2020年度特別礼拝・行事 (履歴)

*教会の住所*地図
〒367-0044 埼玉県
本庄ほんじょう見福けんぷく 3-4-1
電話:0495 (22)2785
礼拝は毎日曜日
10:30~11:45頃
どなたも歓迎!

*礼拝は毎週日曜日10時30分から行っています。
*こちらは既に行われた2020年度の特別礼拝・行事を表示しています。

2020年度

日付 行事内容 詳細
2020年
2/26(水)~4/11(土)
受難節じゅなんせつ(レント・旬節じゅんせつ)
はい水曜すいよう(3/6)にはじまり、復活祭ふっかつさい(イースター)までの日曜にちようのぞく40日間続にちかんつづきます。イエス・キリストがわたしたちのつみゆるされるため十字架じゅうじかかられたことをおぼえ、そのめぐみに感謝かんしゃする日々ひびごします。
4/21 (日) 復活日ふっかつび礼拝れいはい
(イースター)
*今年は新型肺炎の影響により、インターネット中継で礼拝が行われました。
イエス・キリストの復活ふっかついわ礼拝れいはいです。
5/31 (日) 聖霊降臨せいれいこうりん礼拝れいはい
(ペンテコステ)
*今年は新型肺炎の影響により、インターネット中継で礼拝が行われました。
聖霊せいれいがキリストの弟子でしくだり、教会きょうかい誕生たんじょうしたことを記念きねんする礼拝れいはいです。
6/7 (日) 三位さんみ一体いったい主日礼拝しゅじつれいはい
*この日より、会堂に集まっての礼拝を再開しました。
キリストの生涯しょうがいと、聖霊せいれい降臨こうりんおぼえ、神様かみさまちち聖霊せいれい三位さんみ一体いったい神様かみさまであられることをおぼえて礼拝れいはいします。
6/14 (日) はなどもの礼拝れいはい
午前10:30~
どもたちのために祝福しゅくふくいの礼拝れいはいし、そののち病気びょうきなど理由りゆう教会きょうかいれない方々かたがたにおはなとどけます。
8/2 (日) 平和へいわ聖日礼拝せいじつれいはい 世界せかい平和へいわいのねがい、また神様かみさまがイエス・キリストをとおしてしめされた平和へいわおぼえて礼拝れいはいします。
9/13 (日) 恵老けいろう(敬老けいろう)の礼拝れいはい 敬老けいろうおぼえて、ご高齢こうれいかたのためにかみ祝福しゅくふくいの礼拝れいはいします。
9/20 (日) 教会きょうかい1日いちにち研修会けんしゅうかい
※コロナ感染症への配慮として延期となりました。開催の時期につきましては、役員会で見通しが立ちしだいお知らせします。
礼拝れいはいののちに信仰生活しんこうせいかつをよりゆたかにするためのまなびのときちます。
◆◇◆主題しゅだい◆◇◆
れいはいについてかんがえる」
◆◇◆◇◆◇◆◇
<プログラム>
礼拝後れいはいご軽食けしょく講義こうぎのちちいさなグループにかれてまなびをふかめます。
10/13 (日) 神学校しんがっこう礼拝れいはい 伝道者養成でんどうしゃようせいつとめるおおくの神学校しんがっこうはたらきをおぼえ、あらたに伝道でんどうこころざもの献身者けんしんしゃ)があたえられるよういの礼拝れいはいします。
10/18 (日) 本庄教会ほんじょうきょうかい設立せつりつ132周年しゅうねん
念礼拝ねんれいはい・・・「みんなで礼拝れいはいまも」として
本庄教会ほんじょうきょうかい今年ことし10がつ20にち設立せつりつ132周年しゅうねんむかえます。これまでのあゆみへの感謝かんしゃをもって礼拝れいはいささげます。どなたもふるってご参加さんかください!
10/18(日)10/25(日)キリストきょう教育週間きょういくしゅうかん
10/31 (土) 宗教しゅうきょう改革かいかく記念日きねんび 1517ねん10がつ31にちマルチン・ルターによって宗教しゅうきょう改革かいかくはじめられたことをねんするです。
ほんじょうきょうかいでのれいはいはございません*
11/1 (日) 永眠者えいみんしゃ念礼拝ねんれいはい これまで逝去せいきょされた方々かたがたおぼねんする礼拝れいはいをします。
11/8(日)11/14(土)しょうがい者週間しゃしゅうかん
11/22 (日) 収穫しゅうかく感謝かんしゃ
謝恩しゃおん礼拝れいはい
 「しゅうかくかんしゃ」には17せいにイギリスからアメリカに信仰しんこうゆうもとめてわたったピューリタンがはじめた礼拝れいはいならい、神様かみさまくださるみのりのめぐみを感謝かんしゃし、またごろ世話せわになっている方々かたがた感謝かんしゃをして礼拝れいはいおこないます。
また「しゃおん」とはほんキリストきょうだんが11がつだいよんにちよういん退たいされたきょうとそのごぞくおぼえてれいはいささげるとしてさだめたものです。
11/29(日)12/24(火)
待降節たいこうせつ(アドベント)
イエスさま御生おうまれになったクリスマス(12/25)までの4しゅうかん礼拝堂れいはいどうのローソク(クランツ)を日曜にちようごとにともして4週間しゅうかんかぞえます。
12/20 (日) 主日降誕しゅじつこうたん礼拝れいはい
(クリスマス)・
祝会しゅくかい教会きょうかい学校がっこう合同ごうどう
イエス・キリストの誕生たんじょうねんしてクリスマス(12/25)のしゅう日曜にちよう主日しゅじつ)に礼拝れいはいし、おいわいのときちます。どもたちも一緒いっしょにクリスマスをおいわいします。
12/24
(月)
クリスマス・イヴ礼拝れいはい
19:00~20:00
イエス・キリストの誕生たんじょうねんして、クリスマス(12/25)の前夜ぜんやeveイヴ)に礼拝れいはいし、いわいます。

