月報『マラナタ』12号巻頭言

2018年度標語の学び(2)
『主よ、祈りを教えてください』

2019年2月3日、
24日、3月3日の礼拝説教より
ひきくに磨呂まろ 牧師ぼくし
聖書せいしょへん145しょう1-21せつ
ルカによる福音書ふくいんしょ11しょう1-13せつ
マタイによる福音書ふくいんしょ6しょう5-15せつ

1、「主の祈り」の構造と内容

 キリスト教の祈りの形は一般に、①初めに神様を「父なる神様」と呼びかけます。②祈りの内容(感謝・願い・懺悔など)は自由です。③終わりに「イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン」と言えれば、キリスト教の祈りなのです。

 この形はイエス様の教えられた「主の祈り」に基づいたものです。そこで「主の祈り」の構造と内容(週報の裏面を参考)について学びます。

「主の祈り」の構造と内容ですが、
呼びかけ:「天にまします我らの父よ」
第1の祈り:「ねがわくは御名をあがめさせたまえ。」
第2の祈り:「み国を来らせたまえ。」
第3の祈り:「みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ。」
 この第1~第3の祈りは、御名、御国、御心と神様に関する垂直関係の祈りです。

第4の祈り:「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。」
第5の祈り:「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。」
第6の祈り:「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。」
 この第4~第6の祈りは、私たち人間に関する水平関係の祈りです。

最後の祈り:「国と力と栄とは限りなくなんじのものなればなり。アーメン」
 この最後の祈りは、頌栄と呼ばれる神様の御業をほめたたえ賛美する祈りです。

2、神様への呼びかけ

 神様への呼びかけの「天にまします我らの父よ」は、マタイによる福音書では「天におられる私たちの父よ」となっており、ルカによる福音書では「父よ」となっています。おそらくルカの方が原型に近いのではないかと言われています。

 「天にまします」は、天におられるお方という意味で、十戒で「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。」と言われているユダヤ人は、神様の名を唱える代わりに〝天におられるお方〟と呼んだのです。

神様への呼びかけは、イエス様が十字架につけられる前にゲッセマネの園で汗が血の滴るように祈られた時「アッバ、父よ」と祈られたように「父よ」と祈れば良いのです。

 「アッバ」と言うのはアラム語で、ユダヤ人の家では幼子が父親を呼ぶときに用いられた言葉です。日本でいうと「お父ちゃん」「パパ」という幼児語です。ユダヤ教の祈祷文には例のない実に親密な呼びかけなのです。

 イエス様が、目に見えず畏れ多くて近づきがたいと思われていた神様を初めて「アッバ、お父ちゃん」と呼ばれたのです。そしてイエス様は、キリストを信じる者に「アッバ、お父ちゃん」と呼んで祈るように教えられたのです。小さい子供が「パパ」「ママ」と何の疑いもなく、全幅の信頼を持って親にしがみついてくるように、私たちは神様を「天におられる私たちのお父さん」と呼びかけることができるのです。

 天におられるお父さんと呼びかけることによって、天の神様と地上の私たちとの垂直(縦)の関係がつながるのです。これが「天にまします我らの父よ」の意味と恵みです。

3.「御名を崇めさせたまえ」

 第1の祈りの「ねがわくは御名をあがめさせたまえ」は、聖書ではマタイによる福音書もルカによる福音書も「御名があがめられますように」となっています。この第1の祈りは、願いではなく、賛美なのです。

 「崇める」(キリシア語でハギアゾー)とは、聖なるものとすること。人間のものから区別して神様のものとして扱うことの意味です。

 例えば、キリストを信じる者が聖なる者とされたということは、この世の人間の支配から神様の支配の中に置かれるということなのです。キリスト者は、もはや自分自身のものではなく、神様に支配された神様のものなのです。

 パウロは言っています。「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿って下さる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは代価を払って買い取られたものです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(コリントの信徒への手紙一6:19、20)

 私たちは、神様が十字架によってキリストの命の代価を払って買い取られた、神様のものとされた者です。だから聖なる者として神様の栄光を現すことができるのです。

 ところで、御名を崇めるということは、どんなことなのでしょうか。神の御名について、モーセが神様から「モーセよ、モーセよ」とホレブ山で呼びかけられた出来事があります。神様から「今、行きなさい。わたしはあなたをエジプトのファラオのもとへ遣わす。わが民イスラエルをエジプトから連れ出すのだ。」とイスラエルの出エジプトの使命を与えられた時のことです(出エジプト記3:1~15)。モーセは、イスラエルの民たちから、その名は何と言うかと聞かれた時、何と答えますかと神様に尋ねました。神様は「わたしはある。わたしはあるという者だ」と答えられました。「わたしはある」と言うことは、〝過去も現在も未来も変わることなくおられる〟と言うことです。以来、神様の御名は「『わたしはある』という方」と呼ばれるようになりました。

 しかし、十戒の第3戒に「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。」と命じられてから、人々はみだりに神様の御名を唱えることができなくなりました。それで「天におられるお方」と呼ばれるようになったのです。

 しかし、目に見ることのできない神様は、クリスマスの出来事を通して、御名を具体的にはっきりと私たちにお示しになりました。
 
 マリアが身ごもったことを知ったヨセフが、ひそかに縁を切ろうとしていた時、主の天使は夢に現れて、告げました(マタイによる福音書1:20~23)。

 「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子の名をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 このすべてのことが起こったのは、主が預言を通して言われていたことが実現するためであった。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

