様の存在が羊飼いたちを包み、希望と平安で満たし、彼らに生きる力を与えたように、私たちがこのイエス様誕生のしるしを受け取る時には、私たちにも揺るぐことのない、希望と平安が満たされるのです。なぜなら、イエス様が一緒というのは、神様もその場を見守り導いて下さっているということだからです。
神様が救いの道を開き整えて下さっています。そして、私たちを喜んで受け入れ、迎え入れて下さいます。そこに既に、救いの恵みと喜びが既に始まっているのです。神様の守りと導きの中に私たちは生かされ、包まれている。私たちの恐れを喜びへと変えて下さる救い主が誕生した。このことに感謝し、このクリスマス、イエス様の誕生の喜びを共に分かち合いたいと思います。
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天の父なる神様、あなたはクリスマスに大切な御子イエス・キリストを私たちにお与えになって下さいました。あなたは私たち一人一人をよく知っていて下さり、そして私たちにイエス様に一番近いところに私たちの居場所を用意して下さいました。
私たちには、それぞれ異なった状況や課題を抱えており、また弱さも抱えています。喜ぶときもあれば、悲しむこともあります。その一つ一つをあなたは見守って居て下さり、そして必要を満たし、いつも寄り添って助けて下さいます。どうぞこのクリスマスから始まる一年、神様がいつも共に居てくださる。この希望と平安の中を歩ませてください。
主の御名によってお祈りいたします。
アーメン
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今回は設立130周年記念礼拝・感謝の集いを取り上げました。設立記念礼拝出席者38名、感謝の集い出席者は58名でした。
このことのためにご奉仕くださったみなさまに、改めて感謝いたします。
在 主
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2018年10月21日(日)
本庄教会設立130周年記念礼拝説教より
入 治彦 牧師
聖書:詩編96編1~13節
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◯ おはようございます。本庄教会の疋田國磨呂先生をはじめ皆様、教会設立130周年おめでとうございます。10年前の120周年の時もお招きいただき、今回もお呼びいただき、光栄に思っています。その間に父親の葬儀もしていただき、ありがとうございました。
疋田先生からお手紙をいただき、私どもの教会で神学生、伝道師をしていた指方周平さんという現在東所沢教会の牧師をしている方と疋田先生が埼玉地区で親しくしている関係でもあるそうです。疋田先生を彼の教会で特別伝道礼拝にお呼びしたとも伺っております。
また、私の教会にも疋田先生から福井神明教会でお世話になったという人が児童館で働いていたこともありました。キリスト教世界は狭いなあとも思います。
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◯ 現在は京都におりますが元々本庄に生まれ本庄に18才まで住んでいた者です。本庄教会との関わりは、両親が私を近所の幼稚園に入れようと思い、募集の日母親と私がその園に並んでいたところ、私の前でちょうど定員となってしまい、やむなく家から少しばかり遠い本庄教会付属の友愛幼稚園に入園することになったことに始まります。4才でしたが、父親があの親戚の家のそばにある十字架のついた建物の幼稚園だと言っていたことは何となく覚えています。そこで「主の祈り」が早く覚えられたと言って持ち上げられたり、小学校に入ったら教会の中で行なっていた絵画教室にも通うようになり、自然と日曜学校、教会学校に通うようになりました。その後、群馬県のキリスト教主義学校の新島学園に中学から通い、京都の同志社大学神学部に進みました。父親が亡くなる少し前に聞いたことですが、私は父親の勧めか自分から安中の学校に行ったと思っていたのですが、あの学校を勧めたのは、どうも本庄教会の肥後吉秀牧師だったということでした。神学部を勧めたのもその息子さんで新島の英語教師の肥後正久先生でした。
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◯ こんなことを言いながら、私は恥ずかしながら、伝道師を3つの教会(弓町本郷、近江八幡、向日町)で経験いたしました。その間に自分はこの仕事は無理だ、伝道師ではなく、むしろイタリアに行って道化師の修行をしようとヨナのようにこの仕事から逃げていた時期もありました。その間、本庄の実家に戻り、深谷の赤城乳業でガリガリ君を作って箱詰めするアルバイトをしたり、当時の小出牧師の紹介で家庭教師のバイトもしていたりしたことがあります。また、そのような時代も、本庄教会の会員の方々から、日曜日温かく受け入れていただいたことを改めて感謝しております。柴田 彰先生、飯野敏明先生にもお世話になりました。自己紹介はこの位にしておきます。