その他の期間の予定

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日本キリスト教団本庄教会

〒367-0044 埼玉県本庄市見福3-4-1  TEL 0495 (22) 2785

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2020年11月の生花

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講壇こうだんのお花(#128)
20.11.29-flower-no.128resized

2020年11月29日の聖書せいしょから

かしこいおとめたちは、それぞれのともしいっしょに、つぼあぶられてっていた。ところが、はな婿むこるのがおくれたので、みなねむがさしてねむんでしまった。なかに『はな婿むこだ。むかえになさい』とさけこえがした。そこで、おとめたちはみなきて、それぞれのともしととのえた…だから、ましていなさい。あなたがたは、その、そのときらないのだから。」

(せいしょ:マタイによるふくいんしょ)
25しょう4-7, 13せつ

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講壇こうだんのお花(#127)
20.11.22-flower-no.127resized

2020年11月22日の聖書せいしょから

「そこで、イエスはおこたえになった。『じんよ、あなたのしんこうりっだ。あなたのねがいどおりになるように。』そのとき、むすめびょうはいやされた。」

(せいしょ:マタイによるふくいんしょ)
15しょう28せつ

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講壇こうだんのお花(#126)
20.11.15-flower-no.126resized

2020年11月15日の聖書せいしょから

「ひたすらキリストのふくいんにふさわしいせいかつおくりなさい。そうすれば、そちらにってあなたがたにうにしても、はなれているにしても、わたしはつぎのことをけるでしょう。あなたがたはひとつのれいによってしっかりち、こころわせてふくいんしんこうのためにともたたかっており…つまり、あなたがたには、キリストをしんじることだけでなく、キリストのためにくるしむことも、めぐみとしてあたえられているのです。」

(せいしょ:フィリピのしんへのがみ)
1しょう27,29せつ

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講壇こうだんのお花(#125)
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2020年11月8日の聖書せいしょから

「イエス・キリストのことをおもこしなさい。わたしのつたえるふくいんによれば、このかたは、ダビデのそんで、しゃなかからふっかつされたのです。このふくいんのためにわたしはくるしみをけ、ついにはんざいにんのようにくさりにつながれています。しかし、かみことはつながれていません。だから、わたしは、えらばれたひとびとのために、あらゆることをしのんでいます。かれらもキリスト・イエスによるすくいをえいえんえいこうともるためです。」

(せいしょ:テモテへのがみ)
2しょう8-10せつ

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講壇こうだんのお花(#124)
20.11.1-flower-no.124resized

2020年11月1日の聖書せいしょから

かみは、そのひとをおあたえになったほどに、あいされた。ひとしんじるものひとほろびないで、えいえんいのちるためである。かみつかわされたのは、さばくためではなく、によってすくわれるためである。」

(せいしょ:ヨハネによるふくいんしょ)
3しょう16-17せつ

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日本キリスト教団本庄教会
〒367-0044 埼玉県本庄市見福3-4-1
TEL 0495(22)2785