 神様の御名は、御子イエス様を通して「その名はインマヌエルと呼ばれる」と示されたのです。「インマヌエル」とは、神様が過去も現在も未来もいつまでも私たちと共におられると言うことなのです。モーセに示された「わたしはある」という方が、イエス様を信じる者と共にインマヌエルのお方、永遠に共におられるお方として、御名を示されたのです。

 ところが神様がイエス様と共におられるということを信じることは、世の人々にはそんなにたやすいことではありません。

 イエス様は、誰も生まれたことのない馬小屋の中に馬の餌箱をベッドとして生まれ、その生涯は貧しいヨセフとマリアの家で育ち、最後は、十字架につけられて死なれたというように、誰もそのようなイエス様と共に神様がおられることを信じることができなかったのです。あの弟子たちも、イエス様を裏切り、否み、見捨てて逃げて行ってしまったのです。
 
 イエス様は、十字架の上で、「父よ、彼らをお赦しください、自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカによる福音書23:34)と全ての人の罪の赦しを祈りつつ、死んで行かれました。三日目に、墓より復活されて弟子たちに現れ、神の御国のことについて教えられ、40日後に天の父なる神様の御許に引き揚げられました。
 
 弟子たち120人ほどが一つになって、心を合わせて熱心に祈っていたところに聖霊が降りました。一同は聖霊に満たされた時に、〝十字架につけられて死なれたが3日目に復活されたイエス様こそ全ての人々を救う救い主である。この十字架につけられたイエス様こそが神様の御名と愛を現されるお方である。〟と、ほかの国々の言葉で宣べ伝え始めたのです。
 
 ヨハネは言っています。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハネによる福音書1:18)

 パウロは言っています。「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマの信徒への手紙5:8)

 十字架につけられた独り子である神・イエス様において神様の御名が示され、また神様の愛が示されたのです。

 神様は、イエス様の出来事に神様の御名と愛を示されたのです。しかし、当時の人々はそれを受け入れることができなかったのです。いや、当時だけでなく今も、受け入れられない人々が多いのです。ここに集う私たちは、聖霊のお導きによって、十字架に付けられて死なれ、復活されたイエス様にこそ、神の御名と愛が現わされていることを信じることができているのです。

 御名が崇められるようにとは、十字架につけられた神の子イエス様こそが、神様の御名と愛を現されたことを信じて、神様の御名を崇めますと賛美の祈りをするのです。

 ある人は、〝御名を崇めるということは、神様の御名を自分の前に大きくすることである。そうすると自分は小さくなります。神様の御前に自分を小さくすることが神をほめたたえ賛美することなのです。〟と言っています。小さい自分を見つめると、神様の恵みがどんなに大きいものであるか分かり、神様の御手の中に置かれて生きることの喜びと感謝があふれてくるのです。

4.「御国を来たらせたまえ」

 第2の祈り「み国を来たらせたまえ」は、ルカによる福音書もマタイによる福音書も「御国が来ますように」となっています。

 「御国」とは「神の王国」を意味します。これは、人間の王制度から取った表現でありますが、人間的な支配体制を超えた純然たる神様の支配、神様を王とする世界を意味します。「神の国」=「神の支配」と言ってよいのです。

 イエス様は、「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間(ただ中に)にあるのだ。」(ルカによる福音書17:20~21)と言われています。

 御自身が神の子として誕生されたことによって神の国は実現していることを教えられています。即ち、イエス様をキリストと信じる者は、今、神様の御支配の中に置かれているので、神の国を生きる者なのです。同時に、御国が完成される終末的な出来事として到来することも告げています。

 ですから、この祈りは、〝今日も、あなたの御支配の中に生きる者として下さい〟と言う祈りなのです。キリストを信じて神様の御支配の中に生きる私たちを通して地上の神の国・神の支配が広げられて行くのです。

5.「御心を地にもなさせたまえ」

 第3の祈り「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」は、ルカによる福音書にはなく、マタイによる福音書にだけあって、「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」となっています。この第3の祈りは、第2の祈り「御国が来ますように」の説明であるとも言われています。

 神様の御心が天で行われているように、この地上にも行われますようにとの祈りです。これは信仰者個人が神様の支配に生きるだけでなく、地上の人間の生活の全般に及ぶ祈りです。また、神の国の完成を願う終末的な祈りであります。

 私たちは、神様の御心が地上に実現しますようにと、第2の祈り「御国を来たらせたまえ」と祈ります。しかし、この二千年間、イエス・キリストを通して「御名が崇められますように」と祈りつつ、神様の御名が崇められることの困難を覚えるように、「御国が来ますように」と祈る祈りの実現の困難をも覚えます。何故なのでしょうか。

 今回、この学びを準備していて気づかされたことは、実は「御国が来ますように」という祈りは、ユダヤ人たちの切実な祈りであったことです。

 旧約聖書では、神様が天と地とを創造され、世界を支配されていること(詩編19:1~5)、イスラエルの王として民たちを支配されること(イザヤ書44:6)、やがてメシアが来て王国を確立することの待望(イザヤ書9:5~6、11:1~5、ゼカリヤ書9:9~10)が告げられています。

 しかし、ユダヤ人たちの神の国を待ち望む祈りは、繰り返し繰り返し、民族的エゴイズムによって妨げられて実現しませんでした。自己の民族的願望と神の国の実現とが混同されていると指摘されています。

 エゴイズム・自己中心の願望が、神の国の実現を妨げ、イエス・キリストにおける神の御名を崇めることをできなくしてしまっているのです。エゴイズム・自己中心は神中心の反対語で、それが聖書の言う罪なのです。神様を中心にして、神様の御心を尋ね聞かないで、自分の願望や考えに基づくことがエゴイズム、罪の生き方なのです。