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◯ さて、世界に数多くの宗教がありますが「キリスト教のもっている特徴は何か、他の宗教と比べた時の違う点は何か」と尋ねられたら、皆さんは何とお答えになるでしょうか。見える形の偶像を拝まない、ただ一人の神を信じる宗教と答えるでしょうか。それとも、創始者のイエスという人が、単に知恵ある言葉を語っただけではなく、十字架にはりつけにされ、三日後によみがえったことを信じる、復活を信じる宗教と答えるでしょうか。そういう教義であるとか、教理に関わる問題をあげていくべきなのは、言うまでもありませんが、もっと簡単にごく一般的なイメージとしての特徴をあげるとしたら、何でしょうか。
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◯ 仏教の中には座禅を組む宗派もあります。イスラム教は、日に5回決められた時間に皆で祈るとも聞きます。そうやって考えていくと、キリスト教は、歌う宗教ということが言えるのではないかと思います。自分自身を振り返ってみても、キリスト教の宗教音楽や讃美歌というものに触れていなかったら、クリスチャンになっていなかったのではないかと思うこともあります。
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◯ 私は25年程前兵庫県三木志染教会におりました時、教会から派遣されて一人でネパールに行ったことがありました。2週間程の滞在でしたが、ネパールで18年間医療活動をされた岩村 昇先生が教会員でしたので、養子にされたお子さんたちの家に厄介になりいろいろな所を見学することができました。教会はカトマンズのギャネシュワルチャーチという500人位の礼拝に出席しました。そこで歌われる讃美歌は、ゴスペル調のものやネパールに古くから伝わる民謡に詩編の詩をつけたものが多かったのを記憶しています。特に教会学校の礼拝では、振り付けが多くついていまして、ヒマラヤの山に登ろうという歌詞の時には、頭の上に手で三角をつくって歌うという興味深いものでした。
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◯ また、22年前イタリアのペルージャに2ヶ月、ボローニャに5ヶ月程滞在した時には、メソジスト教会に出席しましたが、日本のプロテスタントの教会の讃美歌とほとんど変わらない、歌いやすいものが多かったのを覚えています。パバロッティはボローニャの音楽院で学んだということを誇りにしている会員もいました。そこの礼拝に出席している時、隣に座っていたおばさんが「讃美歌をきれいに歌っていますね。」とほめてくれました。礼拝後の愛餐会の時、私は調子にのって、知っているカンツォーネ1960年代日本でもはやった「ほほにかかる涙」(ボビー・ソロ)とか「夢見る想い」(ジリオラ・チンクエッティ)といった布施明さんや伊藤ゆかりさんなども歌っていた曲をイタリア語で歌い出すと、60代70代のおじさんたちが一緒に歌い出し、10曲くらい歌ったでしょうか。みんな喜んで帰って行きました。ところが、礼拝の時に私をほめてくれたおばさんが私のところにやって来て言いました。「ブルッタ フィーネ!最低の終わり方だった」と言って帰って行かれました。ああ、教会で神に賛美ではなく愛だの恋だのばかり歌ったためだったのかと解釈しました。
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◯ いずれにいたしましても、キリスト教というのは、本当に神に賛美の歌声をあげるということを、大切にしてきたことが伺えます。2000年にわたるキリスト教の歴史をひもといていっても、どのキリスト教であれ、教会が幾多の迫害を受け、逆境に苦しんだ時にも、たといそれがカタコンベのような地下の墓場で礼拝を守っていたような時にも、人々は讃美歌を歌い続けてきたからです。クリスチャンが2、3人集まる所では、聖書が読まれ、祈りがささげられ、讃美歌が歌い継がれてきたのであります。
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◯ さて、先程読んでいただいた詩編の96編の冒頭には「新しい歌を主に向かって歌え」と記されていました。「新しい歌」と一口に申しますが、一体どんな歌なのでしょうか。「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言いますが、歌というのは、その時代、時代を映し出す鏡のように、次から次へと新しいメロディー、新しいリズムが新しい時代の空気を予感させるように、どんどん世に出てまいります。私の20代の頃には、四畳半フォークブームの後、ニューミュージックというのが文字どおり新しい音楽でした。松任谷由実さんであるとか、中島みゆきさんといった人たちの音楽を聴く機会が多かったように思います。今では、Jポップやラップなり、ダンス系の音楽なり、いろいろな形のものが生まれていることと思います。サカナクションなどなかなかシュールでいいなと思うこともあります。そういった新しい曲の中には、後生にスタンダードとして古典として残るものもあれば、懐メロとしてしか取り扱われなくなってしまうものもあるでしょう。やはり、はやりすたりというものがあります。