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月報『マラナタ』30号 巻頭言

説教:
『わたしたちをになってくださるかみさま
2020年9月13日
けいろうしゅじつれいはいより

せっきょうしゃひきよし 牧師ぼくし
せいしょしょ:イザヤしょ46しょう1-4せつ
ルカによるふくいんしょ15しょう1-7せつ

義也牧師講壇

1、恵老の日を覚えて

本庄教会では9月の第2週目を「恵老の日」礼拝としておささげしています。この後、8名の80歳以上の兄姉を覚えて、健康と歩みが神様によって祝福されますようお祈りをいたします。さて、本庄教会では「けいろう」という言葉を、「恵み」に「老い」と表記していますが、ここには「老い」ということへの一つの信仰的な姿勢が表わされていると思います。本庄教会で、本日「恵老の日」をお祝いするということは、恵老祝福を受けられる兄姉方のこれからの歩みに主の祝福とお支えを祈り願うと同時に、これまで兄姉が本庄教会に仕え、それぞれが信仰の歩みを証しする者とされた主の恵みに感謝する時でもあるのです。

兄姉、お一人お一人に命を造り与えて下さった主なる神様。そして、命の誕生から今日にいたるまで、それぞれに出会い、導き、救い出して、今まで共に寄り添い、共に歩んでくださったイエス様の恵みを思い起こし、感謝をおささげしたいと思います。また、私たちも恵老の兄姉と本庄教会で出会い、礼拝の交わりを通じて、共に主の救いの恵みに連なり、神の家族とされているこれまでの歩みを主に感謝し、恵老の兄姉が生涯を通じて証ししてきた主の救いの御名を、私たちも共に心から賛美したいと願います。

2、バビロン捕囚の地での不安と嘆き

イザヤ書46章1節から4節を共にお読みしました。そこでは、40章から始まる、主なる神様の神の民への預言が語りかけられているのです。特に、この46章の箇所には「背負う」という言葉が繰り返し登場します。まず1節~2節には人間によって重荷として担がれる偶像について語られます。ベルとネボと呼ばれる二つの名前が出てきますが、これらは紀元前6世紀の初めにイスラエルを侵略し、イスラエルの民を捕虜として連れ去ったバビロン帝国において、ベルは別名マルドゥークとして知られていたバビロニアの守護神、ネボは文学と農耕の神として崇められていた、偶像の神々の名前です。さて、これらのベルとネボは、別々の神殿で崇められていたそうなのですが、新年を迎えるごとにネボの神殿とベル(マルドゥーク)の神殿との間で行進行列が行われていたそうです。その儀式の中で、これらの像が家畜や船に乗せられて行きかうということがあったようです。

こうした、様々な偶像が祭り上げられているバビロンの文化の中で、そこに捕虜として連れてこられたイスラエルの人々の心の内はどのような状態だったのでしょうか。捕囚の民とされていたイスラエルの嘆きは、旧約聖書の哀歌にその嘆きの歌が語られています。また、詩編の137編には、バビロンでイスラエルの人々が覚えた嘆きがストレートに歌われています。

「バビロンの流れのほとりに座り、シオン(つまりエルサレム神殿の丘)を思って、わたしたちは泣いた。竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。わたしたちを捕囚にした民が、歌をうたえと言うから、わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして、『歌って、聞かせよ、シオンの歌を』と言うから。どうして歌うことができようか、主のための歌を、異教の地で。」(詩編137:1~4)。

天地万物を創造された真の神を礼拝していた民が、彼らの礼拝所であったエルサレム神殿から引き離され、異国の地に捕囚の民としての生活を余儀なくされてしまったのです。

自分たちの心が主から離れてしまったから、民の中の弱きものを顧みず、富や名声に溺れて不正を行い、神様よりも政治的な権力や近隣諸国との軍事的な同盟を頼りとしてしまったから、主なる神様はそのような過った歩みを徹底的に裁かれているのだと、感じていたかもしれません。しかし、その裁きの先に、神様が再び彼らを憐れんで、顧みてくださるのかということが大きな問いであったのです。

先ほどの哀歌でも、嘆きの中で祈りを閉じています。
「なぜ、いつまでもわたしたちを忘れ、果てしなく見捨てておかれるのですか。主よ、御もとに立ち帰らせてください。わたしたちは立ち帰ります。わたしたちの日々を新しくして、昔のようにしてください。あなたは激しく憤り、わたしたちをまったく見捨てられました。」(哀歌5:20~22)