 私たちキリスト者も、「御国が来ますように」と祈りつつも、エゴイズム・自己中心によって御国の進展を妨げている可能性があるのです。だから、なかなか神の国が実現しないように思われるのではないでしょうか。〝人間の自己実現〟と「神の国の実現」を混同してはならないのです。

「御国を来たらせたまえ」という祈りにつきまといやすいエゴイズムを洗い落すために、第3の祈り「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈るのです。この第3の祈りを、実際に生き抜かれたのが御子イエス様なのです。

 私たちは、イエス様が十字架に架けられる前にゲッセマネの園で祈られた祈りを思い起こしたいと思います。イエス様は、ひざまずいて次のように祈られました。

「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行なってください。」(ルカによる福音書22:41~42)

 イエス様は自分の願いを捨てて、神様の御心のままに従って、全ての人間の罪を赦すために、御自身の命を十字架の上に献げられたのです。これは神様の私たちに対する犠牲愛(アガペー)なのです。この犠牲愛によって救われた信仰者は、自分の生活の中に神様の御心が行われますようにと祈り求めつつ歩むのです。

 御心とは神様の御計画なのです。神様は私たち一人一人に御計画を持って導いておられるのです。その神様からの御心・御計画が自分の生活を通して現わすことができるような生き方をして行きたいと祈り願いつつ「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈るのですが、この第3の祈りは、イエス様のゲッセマネでの祈り「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行なってください」という祈りと一体化させられることなくしては祈ることはできないし、また実現しないのです。

 私たちは「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈りつつ、神様の御心を何とか実現したいと願いながらも、お互いの思いが一つにならなかったり、病気や災いが起こったりして、なかなか物事が進まない場合が多くあります。

 創世記(45:4~8)のヨセフ物語でヨセフの言葉があります。
「わたしは、あなたたちがエジプトに売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。・・・・わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。」

 このように、神様の御心は人間の憎しみや恐れを超えて実現されるのです。

 また、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマの信徒への手紙8:28)との御言葉があります。この御言葉にしっかりととどまり、「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行なってください」と主イエス様の祈りに併せて祈りつつ歩んで行きましょう。
 
また、主日ごとに「わたしの王よ、神よ、あなたをあがめ世々限りなく御名をたたえます。」(詩編145:1)と神様を礼拝する生活に励んで行きましょう。

〈祈り〉

父なる神様、あなたの御名を賛美いたします。

クリスマスにお生まれになった神の御子・イエス様を通して、私たちは「天のお父さん」とあなたの御名を呼びかけることができることを感謝いたします。

十字架につけられ復活されたイエス様こそ、あなたの御名と御愛を現されたお方、インマヌエルと呼べるお方であることを知ることができ感謝し、御名を崇めます。

「御国を来たらせたまえ」と祈りつつも、その御国の進展を妨げているエゴイズムの罪のあることを、また自己願望の実現と御国の実現を混同しがちなことも知らされました。それゆえに、「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈ることのできる者であることを感謝します。

御言葉を通してあなたの御心に聞き従いますが、「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行なってください」とのイエス様の祈りを自分の祈りに併せて歩む者とならせてください。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。
 アーメン。

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受難節の聖句 (2019年)

ゴルゴダ trimmed small
3月6日からイエス様の受難じゅなんと十字架の恵みを覚える受難節じゅなんせつに入りました。4月21日の復活主日まで日曜日の講壇のお花はありませんので、聖書箇所のみ更新いたします。

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2019年4月14日聖書せいしょ

マタイによるふくいんしょ21しょう9せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年4月14日礼拝れいはい
(受難節第じゅなんせつだい6主日しゅじつ)

しゅくふくあれ、しゅ
よってひとに』
♪音声再生(4MB:34分)

受難週イエス様の歩み(約0.1MB以下)
説教者:ひきよし 牧師ぼくし


聖書箇所:へん118ぺん22-29せつ
マタイによるふくいんしょ21しょう1-11せつ
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2019年4月7日聖書せいしょ

マタイによるふくいんしょ6しょう12せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年4月7日礼拝れいはい
(受難節第じゅなんせつだい5主日しゅじつ)

われらのつみゆるしたまえ』
♪音声再生(5MB:39分)

説教者:ひきくに 牧師ぼくし


聖書箇所:サムエル12しょう1-14せつ
マタイによるふくいんしょ6しょう9-12せつ
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2019年3月31日聖書せいしょ

コリントのしんへのがみ4しょう10せつ,14-15せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年3月31日礼拝れいはい
(受難節第じゅなんせつだい4主日しゅじつ)

しゅイエスのいのちあらわれるために』
♪音声再生(4MB:33分)

説教者:ひきよし 牧師ぼくし


聖書箇所:しゅつエジプト33しょう18-23せつ
コリントのしんへのがみ4しょう10-15せつ
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2019年3月24日聖書せいしょ

マタイによる福音ふくいんしょ6しょう11せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年3月24日礼拝れいはい
(受難節第じゅなんせつだい3主日しゅじつ)

日用にちようかて今日きょうあたえたまえ』
♪音声再生(4MB:32分)

説教者:ひきくに磨呂まろ 牧師ぼくし


聖書箇所:しゅつエジプト16しょう9-31せつ
マタイによる福音書ふくいんしょ6しょう9-11せつ
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2019年3月17日聖書せいしょ

マルコによる福音ふくいんしょ3しょう35せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年3月17日礼拝れいはい
(受難節第じゅなんせつだい2主日しゅじつ)

『わたしたちはかみぞく
♪音声再生(5MB:40分)