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◯ ある作曲家に言わせると、最新の歌といわれるものでも、よくその旋法を分析すると、日本の結構古い4、7抜き音階、ドレミファソラシドの、ファとシといった半音の抜けた形であることが多いと語っていました。そういう意味で言えば、ここでいう新しい歌というのは、何か上っ面で新しいというのではなく、根本的に新しいものと考えることができるかも知れません。コヘレトの言葉というのが、旧約聖書に載っていますが、そこにはこう書かれていました。「今あることは既にあったこと。これからあることも既にあったこと」というように。
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◯ ある旧約聖書学者が20年前にこんなことを語っていました。「現代文明の基本的性格の一つは<新しさ>の追求に見られる。新−発見、新−発明にはじまった近代的性格を継承している。それは裏返していえば、現代資本主義社会が<使い捨て社会>だということである。そして今、我らの社会は、ゴミ、公害、そして、高齢化問題に悩み、最大の政治問題と化している。しかし、これらの問題は、ナウな新しさだけを追求してきた現代というものの根本的な問題と深く関係する。政治問題の底にある生き方と考え方の根底に問題がある。問題は、正に宗教的、神学的課題である。それは焦点が今だけにおかれ、過去も未来も見えなくなる点にあり、時間と歴史全体をとらえる方法を失っている点にある」と指摘していました。であるならば、そういう<今>だけに非常に力点をおく現代社会というものに、この詩人の言う<新しい歌>とはどんな意味をもっているというのでしょうか。
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◯ 今日のこの詩編はふつう4つに分けて考えることができます。1〜3節。4〜6節。7〜9節。10〜13節と区分できます。1〜3、7〜9は、神への讃美を促す部分です。何を賛美すべきかは他の2つの部分に記されています。4〜6の前半は、「神が造り主にいます」こと。10〜13節は「神が裁き主にいます」ということです。ですから、この詩人が賛美しているのは、神が創造主であり、裁き主であるということです。このことは、詩人が、歴史の初めと終わりを深く捉えていることを示しています。また、これぞ私たち現代人が失いかけたもの、しかし、詩人がもっているものに他なりません。詩人は、このことを賛美して「新しい歌を歌え」と言っているのです。それは<今だけ>という時を超えています。
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◯ 詩人がここで言うところの「新しい歌」とは、93編、98編、99編などと共に終末論的詩編と呼ばれ、その最も古い形が、イザヤ書42章に登場しています。そこでは「新しい歌を主に向かって歌え」に続いて「地の果てから主の栄誉をたたえ」と記されています。それは他の箇所でも見られることです。であるならば、<新しい歌>と<地の果てから>とは、必ずセットになっているのがわかります。言い換えるならば、新しい歌とは、ふつう私たちが考える、前のものと比較して新しいとか、何々より新しいということではなしに、地の果てから賛美する歌というが本当の新しい歌なのだということです。<新しい歌>とは<終わりの希望の歌>なのだと言ってもいいでしょう。
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◯ 中世のキリスト教会では、世の終わり、終末についての教えを<デ・ノヴィッシマ>と言いました。ノヴァは、どこかの英会話学校の名前かと思われるでしょうが、新しいという意味ですね。音楽用語では、最も強くと言う時、フォルティッシモ、最も弱くという時、ピアニッシモと言いますが、デ・ノヴィッシマという場合は、<最も新しいこと>という意味です。一番新しい、一番今の瞬間を、<最後>に見る見方を示しています。昔の修道院では、日常的な挨拶の言葉は、おはよう、こんばんはの代わりに、<汝の死をおぼえよ>という意味の『メメント(おぼえよ)・モリ(死を)』を使いました。縁起でもないと思われる方もいらっしゃるでしょうが、これはいつも自分の死からdeathから物事を考える、物事の限界から自分を見つめ直す、そのことが生きるということを新しく意味づけていく、物事の限界の中に、新しさを見い出していく生き方。それが終末論的に生きるということであり、新しい歌に他なりません。