遠くバビロンで捕囚とされてしまった彼らの内側には、喜びや希望はすっかり消えてしまっていたのです。もし、このままこの地で主なる神様からの助けの手がなければ、わたしたちはバビロンの民と一緒に、このべルとネボを担ぎ上げるものとされてしまうのだろうか。真の神様であられる主の御名を忘れないようにと自らに言い聞かせながらも、いつかはベルとネボを拝むものになってしまうのではないか…そのような不安が彼らの心の内にあったかもしれません。

3、担い、背負い、救ってくださる神様

しかし、主なる神様は決して神の民をお見捨てにはならないことをはっきりとお示しになるのです。本日読まれたイザヤ書46章では、真の神様とは、ベルとネボのように、担ぎ上げられるものではなくて、命を創造して与えた者を慈しみ、苦難のなかで心身共に疲れて嘆く彼らを背負ってくださる御方なのです。

「わたしに聞け、ヤコブの家よ、イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」
(イザヤ46:3-4)

このイスラエルと同じく、私たちも神様を信じるものとされ、この主日の礼拝へと招かれています。御子イエス・キリストの十字架の恵みによって神様の民に連なるものとされた私たちは、イスラエルの民と同じく、胎を出た乳児の時から、齢を重ねて白髪となるときまで、すべての歩みが神様によって支え導かれているのです。

この3節は、聖書の翻訳によっては、「生まれる前から神様によって背負われてきた」と翻訳しているものもあります。これは、イザヤ書44章2節で「あなたを造り、母の胎内に形づくり、あなたを助ける主」と言われていることから来ている解釈だと思われます。私たちは目に見える、形のあるものに信頼して、心を寄せる傾向があります。しかし、神様は私たちが形づくられる前から、私たちに命を与え、そして今日この日まで、生きるものとし、神を信じるものとなるように、導き、救い出してくださっているのです。

「生まれる前」から主に選ばれ、担われていたのですから、私たちが地上の歩みを終えて、神様の御もとに向かうときにも、「わたしが担い、背負い、救い出す」と約束してくださるのです。神様は、現在の私たちの在り方に関わらず、神様に背いていると思う時も、心がかたくなにされ主を離れてしまったと思う時も、ただ神様の一方的な恵みの中で、私たちを主の近くへと招き、救い出して下さるのです。私たち、一人一人にはすでに神様から大切な命が与えられています。しかし、その命は神様の憐れみの中で、私たちを助け、担ってくださる主の御手の中で、初めて命の輝きを与えられ、神様の恵みに結ばれて生きることの喜びと平安が与えられるのです。この命の輝きは、私たちの地上での生涯だけで終わってしまう輝きではありません。地上の肉体の死を迎えるときも、やがて私たちの体が甦らされ神の国へと招き入れられる時の輝きでもあるのです。

4、失われた一匹を捜し出すイエス様の愛

私たちの体の死によっても終わることのない、命の輝きを、神様は主イエス・キリストを通じて示してくださいました。私たちの救い主であられるイエス様も、天地万物を造られた父なる神様と共に、私たちを担い、背負い、救い出してくださいます。ルカによる福音書15章には、見失った羊のたとえが語られています。この物語の中では、羊飼いが神様で、迷い出た羊が罪人である私たち人間を指し示しています。

さて、このたとえ話の中で、この羊飼いは一匹を見失ったことが分かると、「九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回」(ルカ15:4)るのです。この「野原」というのは「荒れ野」という意味です。本来、羊たちはお互いの背後にくっつくようにして群れをなして行動します。ですから、群れをなしていれば、これ以上逸れていく羊はないからと判断したのでしょうか。しかしながら、荒れ野には野獣など様々な危険が潜んでいます。その中に99匹を残してまでも、失われた一匹を捜し出そうとするのは、神様の徹底的な憐れみと、救い出そうとする神様の愛の力強さがここで語られているのです。失われた一匹を見つけ出すと、「喜んでその羊を担いで」(ルカ15:5)友達や近所の人と祝うのでした。

このたとえ話は7節に、このように纏められています。「このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」

このたとえ話は、決して、私たちを「九十九匹」の羊か、または「一匹」の羊かと仕分けることを目的としているのではありません。むしろ、私たちの誰もがこの〝一匹の迷い出た羊のように、罪によって迷い出てしまった存在〟なのです。ところが、イエス様はその「一匹」である私たちをも憐れみ、私たちの長所や賜物、秀でたところだけではなくて、むしろ私たちの弱いところ、罪の部分をも含めて、私たちの存在すべてを担っていてくださるのです。