説教者:ひきくに磨呂まろ 牧師ぼくし


聖書箇所:へん133しょう1-3せつ
マルコによる福音書ふくいんしょ3しょう31-35せつ
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2019年3月10日聖書せいしょ

コリントのしんへのがみいち12しょう26~27せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年3月10日礼拝れいはい
(受難節第じゅなんせつだい1主日しゅじつ)

まじわりにきるよろこび』
♪音声再生(5MB:45分)

説教者:ひきかつ 牧師ぼくし


聖書箇所:へん133しょう1-3せつ
コリントのしんへのがみいち12しょう12-27せつ
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講壇こうだんのお花(#49)*
19.3.3 flower no.49(resized)

2019年3月3日聖書せいしょ

マタイによる福音書ふくいんしょ6しょう10せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年3月3日礼拝れいはい
(降誕節第こうたんせつだい10主日しゅじつ)

こころてんおこなわれるようにうえにも』
♪音声再生(4MB:32分)

説教者:ひきくに磨呂まろ 牧師ぼくし


聖書箇所:創世そうせい45しょう4-8せつ
マタイによる福音書ふくいんしょ6しょう9-10せつ
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日本キリスト教団本庄教会
〒367-0044 埼玉県本庄市見福3-4-1
TEL 0495(22)2785


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『マラナタ』11号 報告

埼玉地区講壇交換より

 本年度の講壇交換は、鴻巣教会との間で1月27日(日)に行われました。現、埼玉地区長の鴻巣教会牧師 川染三郎 先生においでいただき、以下の聖書箇所に基づき「新しい契約に生きる」との説教題で、御言葉を取り次いでいただきました。

 エレミヤ書31:31~34
 テサロニケの信徒への手紙一 2: 1~ 8

 川染先生は、鴻巣教会付属英和幼稚園の園長もされており、幼稚園児とのふれあいについてもお話しくださいました。

 「神に愛されている希望」、「子どものようにありのままに神の愛を受け入れること」、「教会の中にキリストが形作られていく確信を持つこと」、「キリストの愛を分かち合う信仰生活」の大切さを、力強く語ってくださいました。特に印象的だったのは、「神は決して見放さない。神には憐れみがあり赦しがある。神様の方から我々を追い求めてくださる。」とのメッセージでした。

 礼拝後、教会ホールで川染先生を囲んで茶話会(カレー会食)を持ちました。

 礼拝出席者26名中17名が参加し、説教で語られた御言葉を受けて、それぞれが感想を述べ合い、御言葉を分かち合う機会を得ました。恵まれた時に感謝いたします。

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月報『マラナタ』11号巻頭言

『主よ、祈りを教えてください』

2019年1月6日(日)礼拝説教より
ひきくに磨呂まろ 牧師ぼくし
聖書せいしょ:イザヤしょ61しょう10せつ
ルカによる福音書ふくいんしょ11しょう1-13せつ
マタイによる福音書ふくいんしょ6しょう5-15せつ

1、「主の祈り」からの学び

 2018年度標語の「主よ、祈りを教えてください」は、主の弟子がイエス様に「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください」(ルカ11:1)と言ったことを「主よ、祈りを教えてください」を短く表現したものです。

 私たちキリスト者は、キリスト者としてどのように祈るかを、弟子たちのようにイエス様から教えてもらわなければならないのです。

 私たちの祈りの多くは、信仰の先達たちの祈りの見様見真似で身に着けたものであります。私は神学校でも祈りの仕方について学びませんでした。

 そこで、本庄教会として「主よ、祈りを教えてください」とイエス様が弟子たちに教えられた「主の祈り」を通して共に祈りについて学びたいと願っています。私たちの祈っている「主の祈り」は文語調ですが、これに基づいて、一つ一つの祈りについて御言葉から聞きたいと考えました。ですから、次年度に入り込みますが、ご了承ください。

2、「主の祈り」をめぐる6つの教え

 「主の祈り」は、ルカによる福音書11:1~13のほかに、マタイによる福音書6:9~15でも記されています。

 ルカもマタイも「主の祈り」の本文に付随して、語られていることがあります。その御言葉を取り次ぎます。次回から本文を何回かに分けて取り次ぎます。私は「キリスト入門講座」でも「主の祈り」について取り扱っています。

 イエス様は「主の祈り」を教えられるに当たって、ルカ、マタイにおいてそれぞれ3つのことを言われています。

ルカ11・1~13では

(1)イエス様の直伝の祈り

 弟子の1人が「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言ったことに対して、イエス様は「祈るときには、こう言いなさい」と言って「主の祈り」を教えられています。イエス様は、朝早く起きて祈られ、夕方一人になって祈っておられる姿は聖書に記されています。また、十字架にかかる前に、ゲッセマネの園で、汗が血の滴るように苦しみ悶え、切に祈られた姿も(ルカ22:44)記されています。しかし、祈りの全体の形や内容は全く記されていません。

 イエス様は「主の祈り」を通して、初めて弟子たちに直接、祈りの形や内容を教えられているのです。以来、2000余年間、イエス様が「祈るときはこう言いなさい」と教えられたとおり、キリストを信じる者たちは世界中、自分の国の言葉で祈ってきているイエス様直伝の「主の祈り」なのです。

(2)祈りの姿勢

 イエス様は弟子たちに次の話をされました。「友達が真夜中に来て、『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』と言いました。すると友は『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』と言いました。

 しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはしなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるだろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。」

 祈りの姿勢は、「しつように頼む」ことです。しきりに頼む、切実に頼むとも訳されています。しつように求め、探し、門をたたくことなのです。

 イエス様は「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。」(ヨハネ14:13、Ⅰ5:16、16:23)と約束されています。約束を信じて、あきらめないで、しつように頼み、求め、探し、門をたたくのです。