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◯ シチリアのパレルモにあるカプチン派のカタコンベを訪れたことがありました。あのカップチーノというお抹茶のように泡立ったミルクコーヒーの名前は、フードのついたカプチン派の僧衣が薄茶色をしているところからとって、カップチーノになったと言われています。そのパレルモのカタコンベには、8000体のミイラが保存されていました。中には不思議発見などにもクイズとしてとりあげられた「ロザリア」という2才のかわいい女の子のまるで生きているようなミイラもありました。どうしてこのような薄気味悪い墓をつくったのか、係の人に聞いてみました。それは、人間最後は皆死すべき者だということを視覚に訴えて伝えるためだということでした。まさにメメント・モリだと思わされました。
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◯ 心臓の脈拍が弱いために、大きな手術をして、心臓の働きを助けるペースメーカーを入れる手術をしたあるお医者さんが、ある時こんなことを話していたそうです。「私はね、一度死んでよみがえらされたようなものですよ。手術後、自分の体の中にペースメーカーが入っていることは、私に神様の大きな御心を考えさせてくれます。主イエスが共にいますことを思います。本当はこの機械があろうとなかろうと、神様のおゆるしがなければ、私たちは一時も生きていることはできないのですから。5年ずつ電池を変えるごとに、神様がまた5年生きることをゆるしてくださったのだなと感謝したくなります」と。
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◯ 私と同年輩の李ジョンスン宣教師という在日韓国人の女性の牧師がいました。ロックバンドも組んでいた人で、もうお亡くなりになりましたが、その方がお話しくださった韓国の「三年峠」という民話を思い出します。「ある山深いところに三年峠と呼ばれる峠があった。そこには石や岩がゴツゴツとあって、よく人がつまずいたそうです。そこで一度つまずくとあと3年しか生きられないという言い伝えがあって、そこはとても恐ろしい場所と言われてきました。しかし、うちのじいさんが隣村まで大切な用事があって、そこを通って行かなくてはならない。ある日そこをじいさんが通っていったところ、案の定、石につまずいてしまった。家中の者たちがじいさんの寿命があと3年だと言って嘆き悲しんだのです。その時、一番小さい孫が笑って言いました。『大丈夫だよ。おじいちゃん、1回転んで3年だったら、2回転べば6年は生きる。3回転べば9年は生きるじゃないか』それを聞いた家族は嬉しくなって、みんなで三年峠に出かけて行って、ゴロゴロゴロゴロ峠を転んで降りていって、みんなで長生きした」という話です。マイナスがプラスに変わっていく話です。
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◯ 人生ってそういうものじゃないでしょうか。長さは違っても、人間には死があり、この世には終わりがある、だから、走っていけるのではないでしょうか。トライアスロンならぬ、何万キロ、何十万キロずっと走り続けなければならないなら、それだけで気が遠くなってしまいます。主イエスが共にいますならば、一緒にゴロゴロ喜んで峠を転んで降りていこうじゃありませんか。それこそが<終わりの希望の歌>であり、<新しい歌>ではないでしょうか。
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◯ 私どもの教会員で、長らく肝臓癌で入退院を繰り返していた人がいました。元気な時には必ず礼拝に出席しておられました。しかし、最後の最後まで死が退散してしまう位に前向きに生きられ、シャンソンのコンサートを教会で3回、病院でも2回されました。越路吹雪さんや加藤登紀子さん、美空ひばりさんの歌などを歌っていました。私のような素人にも一緒に出なさいと言ってくださり、カンツォーネを歌ったことがありました。本当に最後の最後まで歌に生きられました。お見舞いに行ったこちらが逆に励まされて帰ってきたこともよくありました。あの歌こそ最も新しい歌だったのではないかと思わされます。
神様、本日は、設立130周年を迎えた本庄教会の方々と共に礼拝を守ることができまして、ありがとうございました。
私たちあなたによって生かされて生きていることをおぼえ、日々感謝をもって歩む者とならせてください。
本庄の地にあって宣教活動を行なっている疋田國磨呂先生、義也先生、勝子先生をはじめ教会員、関係者の方々の上にあなたからの祝福が豊かにありますように。
主の御名によっておささげいたします。
アーメン
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2018年10月7日(日)礼拝説教より
疋田國磨呂 牧師
聖書:イザヤ書60章19~22節、
ルカによる福音書12章22~34節
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本庄教会は、今年、教会設立130周年を迎え、21日には、本庄教会出身の入治彦牧師を迎えて記念礼拝を献げます。そこで、私も設立130周年を覚えつつ、これからの本庄教会の歩み、目指すところを主の御言葉からお聞きしたいと願い祈っています。