イエス様の生涯の働きを記した福音書の中で、イエス様はこうおっしゃっていました。
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(ルカ9:23) こうおっしゃった時、イエス様はこれに合わせて、ご自身が十字架で遂げられる死と、そして三日目に復活されることもあわせて約束されていたのです。私たちが日々担うべき十字架は、すでにイエス・キリストによって、すでに担われているのです。そして、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負
い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28~30)と悔い改め、赦しの恵みを受け取るようにと、招いてくださっているのです。また、この恵みの福音を分かち合うものとして私たちは遣わされて行くのです。

試練や困難の中にあっても、イエス様が私たちよりも先に、その重荷を担ってくださっていることを覚えたいと思います。キリストの霊によって導かれて、この本庄教会において、日々を共に耐え忍び、喜びを分かち合う神の家族とされていることに感謝しつつ、共に歩みたいと願います。

祈り

慈愛に満ちたもう天の父なる神様。あなたの御名を賛美します。
今日は共に「恵老の日」を覚えて礼拝をおささげしています。本庄教会の群れには、8名の80歳以上の兄姉が与えられています。兄姉は、これまで本庄教会に尽くし、信仰の継承のために仕えて下さいました。この恵みに感謝いたします。私たちもこの証しを受けて、主に結ばれて神の家族として歩むことの喜びを一人でも多く方にお伝えし、信仰を継承していくものとさせてください。
それぞれの歩みにおける、喜びや悲しみ、課題や葛藤は異なりますが、あなたはその一つ一つの生涯を受け止め、キリストに共に結ばれる者とされている恵みに感謝します。私たちは生まれる前から、またこの世の生涯を閉じて天国に行くときにも、主がすべてを担っていてくださっています。この主と共に、主に信頼し喜びと平安の中を歩むことができますように。
今コロナ禍で、特に施設に入所されている兄姉は、ご家族との面会ができず、つらい時期となっています。どうか主が慰めと平安を豊かにお与えください。また、会堂に共に集えず、インターネットを通して礼拝に参与されている方もおられます。どうか、そのお一人お一人に変わらぬ恵みと平安をお与えください。どうか、再びこの会堂で共に集い、主に礼拝をおささげすることができますよう、1日も早くコロナウイルスを終息させてください。
この感謝と願いを尊い主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。

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2020年10月の生花

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講壇こうだんのお花(#123)
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2020年10月25日の聖書せいしょから

「しかし、イエスはわれた。『どもたちをさせなさい。わたしのところにるのをさまたげてはならない。てんくにはこのようなものたちのものである。』」

(せいしょ:マタイによるふくいんしょ)
19しょう14せつ

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講壇こうだんのお花(#122)
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2020年10月18日の聖書せいしょから

「わたしは、キリストとともじゅうにつけられています。きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしのうちきておられるのです。」

(せいしょ:ガラテヤのしんへのがみ)
2しょう19せつこうはん~20せつぜんはん

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講壇こうだんのお花(#121)
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2020年10月11日の聖書せいしょから

すずめいちアサリオンでられているではないか。だが、そのいちさえ、あなたがたのちちのおゆるしがなければ、ちることはない。あなたがたのかみまでもいっぽんのこらずかぞえられている。だから、おそれるな。あなたがたは、たくさんのすずめよりもはるかにまさっている。」

(せいしょ:マタイによるふくいんしょ)
10しょう29-31せつ

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講壇こうだんのお花(#120)
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2020年10月4日の聖書せいしょから

ファリサイひとびとが、かみくにはいつるのかとたずねたので、イエスはこたえてわれた。「かみくには、えるかたちではない。『ここにある。』『あそこにある。』とえるものでもない。じつかみくにはあなたがたのあいだにあるのだ。」

(せいしょ:ルカによるふくいんしょ)
17しょう20-21せつ

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日本キリスト教団本庄教会
〒367-0044 埼玉県本庄市見福3-4-1
TEL 0495(22)2785

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2020年9月の生花

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講壇こうだんのお花(#119)
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2020年9月27日の聖書せいしょから

ひとは、たとえぜんかいれても、ぶんいのちしなったら、なんとくがあろうか。ぶんいのちもどすのに、どんなだいはらえようか。」

(せいしょ:マタイによるふくいんしょ)
16しょう26せつ

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講壇こうだんのお花(#118)
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2020年9月20日の聖書せいしょから

「イエスはそのしょると、うえげてわれた。『ザアカイ、いそいでりてなさい。きょは、ぜひあなたのいえまりたい。』ザアカイはいそいでりてて、よろこんでイエスをむかえた。」

(せいしょ:ルカによるふくいんしょ)
19しょう5-6せつ

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講壇こうだんのお花(#117)
20.9.13-flower-no.117resized