(3)求める者に与えられる聖霊

 「まして天の父は求める者に聖霊を与えて下さいる。」と言われています。

 イエス様はマタイ福音書で「あなたがたの天の父は求める者に良い物を下さるにちがいない」(マタイ7:11)と言われています。どうして「聖霊」は「良い物」なのでしょうか。

 祈りの答えとして聖霊が与えられるとは、神様の御心は何処にあるのかを悟らせるためなのです。神様の祈りの答えには、4つのパターンがあると言われます。

①祈り願ったことが、そのまますぐ答えられることです。

②祈り願ったことが、内容を変えて答えられることです。

③祈り願ったことが、時間が経ってから答えられることです。

④祈り願ったことが、絶対駄目、叶えられないのではないかと思われる答えです。

 どの答えが自分に最も良い物として与えられているのか、その答えを悟り分からせて下さるのが聖霊なのです。

マタイ6:5~15では

次の三つのことが言われています。

(4)祈りの場所、密室の祈り

 祈りは、会堂や大通りの角に立って人に聞かせたり見せたりするのではなく、神様と一対一の祈りができることが基本です。イエス様は「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父は報いて下さる。」と言われています。神様は決して隠れてはおられるのではないのですが、私たちの隠れた所での祈りを聞いてくださる神様であるということです。〝密室の祈り〟と言います。

 或る兄弟は、私の密室は大宮駅から東京駅の電車の中だと言われました。始発の電車に着席して、小型の聖書で日課を読んで神様からの御言葉を黙想し、祈るのだそうです。小1時間、周りの人々のことが全く気にならず集中できるそうです。

(5)くどくどと述べて祈らない

 イエス様は「異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。」と言われています。ある宗教ではお経を一万回唱えると御利益が与えられると言っています。
しかし、イエス様は彼らのまねをしてはならないと言われます。なぜならば、「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じ」だからです。

 人間の親も、小さい子供の必要とするものや欲しがっているものを知っていて与えます。まして父なる神様は私たちの必要をすべてご存知なのです。だから異邦人のようにくどくど祈らないのです。「〇〇をお願いします」率直に願い求めるのです。

(6)人の過ちを赦すこと

 人の過ちを赦すことは、本当に難しいものです。イエス様は「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。と言われています。」私たちは、神様からキリストの十字架の贖いを通して赦しの恵みをいただくことによって、初めて人を赦すことができるのです。それであるのに、赦すことがなかなか難しいのです。人の過ちを赦すことは、祈りの最大の課題であります。

3、なぜイエス様に「祈りを教えてください」と頼むのか

 今日皆さんと考えたいことは、弟子たちはなぜ「わたしたちにも祈りを教えてください」と願ったのかと言うことです。

 弟子たちはユダヤ人でありますから、1日に午前9時、正午、午後3時に、どこにいても祈るように決められていました。ですから弟子たちは誰も祈ることを知っていたはずです。イスラム教徒も1日に何度か祈る時間が決められていて、小さなじゅうたんを敷いて、メッカの方に向かって額をすりつけては祈っています。額に祈りだこができるのだそうです。

 私たち日本人も、神仏に祈っています。正月三が日に神社やお寺に初もうでに多くの人々が出かけていることが報じられています。この人々は、普段は、宗教と関係のないような生活をしていても、正月には神社仏閣に出かけて、新しい1年が幸いであるように祈り願っているのです。

 祈りと言うのは、世界中のどの国のどんな宗教でも見られる普遍的な宗教的営みであります。

 祈ることを知っている弟子たちが、なぜイエス様に祈ることを教えてくださいと願ったのでしょうか。

 ルカは、イエス様が神様に徹夜の祈りをして12人の弟子を選ばれたこと(ルカ6:12)を記しています。マルコは、12人を選んだのは「彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった」(マルコ3:14~15)と記しています。

 12人の弟子たちは、イエス様のそばに置くために選ばれたのです。ですから、イエス様の祈る姿もよく見ていたのです。自分たちはユダヤ人として1日3回祈ることをしてきたが、イエス様の祈る姿に、自分たちと違った何かがあると感じ取ったのではないでしょうか。それは一体何なのでしょうか。

 ルカによる福音書の3:21や、9:29に、その何かを感じさせるものがあります。

・ルカ3:21~22(106頁)
 イエス様が洗礼を受けた時の出来事です。
「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたは私の愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」

・ルカ9:29~30、35(123頁)
 イエス様が山の上で姿が変わった出来事です。
「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤであった。」
 この時も「すると、『これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け』と言う声が雲の中から聞こえてきた。」とあります。

(1)初めて神様を「父よ」と呼んで祈ら
れた。

 イエス様は、人間として生まれ、人間の貧しさや弱さ、悲しみや苦しみなど全てをご覧になってお育ちになりました。罪なきお方でしたが、人間として「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」(マタイ3:15)と言われて、悔い改めのバプテスマをヨハネから受けられました。その時、聖霊が鳩のように降って、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が天から聞こえたのです。

 この天からの声に答えて、聖霊に導かれて、イエス様はゲッセマネの園の祈りの最初にあるように、「父よ(アッバ)」という言葉を語られたのです。人間の歴史において初めて神様を「父よ」と呼ばれたのです。

 そして、イエス様の姿が変わることを通して、人としてお生まれになったイエス様が神の子であることが現わされたのです。
 
 弟子たちは、イエス様が神様を「父よ」と呼んで祈り、「これは私の愛する子」と天からの声が聞こえたりするこの神様とイエス様との親密な姿は自分たちの祈りにないことに気づいたのではないでしょうか。