『本庄教会~設立100周年を記念して~』や『島村教会100年史』を読み返しました。
島村教会は昨年、設立130周年記念を迎え、本庄教会は1年後の今年が130周年を迎えました。『島村教会100年史』を読んでいると、1886年(明治19年)7月10日島村教会で、スペンサー教師より本庄の雨森氏正兄が洗礼を受け、9月13日にマックレー宣教師より本庄の清水恒造兄が洗礼を受けています。
この二人の兄弟が、本庄での伝道の主体となって、本庄でのキリスト教講演会を開き、今の伝道所にあたる講義所を開くのでした。1888年(明治21年)7月14日の第4回四季会に於いて、本庄、島村の両教会の連合を解き、各自分離することが決議さ
れました。
10月20日、本庄教会の献堂式が挙行され、この日を本庄教会の設立記念日とするようになったのであります。
本庄教会の100年記念誌によると清水恒造兄と雨森氏正兄について次のように記しています。
清水恒造兄は、養蚕業で、1886年(明治19年)頃、養蚕技術を学びに山口県の萩の士族授産施設に行った時、萩でキリスト教会の説教を聞き感銘を受けたのでした。病気になって萩を離れる時、聖書を買い求めて本庄に帰り、神様の話をしたけれども誰も理解する人がいなかったのです。
雨森氏正兄は、時計の修理行商を営み、行商の途中、ふとしたことから、1886年5月4日、安中教会の献堂式に出席し、信徒の熱心さと、海老名弾正牧師の祈りに大いに感銘し、キリスト教を求道するようになりました。
雨森兄は、本庄に帰り、清水恒造兄を訪ね、語り合う内にキリスト教伝道の必要性を確信し、二人は使命感をもって本庄の伝道を始めるようになったのです。
設立130周年を迎え、島村教会、本庄教会の100年史を読んで見て思うことは、教会の始まりは、キリストの福音・教えに触れて感動した2人、3人から始まっていることです。イエス様が「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」(マタイ18:20)と約束されているとおりです。
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今日、「イザヤ書」と「ルカによる福音書」を読んでいただきましたが、その中でイザヤ書60章22節「最も小さいものも千人となり、最も弱いものも強大な国となる。」
ルカによる福音書12章32節「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」の御言葉に注目したいのです。
最初は小さく、弱い者であっても千人の強大な国になり、神様は小さな群れに喜んで「神の国」を下さると言うことです。これは神様、イエス様のお約束なのです。
小さく、弱い者が、どのようにして「神の国」に与かることができるのかを確認したいと願います。
「神の国」は、ギリシア語のバシレイアが用いられ、マタイは55回、マルコは20回、ルカは46回用いています。ヨハネは2回しか用いていないのですが、「神の国」は「永遠の命」という言葉で言い換えられています。
王の国は、王様の権力や支配の及ぶところであるように、「神の国」の意味するところは、神様の権力、支配の及ぶところであります。神様が支配されているところが神の国なのです。神様が私たちの命を支配されるとヨハネが言うように「永遠の命」となるのです。
私たちは、神様に「神のかたち」として造られ、祝福された人間であります。ところが、アダムとエバが神様に背いて以来、造り主である神様を認めない罪のために、神様からの祝福と恵みが分からなくなり、自分中心になって、人間同士争い、殺し合うような状態にまでなってしまいました。神様を認めず、神様から離れている人間の罪を赦して、「神のかたち」を回復させようとして、神様は御子イエス様を誕生させて下さったのです。
イエス様は、人々に神様の愛と祝福を語り示し、最後には、人間の罪を赦すために自分の命を十字架の上に犠牲として献げられました。イエス様は十字架のうえで、「父よ、彼らをお赦しください。自分で何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)と祈りつつ命を献げられたのです。このイエス様の祈りと犠牲の命は、私の罪のためであったと信じる時、イエス様は私のキリスト・救い主であるとの信仰が告白されるのです。
キリストを信ずる時から、私たちの存在の全てが神様の愛と祝福の中に入れられ、神様の御支配をいただくことになるのです。
イエス様は言われました。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に神の国はあなたがたの間にある。」(ルカ17:20~21)
この御言葉は、〝今、あなたがたを支配されている神様が、ここにおられるのです。神の国がすでにキリストを信じているあなたがたの間に始まっているのです。〟と言っているのです。
しかし、しかし、イエス様は言われています。
「財産のある者が、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだか針の穴を通る方がまだ易しい。」(ルカ18:24~25)