2020年9月13日の聖書せいしょから

「わたしにけ、ヤコブのいえよ、イスラエルのいえのこりのものよ、ともに。あなたたちはまれたときからわれ、たいときからになわれてきた。おなじように、わたしはあなたたちのいるまで、はくはつになるまで、ってこう。わたしはあなたたちをつくった。わたしがにない、い、すくす。」

(せいしょ:イザヤしょ)
46しょう3-4せつ

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講壇こうだんのお花(#116)
20.9.6-flower-no.116resized

2020年9月6日の聖書せいしょから

「…ひとつのれいによって、わたしたちは、ユダヤじんであろうとギリシアじんであろうと、れいであろうと、ゆうぶんものであろうと、みなひとつのからだとなるためにせんれいけ、みなひとつのれいをのませてもらったのです。」

(せいしょ:コリントのしんへのがみいち)
12しょう13せつ

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〒367-0044 埼玉県本庄市見福3-4-1
TEL 0495(22)2785


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マラナタ29号編集後記

本庄教会月報第29号をお届けします。

asagao

今月は、後半に本庄教会墓地の歴史と変遷を考察しました。墓地を併設する教会は少ないかと思います。参考にお読みください。
まだまだ、新型コロナウイルスの終息は遠い道のりのようです。引き続きご自愛ください。
在 主

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月報『マラナタ』29号 巻頭言

説教:
『あなたがたにへいがあるように』
2020年8月2日へいせいじつれいはいより

せっきょうしゃひきくに 牧師ぼくし
せいしょしょそうせい2しょう7せつ
ヨハネによるふくいんしょ20しょう19-23せつ

國磨呂牧師講壇

1、戦後75年を振り返り

今日は、日本基督教団では「平和聖日」として礼拝をささげています。

今から75年前の8月6日広島に、9日長崎に、人類初めて戦争のために原子爆弾が投下されました。この衝撃で、太平洋戦争を始めた日本が、ようやく、14日に連合軍によるポツダム宣言を受諾し、15日正午、天皇によるラジオ放送で、日本が無条件降伏したことが国民に知らされました。こうして、第二次世界大戦が日本の敗戦として終結したのです。内務省の記録によると、戦死者約213万人、空襲による死者約23万人と言われています。

週報の解説にあるように、この平和聖日は、原子爆弾の被爆を受けた西中国教区の教師・信徒たちが広島原爆投下の日を覚えて「平和聖日」として守るように教団に要請したとあります。広島・長崎の世界で初めての原子爆弾の被爆の悲惨な体験から、再び原子爆弾は使われてはならないと言う願いが、平和を祈る聖日を守る要請になったと思われます。

この願いと祈りは、今や世界中の人々によって国際連合における核兵器軍縮会議から「核兵器禁止条約」の成立となり、日本はその批准を求められています。しかし、私たちが忘れてはならないのは、太平洋戦争を始めたのは日本国で、日本国はアジア諸国の加害者であったということです。朝鮮、中国、フィリピン、インドネシア、タイなどの東南アジア諸国に侵略し、その戦いで一般人を入れて約二千万人の死者を出しているのです。

75年も経つと、太平洋戦争と言うと、広島・長崎の被爆だけが残って、日本が戦争を始めた加害者であることを忘れ去りがちなのではないでしょうか。私は77歳で、戦争が終わった時は、まだ3歳です。ほとんど戦争中の記憶はありません。私よりも年上の方々は、まだまだ、戦争中の記憶がおありなのではないかと思います。戦争の悲惨さを忘れないで、平和を造り出す者として立つために何ができるのでしょうか。

2、戦争はなぜ起きるのでしょうか

戦争は、自分の価値観や自分の国の利益を優先すると言う、人間の自己中心から起きます。自分の考えや利益を第一とするから、人と人との喧嘩、国と国の戦争が起きるのです。

私たち人間は、神様から共に生きるように造られたにもかかわらず、その神様を見失い、神様を信じないために自分中心になってしまいます。その根本は、神様を第一として神様と向き合おうとしない、神様に背いている人間の「罪」なのです。

その人間の罪を赦して、神様と共に生きるように道を開いてくださったのがキリストの十字架の死なのです。皆さん一人ひとりにとって、キリストは〝この私の罪を赦すために〟身代わりとして十字架の上に死んでくださったのです。神様は、御子キリストの命を犠牲にしてまでも神様に背いていた〝罪人のこの私を愛して〟くださっているのです。これが十字架の愛なのです。3日目に死から復活されたキリストは、罪赦されて神様と共に生きる私たちを励まし、導いてくださるのです。