 イエス様がバプテスマを受けられて聖霊が降った出来事は、すべての人々のバプテスマにおいて起きる祝福なのです。私たちも洗礼を受けると、天から聖霊が降って私たちの内に宿って下さり、「わたしの愛する子、わたしの心に適う者」とされて、「救いの衣」と「恵みの晴れ着」(イザヤ61:10)をまとった神の子供とされて歩むのです。

 そして、目に見えない神様をイエス様と同じように神の子供として「アッバ、父よ」「天の父よ」と呼んで祈ることができるのです。

(2)垂直次元の祈り

 ユダヤ人を始め世界の人々は祈りをしているのですが、天の神様に向かって「父よ」と祈るのはイエス・キリストを信じる者だけなのです。

 私たち人間は、「主の祈り」を通して、初めて神様を「父よ」と言って祈ることができるようになったのであります。

 ある人は、主の祈りがもたらした祈りは、人間の心を垂直次元の動きをもつ神様へとむけられた言葉であると言っています。

 イエス様が教えられる祈りは、神様を「父よ」と呼ぶことを通して神様と私たちという縦の関係、垂直次元の関係を成り立たせる祈りなのです。

 これに比べて、私たちの周りに見られる祈りは、自分を中心とした水平次元の祈りなのです。日本人の祈りは、神仏を動かして自分の願いを聞かせようとする祈りなのです。

 私たちは、神様を「天の父なる神様」と呼んで祈る祈りの中で、自分の願いを率直に訴え答えられる喜びを知ります。また、自分の思いが叶えられる喜び以上に、父なる神様の御心を知り、神様の御心に応えて従う喜びも知るのです。

 この1年、神様を「父よ」と呼んで、垂直次元に働く祈りの恵みを豊かに頂き、味わいたいと願います。

 キリスト者の中で、祈るとき、「神様」とだけ呼びかける祈りをする方もおられますが、是非、「父なる神様」と「父なる」をつけることをお勧めします。私は18歳になるまで罰や呪い、たたりを与える日本の神仏を恐怖の中で神様と呼んできました。しかし、イエス様を通して知らされた神様は人間を祝福し、救い、愛される神様なのです。イエス様が祈られたように、私たちも神様を「父よ」、「天のお父さん」とお呼びして、救いの衣と恵みの晴れ着をつけた神の子供として感謝と喜びを分かち合う生活をする2019年といたしましょう。

〈祈り〉

 天の父なる神様、
 2019年という新しい年を あなたの御子イエス様の誕生を祝う喜びと共に迎えることができました。「主よ、祈りを教えてください」と2018年度標語として掲げていますが、「主の祈り」を通して、私たちが心新たにして祈ることができるようにお導き下さい。

 イエス様は、神様を「父よ」と呼んで祈ることを教えてくださったので、私たちは天の神様が私たちに働きかけてくださる垂直次元の祈りの恵みに与かることができています。この神様を天の父と呼び、垂直次元の祈りの恵みに与かるのはキリスト者に与えられている特権です。この特別の祈りの恵みを新年も豊かに頂けるようにしてください。

 道を求めておられる方々が、この素晴らしい垂直次元の恵みに与かることができるように聖霊なる神様がお働き下さい。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
 アーメン。

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樋野興夫博士 特別がん講演

多くの方々にがん特別講演会にお越しいただきありがとうございました。
医学博士の樋野ひのおき先生のご講演の音声とスライドを公開いたしましたので、ページ下方のリンクを御覧ください。
 また、毎月第3金曜日には14:00から、本庄ガン哲学カフェが行われています。➢詳細はこちらをクリック・タッチ

終了後 樋野先生講演会 (resized-2)

*樋野先生ご講演の音声・スライドを公開しました*

留意事項をご確認いただいた上で、どうぞご利用ください。

ご留意事項とお願い

*音声とスライドは約36MBの容量です。特にスマートフォンの携帯回線の方は、通信量にご注意ください。
*Googleの仕様のためサインインを求められることがありますが、サインインの必要はありません。基本的にはそのままでご利用いただけます。サインインを求められた場合、プライベートモード・シークレットモード等でブラウザを立ち上げて頂くと、サインインせずに利用できます。
*音声リンクの他ウェブサイトへの転載・埋め込みはお控えください。
*アクセスが集中しますと、エラーメッセージ(現在、このファイルを閲覧、ダウンロードできません…)と表示される場合があります。不具合・不備がある場合は、下記リンク先のフォームにてお知らせ頂けると幸いです。修正いたします。なお不具合報告フォームでの回答はメールアドレス等の情報を必要とせず、匿名で行われます

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樋野興夫先生 resized 講師:樋野ひのおき医学博士
「種を蒔く人になりなさい
~楕円形のこころ:ガン哲学のエッセンス~」
(容量約36MB/音声約50分)
➢音声とスライドを視聴するにはクリック・タッチ

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日本キリスト教団本庄教会

〒367-0044 埼玉県本庄市見福3-4-1  TEL 0495 (22) 2785

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2019年2月の生花

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講壇こうだんのお花(#48)*
19.2.24 flower no.48(resized)

2019年2月24日聖書せいしょから

ルカによる福音書ふくいんしょ11しょう4せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年2月24日礼拝れいはい
(降誕節第こうたんせつだい9主日しゅじつ)

くにますように』
♪音声再生(4MB:32分)