財産がある金持ちは、財産やお金があることに安心してしまい、神様を求め、拠り頼むことは、らくだが針の穴を通るよりも、本当に難しい、と言われています。
小さい、弱い、貧しい者は、誰かの助けをいつも必要としているのです。助けを神様に求めるから、神様は助けて下さるのです。イエス様は、いつも小さい者、弱い者、貧しい者の傍らに立って、この人々を憐れみ、彼らに信ずる心を与え、神様の祝福と恵みに与からせて下さるのです。
萩の養蚕技術の授産施設に学んだ清水恒造兄は、教会で説教を聞き感銘して本庄に帰ってきましたが、誰も神様の話を理解しませんでした。一方、安中教会の献堂式に出席して感動した雨森氏正兄は、本庄に戻り、清水恒造兄を訪ねて、互いに受けた恵みを語り合いました。二人は、本庄でのキリスト伝道の必要性を確信して、使命をもって伝道をし始めるようになったのです。
私たちは、いつも、自分の小さいこと、弱いこと、貧しいことを思うと、何のお役に立つのだろうかと身を引いてしまいがちです。でも神様は、どんなに小さい者にも、どんなに弱い者にも、どんなに貧しい者にも、御言葉を通して神様の祝福、神様からの恵みを感じ取らせて下さるのです。その感じ取った恵みを2、3人で分かち合うところに復活のイエス様が共にいて下さるのです。そして、互いに受けた恵みを2倍、3倍に大きくして、御用に用いて下さるのです。
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私たちは、日々の生活で、どうしても、何を食べようか、何を着ようかと思い悩んでしまいます。美味しいものを食べて、きれいな衣服を身に着けても、その満しは一時的な満たしであります。もっと美味しいもの、もっときれいなものと、欲望がさらに増して行くだけで、心が満たされないのです。
イエス様は、言われています。「何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。」(ルカ12:29~31)
「ただ、神の国を求めなさい」とは、神様の事を第一にすることです。
神様の事を第一にすることは、神様の御言葉を第一にして聞くことです。そうすれば、神様は信ずる者の必要とする衣食住のことはすべてご存知ですから、必ず面倒を見て下さるのです。これはイエス様の約束です。
私たちは財産やお金がいっぱいあると、神様の事を第一にすることが本当に難しいのです。幸いにして、私は財産やお金はないので、それは神様にお委ねして、神様の事を第一にして仕えて来ました。不思議と、神様はその時その時の必要を満たしてくださるのです。
私たちは、日々の衣食住の事で思い悩んでしまう「信仰の薄い者たちよ」と言われてしまう小さな者です。イエス様は、そんな私たちに「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国を下さる。」と言って下さっています。
私は、昨年の4月から本庄教会に遣わされて本当に感謝しています。29年間、大宮教会という現住陪餐会員250名余りになった教会にいて、見えてこなかったことを見させていただき、気づかなかったことを気づかせていただいております。それは「小さな群れよ」とイエス様が呼びかけておられる御言葉の意味です。
前にも話したように、私が救われた時の羽咋教会は、牧師が司会兼説教者、奥様がオルガニスト、ベンチに座っているのが私というたった3人で礼拝が始まることがしばしばでした。しかし、そこに復活のキリスト、イエス様が御臨在くださり、自殺志願者の私を救い、牧師を辞めようとしていた牧師が「ここでもう一度牧師をやり直す」と決心をしたのです。キリストの御臨在のリアリィティ、キリストが共にいて下さる実感は小さな2、3人の群れの中で起きることを改めて再確認しました。
「小さな群れよ」というイエス様の呼びかけは、群れの大きい、小さいと言うことではなく、「わたしがいつも共にいる小さな群れよ」という意味だと感じ取れるようになりました。どんなに大勢の教会であっても、イエス様の御臨在を確認できるのが、イエス様の御名によって集まり、御言葉からいただいた恵みを分かち合う2、3人の群れなのです。
設立130周年を迎えた本庄教会のこれからは、誰もがイエス様の御臨在を絶えず確認でき、喜び合うことのできる神の家族としての教会を形成するために、御言葉を通していただく恵みを分かち合うことを目指して行きたいと願います。
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天の父なる神様、本庄教会は今月、教会設立130周年記念日を迎えます。その始まりは、教会で説教を聞いたり、祈りを聞いたりし、その恵みに感動した二人の分かち合いから、本庄でもキリストの福音を宣べ伝えたいと願い祈ったことでした。
神様、本庄教会の私たちも神様からの恵みを絶えず分かち合うことのできる場を大切にし、その恵みと喜びを、更に本庄市の人々に伝え分かち合うことができるようにお導き下さい。
主イエスの聖名によって祈ります。
アーメン。
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