イエス様は「隣人を自分のように愛しなさい。」(マタイ22:39)、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)と言われています。

3、復活のキリストによる平和

人間の本当の平和は、神様と共に生きることなのです。そのことを、いつも礼拝の終わりの派遣の言葉としてお読みしているヨハネによる福音書20章21節の御言葉から聴きたいと願います。

週の初めの日の夕方、イエス様が復活された日曜日の夕方です。弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家に鍵を掛けて隠れていたのです。イエス様を十字架に架けたユダヤ人たちが、その仲間である自分たちをも捕らえるのではないかと恐れて、鍵を閉めて隠れていたのです。

そこへ、復活されたイエス様が来られて真ん中に立って、「あなたがたに平和があるように」と言われたのです。そしてイエス様は、御自分の手とわき腹をお見せになりました。それは、十字架に釘付けにされた手の傷跡、槍で刺されたわき腹の傷跡でした。弟子たちは、死んだはずのイエス様であることを見て喜んだのです。
するとイエス様は重ねて言われました。
「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」
そう言われてから、彼らに息を吹きかけて言われました。
「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

今日のこの出来事から、幾つかのことを学び聴くことができます。

2、戦争はなぜ起きるのでしょうか

(1)復活のイエス様による「平和」

復活のイエス様は、人々を恐れ、鍵を堅く締めて隠れている弟子たちの中に入って来られて、「平和があるように」と言われたのです。

私たちキリストを信じている者も、日々の生活の中に、人間関係、病気、仕事、老齢化などのさまざまな恐れと不安の中に置かれています。しかし、イエス様は、そうした私たちに対して「平和があるように」と声をかけて一緒にいてくださる方なのです。「平和」と言うのは、ギリシャ語で「エイレイネ」と言い、ヘブル語では「シャローム」と言います。「平和がありますように」とは、当時は、挨拶の言葉になっていました。しかし、イエス様が言われた「平和」は単なる挨拶ではなかったのです。

ヨハネによる福音書14章27節に
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな、おびえるな。」と言われています。

マタイによる福音書の28章19~20節で、復活されたイエス様が、ガリラヤの山の上で、弟子たちと会って、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」と宣教命令を述べられた最後に、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と約束されておられます。

イエス様が与えて下さる「平和」は、争いや戦争がないという平和ではなく、世の終わりまで、どんな争いの時でも、どんな困難や病気の時でもご一緒にいてくださるという「平和」なのです。

がん哲学カフェの提唱者の樋野興夫医師は、「がんという病気があっても、病人でないように生きる」と言っておられます。復活のイエス様が、どんな時でもいつも一緒にいてくださると思うから、病気であっても病人でないように生きることができるのです。

私は、2007年以来、腎臓がんで右腎臓の摘出、腎臓がんの再発、前立腺がんと、この13年間、ずっとがんと共に歩んでいます。しかし、復活のイエス様が全てをご存じでご一緒だと思うと、心が平和な生活ができ、主の御業に仕えていくことができているのです。本庄に来てから、がんの方々と集まる「本庄がん哲学カフェ」で〝がん友〟の交わりも許されています。

(2)「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」

父なる神様が、御子イエス様をキリストとしてこの世に遣わしてくださったお陰で
私たちは神様に対する背きの罪が赦され、神様と共に歩む「平和」を与えられているのです。

このキリストによる平和を知った者が、人間の根本的な平和はイエス・キリストのもとにあることを周りの方々に伝え分かち合うために、私たちは遣わされるのです。

(3)「聖霊を受けなさい」

イエス様は弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言われたのです。

息を吹きかけてと言うことで、創世記2章7節の神様が人を最初に造られた時のことを思い起こします。
「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」

このことから分かることは、恐怖におののいて、死んだようになっていた弟子たちに新しい命の息・聖霊を吹き入れることによって、この時、弟子たちは再創造されて、神様と共に生きる者とされたということです。

私たちも、聖霊の導きにより、イエス・キリストを信じた時に聖霊を受けて、新しく再創造された者となったのです。見失っていた「神のかたち」を回復することができ、御言葉に聴き、神様を「アッバ、父よ」と呼んで祈り、神様と共に歩む者とされたのです。

この聖霊を受けて新しく生きる者とされた信仰者たちに与えられている特権は、「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」と言う「罪の赦しの務め」であります。