説教者:ひきくに磨呂まろ 牧師ぼくし


聖書箇所:へん145へん10-13せつ
ルカによる福音書ふくいんしょ11しょう2-4せつ
***

講壇こうだんのお花(#47)*
19.2.17 flower no.47(resized)

2019年2月17日聖書せいしょ

マルコによる福音書ふくいんしょ8しょう6-8せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年2月17日礼拝れいはい
(降誕節第こうたんせつだい8主日しゅじつ)

しゅイエスとともにいることの安心あんしん
♪音声再生(4MB:37分)

説教者:ひきかつ 牧師ぼくし


聖書箇所:へん23へん1-3せつ
マルコによる福音書ふくいんしょ8しょう1-9せつ
***

講壇こうだんのお花(#46)*
19.2.10 flower no.46(resized)

2019年2月10日聖書せいしょ

ホセアしょ14しょう9せつ後半こうはんと、ルカによる福音書ふくいんしょ6しょう6-11せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年2月10日礼拝れいはい
(降誕節第こうたんせつだい7主日しゅじつ)

あくではなくいものを、
ほろびではなくいのちを』
♪音声再生(3MB:30分)

説教者:ひきよし 牧師ぼくし


聖書箇所:ホセアしょ14しょう5-10せつ
ルカによる福音書ふくいんしょ6しょう6-11せつ
***

講壇こうだんのお花(#45)*
19.2.3 flower no.45(resized)

2019年2月3日聖書せいしょ

ルカによる福音書ふくいんしょ11しょう2せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年2月3日礼拝れいはい
(降誕節第こうたんせつだい6主日しゅじつ)

御名みなあがめられますように』
♪音声再生(3MB:30分)

説教者:ひきくに磨呂まろ 牧師ぼくし


聖書箇所:へん145へん10-13せつ
ルカによる福音書ふくいんしょ11しょう2-4せつ
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日本キリスト教団本庄教会
〒367-0044 埼玉県本庄市見福3-4-1
TEL 0495(22)2785


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2018年度特別礼拝・行事 (履歴)

*教会の住所*地図
〒367-0044 埼玉県
本庄ほんじょう見福けんぷく 3-4-1
電話:0495 (22)2785
礼拝は毎日曜日
10:30~11:45頃
どなたも歓迎!

*礼拝は毎週日曜日10時30分から行っています。
*こちらは既に行われた2018年度の特別礼拝・行事を表示しています。2019年度の特別礼拝・行事につきましては「年度予定」のページにてこれから掲載してゆきます。

2018年度

日付 行事内容 詳細
2018年
4/1 (日) 復活日ふっかつび礼拝れいはい
(イースター)
イエス・キリストの復活ふっかついわ礼拝れいはいです。
5/20 (日) 聖霊降臨せいれいこうりん礼拝れいはい
(ペンテコステ)
聖霊せいれいがキリストの弟子でしくだり、教会きょうかい誕生たんじょうしたことを記念きねんする礼拝れいはいです。
5/27 (日) 三位さんみ一体いったい主日礼拝しゅじつれいはい キリストの生涯しょうがいと、聖霊せいれい降臨こうりんおぼえ、神様かみさまちち聖霊せいれい三位さんみ一体いったい神様かみさまであられることをおぼえて礼拝れいはいします。
6/10 (日) はなどもの礼拝れいはい どもたちのために祝福しゅくふくいの礼拝れいはいし、そののち病気びょうきなど理由りゆう教会きょうかいれない方々かたがたにおはなとどけます。
8/5 (日) 平和へいわ聖日礼拝せいじつれいはい 世界せかい平和へいわいのねがい、また神様かみさまがイエス・キリストをとおしてしめされた平和へいわおぼえて礼拝れいはいします。
9/9 (日) 恵老けいろう(敬老けいろう)の礼拝れいはい 敬老けいろうおぼえて、ご高齢こうれいかたのためにかみ祝福しゅくふくいの礼拝れいはいします。
9/9 (日)*

*16日から1週間繰り上げとなりました。
恵老の日礼拝と合わせて行います!

教会きょうかい1日いちにち研修会けんしゅうかい 礼拝れいはいののちに信仰生活しんこうせいかつをよりゆたかにするためのまなびのときちます。
◆◇◆主題しゅだい◆◇◆
「ディボーションのわかかちい」
◆◇◆◇◆◇◆◇
<プログラム>
礼拝れいはい説教せっきょういのりとディボーション』をき、軽食けしょく講義こうぎのち聖書日課せいしょにっかより「めぐみのかちい」を実践じっせんします!
10/14 (日) 神学校しんがっこう礼拝れいはい 伝道者養成でんどうしゃようせいつとめるおおくの神学校しんがっこうはたらきをおぼえ、あらたに伝道でんどうこころざもの献身者けんしんしゃ)があたえられるよういの礼拝れいはいします。
10/21 (日) 本庄教会ほんじょうきょうかい設立せつりつ130周年しゅうねん念礼拝ねんれいはい・・・「みんなで礼拝れいはいまも」として 本庄教会ほんじょうきょうかい今年ことし10がつ21にち設立せつりつ130周年しゅうねんむかえます。これまでのあゆみへの感謝かんしゃをもって礼拝れいはいし、食事しょくじによるいわいのときちます。どなたもふるってご参加さんかください!
10/21(日)10/28(日)キリストきょう教育週間きょういくしゅうかん
10/31 (水) 宗教しゅうきょう改革かいかく記念日きねんび 1517ねん10がつ31にちマルチン・ルターによって宗教しゅうきょう改革かいかくはじめられたことをねんするです。
11/4 (日) 永眠者えいみんしゃ念礼拝ねんれいはい これまで逝去せいきょされた方々かたがたおぼねんする礼拝れいはいをします。
11/11(日)11/17(土)しょうがい者週間しゃしゅうかん
11/23 (金) 友愛幼ゆうあいよう園卒園生えんそつえんせい保護ほご者同窓会しゃどうそうかい
14:00~17:00
本庄教会ほんじょうきょうかい設立せつりつ130周年しゅうねんねんぎょう一環いっかんとして、これまでの友愛幼ゆうあいよう園関係者えんかんけいしゃ方々かたがた同窓会どうそうかいおこないます。
11/25 (日) 収穫しゅうかく感謝かんしゃ
謝恩しゃおん礼拝れいはい
17せいにイギリスからアメリカに信仰しんこうゆうもとめてわたったピューリタンがはじめた礼拝れいはいならい、神様かみさまくださるみのりのめぐみを感謝かんしゃし、またごろ世話せわになっている方々かたがた感謝かんしゃをして礼拝れいはいおこないます。
12/2(日)12/24(月)
待降節たいこうせつ(アドベント)
イエスさま御生おうまれになったクリスマス(12/25)までの4しゅうかん礼拝堂れいはいどうのローソク(クランツ)を日曜にちようごとにともして4週間しゅうかんかぞえます。
12/23 (日) 主日降誕しゅじつこうたん礼拝れいはい
(クリスマス)・
愛餐会あいさんかい教会きょうかい学校がっこう合同ごうどう
イエス・キリストの誕生たんじょうねんしてクリスマス(12/25)のしゅう日曜にちよう主日しゅじつ)に礼拝れいはいし、食事しょくじともにしながらおいわいのときちます。どもたちも一緒いっしょにクリスマスをおいわいします。
12/24
(月・祝)
クリスマス・イヴ礼拝れいはい
19:00~20:00
イエス・キリストの誕生たんじょうねんして、クリスマス(12/25)の前夜ぜんやeveイヴ)に礼拝れいはいし、いわいます。
2019年
1/6 (日) 公現こうげん(栄光祭えいこうさい)・新年礼拝しんねんれいはい 公現こうげん東方とうほう博士はかせがおうままれになったイエス・キリストを訪問ほうもんしたねんします。わたしたちをすくうためにイエスさま誕生たんじょうされたこと、またあたしいとしむかえたことに感謝かんしゃして礼拝れいはいします。
3/6(水)~4/20(土)
受難節じゅなんせつ(レント・旬節じゅんせつ)
はい水曜すいよう(3/6)にはじまり、復活祭ふっかつさい(イースター)までの日曜にちようのぞく40日間続にちかんつづきます。イエス・キリストがわたしたちのつみゆるされるため十字架じゅうじかかられたことをおぼえ、そのめぐみに感謝かんしゃする日々ひびごします。
3/24 (日) 樋野ひのおき博士はかせ
特別とくべつがん講演こうえん
(会場かいじょう 13:30)
14:00~15:30
本庄ほんじょうがん哲学てつがくカフェ発足ほっそく記念きねんしてがくはか樋野ひのおき先生せんせい講演こうえんをしていただきます。
➢詳細はこちら

その他の期間の予定

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2017年説教

*教会の住所*地図
〒367-0044 埼玉県
本庄ほんじょう見福けんぷく 3-4-1
電話:0495 (22)2785
礼拝は毎日曜日
10:30~11:45頃
どなたも歓迎!

以下の♪音声再生ボタンをクリックする(押す)とページが開きます。その後、再生ボタン()を押して頂くと説教音声が始まります。

*音声再生時の巻き戻し方法*

パソコンの方:音声の再生中・停止中に「Shiftキー」を押しながら「十字キーの左(◂)」を押します。
スマートフォンの方:再生位置表示(シークバー)に示されている掴み(現在位置)を任意の時間(巻き戻しなら左)までずらしながら移動させ、離します。

ご留意事項とお願い

*各3~5MB程度の容量です。通信量にご注意ください。
*紙の擦れる音等、除ききれない雑音が入ることもあります。特にイヤフォンで聴かれる方は、音量にご注意下さい。
*Googleの仕様のためサインインを求められることがありますが、サインインの必要はありません。基本的にそのままで音声が聞けます。サインインを求められた場合、プライベートモード・シークレットモード等でブラウザを立ち上げて頂くと、サインインせずに利用できます。
*音声リンクの他ウェブサイトへの転載・埋め込みはお控えください。
*音声再生に際してエラーメッセージ(現在、このファイルを閲覧、ダウンロードできません…)やリンクの不備がある場合は、下記リンク先のフォームにて当該説教の日付をお知らせ頂けると幸いです。修正いたします。なお不具合報告フォームでの回答はメールアドレス等の情報を必要とせず、匿名で行われます

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他の期間の説教音声

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2017年
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2017年説教音声

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他の期間の説教音声

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2017年
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2018年説教 前半(6~1月)

*教会の住所*地図
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礼拝は毎日曜日
10:30~11:45頃
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*音声再生時の巻き戻し方法*

パソコンの方:音声の再生中・停止中に「Shiftキー」を押しながら「十字キーの左(◂)」を押します。
スマートフォンの方:再生位置表示(シークバー)に示されている掴み(現在位置)を任意の時間(巻き戻しなら左)までずらしながら移動させ、離します。

ご留意事項とお願い

*各3~5MB程度の容量です。通信量にご注意ください。
*紙の擦れる音等、除ききれない雑音が入ることもあります。特にイヤフォンで聴かれる方は、音量にご注意下さい。
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2018年6~1月
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2018年説教音声 前半(6~1月)

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他の期間の説教音声

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2018年6~1月
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