人間は誰もが心の平和を求めています。本人が自覚していないのですが、平和を妨げている罪の赦しを求めているのです。「あなたがたが赦せば」と言われているように、あなたがたとは教会の群れなのです。

教会の務めの第一は、罪の赦しなのです。自分たちがキリストの十字架の贖いによって罪が赦されたように、キリストの十字架は全ての人々の罪の赦しのために立てられているのです。人の罪を赦すということは、その人の存在を愛することなのです。

ですから、イエス様は「あなたがたに新しい戒めを与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい」と言われるのです。

私たち人間は、たとえキリストを信じていても、教師であっても、信徒であっても、罪深い行いをしてしまいます。しかし、どんな罪深いことでもキリストが赦してくださったように、互いに赦し合い、愛し合うのが教会なのです。教会という群れは、赦し合う者の歩みなのです。

「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。」(ローマの信徒への手紙5:20)と言われていますが、どんな罪も互いに赦し合う事が多ければ多いほど、恵みも増し、愛の豊かな教会になるのです。人目を気にしてピリピリするのではなく、互いに赦し合い、受け入れ合う愛の豊かな教会にしましょう。そのためには、「聖霊を受けている」ことを自覚し、聖霊のお導きを忘れないように歩んで行きましょう。

祈り

父なる神様、
平和聖日を覚えて、本当の平和はどこにあるのかを御言葉を通して思いを深めることができ感謝します。戦後75年の平和の中にある私たち、日本が戦争を仕掛けてアジア諸国を悲惨に陥れ敗戦になったことを忘れ去りがちであります。再び、戦争を起こすことがないようにお導きください。

イエス・キリストを通して神様を知り、罪赦されて神様と共に歩む平和を感謝いたします。イエス様が私たちに与えてくださる神様と共に歩む平和を、まだ知らない人々に知らせ、分かち合うことができるようお導きください。

また、日本の戦争によって悲しみや苦しみに遭ったアジアの諸国の人々と平和に歩むために私たちをお用いください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。

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2020年説教 前半(6~1月)

*教会の住所*地図
〒367-0044 埼玉県
本庄ほんじょう見福けんぷく 3-4-1
電話:0495 (22)2785
礼拝は毎日曜日
10:30~11:45頃
どなたも歓迎!

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日本キリスト教団本庄教会

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2020年8月の生花

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講壇こうだんのお花(#115)
20.8.30 flower no.115(resized)

2020年8月30日の聖書せいしょから

「ここであなたがたにっておきたい。かみれいによってかたひとは、だれも『イエスはかみからてられよ』とはわないし、また、せいれいによらなければ、だれも『イエスはしゅである』とはえないのです。たまものにはいろいろありますが、それをおあたえになるのはおなれいです。つとめにはいろいろありますが、それをおあたえになるのはおなしゅです。」

(せいしょ:コリントのしんへのがみいち)
12しょう3-5せつ

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講壇こうだんのお花(#114)
20.8.23 flower no.114(resized)

2020年8月23日の聖書せいしょから

しゅはおこたえになった。『マルタ、マルタ、あなたはおおくのことにおもなやみ、こころみだしている。しかし、ひつようなことはただひとつだけである。マリアはほうえらんだ。それをげてはならない。』」

(せいしょ:ルカによるふくいんしょ)
10しょう41-42せつ

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講壇こうだんのお花(#113)
20.8.16 flower no.113(resized)

2020年8月16日の聖書せいしょから

「そこで、わたしのこれらのこといておこなものみないわうえぶんいえてたかしこひとている。あめり、かわがあふれ、かぜいてそのいえおそっても、たおれなかった。いわだいとしていたからである。」

(せいしょ:マタイによるふくいんしょ)
7しょう24-25せつ

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講壇こうだんのお花(#112)
20.8.9 flower no.112(resized)

2020年8月9日の聖書せいしょから

「…ところが、たびをしていたあるサマリアじんは、そばにると、そのひとあわれにおもい、ちかってきずあぶらとぶどうしゅそそぎ、ほうたいをして、ぶんのろばにせ、宿やどれてってかいほうした。」

(せいしょ:ルカによるふくいんしょ)
10しょう33-34せつ

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講壇こうだんのお花(#111)
20.8.2 flower no.111(resized)

2020年8月2日の聖書せいしょから

「イエスはかさねてわれた。『あなたがたにへいがあるように。ちちがわたしをおつかわしになったように、わたしもあなたがたをつかわす。』そうってから、かれらにいききかけてわれた。『せいれいけなさい…』」

(せいしょ:ヨハネによるふくいんしょ)
20しょう21-22せつ

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