2019年5月の生花

***

講壇こうだんのお花(#55)*
19.5.26 flower no.55(resized)

2019年5月26日聖書せいしょ

エフェソのしんへのがみ1しょう19-21せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年5月26日礼拝れいはい
(復活節第ふっかつせつだい6主日しゅじつ)

くにちからさかえとは
かぎりなくかみのもの』
♪音声再生(5MB:42分)

説教者:ひきくに 牧師ぼくし


聖書箇所:へん8ぺん2-10せつ
エフェソのしんへのがみ1しょう19-23せつ
***

講壇こうだんのお花(#54)*
19.5.19 flower no.54(resized)

2019年5月19日聖書せいしょ

ローマのしんへのがみ8しょう14-15せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年5月19日礼拝れいはい
(復活節第ふっかつせつだい5主日しゅじつ)

『わたしたちはかみどもたち』
♪音声再生(4MB:37分)

説教者:ひきよし 牧師ぼくし


聖書箇所:ホセアしょ2しょう1せつ
ローマのしんへのがみ8しょう9-17せつ
***

講壇こうだんのお花(#53)*
19.5.13.k flower no.53(resized)

2019年5月12日聖書せいしょ

ヨハネによるふくいんしょ20しょう27-29せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年5月12日礼拝れいはいはは
(復活節第ふっかつせつだい4主日しゅじつ)

ないでしんじるひとさいわい』
♪音声再生(5MB:41分)

説教者:ひきかつ 牧師ぼくし


聖書箇所:そうせい12しょう1-4せつ
ヨハネによるふくいんしょ20しょう19-29せつ
***

講壇こうだんのお花(#52)*
19.5.5 flower no.52 (resized)

2019年5月5日聖書せいしょ

マタイによるふくいんしょ6しょう9、13せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年5月5日礼拝れいはい
(復活節第ふっかつせつだい3主日しゅじつ)

こころみにあわせず、
あくよりすくしたまえ』
♪音声再生(4MB:34分)

説教者:ひきくに 牧師ぼくし


聖書箇所:しんめい6しょう16-19せつ
マタイによるふくいんしょ6しょう9-13せつ
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日本キリスト教団本庄教会
〒367-0044 埼玉県本庄市見福3-4-1
TEL 0495(22)2785


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月報『マラナタ』13号巻頭言

イースター礼拝説教:
『あの方は復活なさった』




2019年4月21日説教
ひきくに磨呂まろ 牧師ぼくし
聖書せいしょへん30ぺん1-6せつ
マルコによる福音書ふくいんしょ16しょう1-8せつ


1、2019年復活の朝

 「おはよう」、これが、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、イエス様が葬られた墓を訪ねたマグダラのマリアたちに、復活されたイエス様が最初に語り掛けられた挨拶でした(マタイ28:9)。ギリシア語でカィレエテ〝喜びなさい〟と言う意味で、日常の挨拶言葉となっていたのです。日本語では「おはよう」と訳されています。

 今朝は、午前6時から本庄早稲田駅の傍のマリーゴールドの丘公園で、イースター早天祈祷会を持ちました。そこでも、「おはようございます」と言って早天祈祷会を始めました。本庄市を見渡すことのできるマリーゴールドの丘の上で、主の弟子たちのように復活されたイエス様の御言葉を聞いて、本庄市に遣わされた本庄教会の御業と兄弟姉妹のため、4月から遣わされた伊勢崎教会の西谷祐司先生、桐生教会の長谷川直紀先生の働きのため祈りを合わせました。

2、イエス様の死と葬り

 今朝は、マルコによる福音書を通して、イエス様の復活の出来事を覚えたいと思います。

 「安息日」とは、今日の土曜日に当たります。西暦の暦では、1週間は日曜日から始まり、7日目の土曜日に終わります。土曜日が安息日です。ユダヤの律法によると、月曜から金曜日までの6日間働いたら、7日目の土曜日は、一切の仕事を休んで安息日として守りなさいと定められています(創世記2:2~3、出エジプト20:8~11)。
 
 イエス様が十字架につけられたのが金曜日の午前9時で、亡くなられたのが午後3時過ぎでありました。日が沈むと、安息日に入りますから、金曜日の日が沈む前に、急いでイエス様のご遺体を墓に葬らなければなりませんでした。アリマタヤ出身のヨセフが、勇気を出してピラトの所に行って、イエス様のご遺体を渡してくれるように願い出ました。ピラトは、イエス様がこんなに早く死なれることを不思議に思って、百人隊長にイエス様が死んでしまったのかを確かめさせたうえで、ご遺体をヨセフに引き渡しました。

 ヨセフは亜麻布を買い、イエス様を十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入口に石を転がしたと記されています。イエス様が息を引き取られてから日が沈むまでの2時間ほどの間にしなければならないので、大変、急いで行わねばなりませんでした。普通なら、遺体に香油を塗ったりするのですが、できなく、マグダラのマリアたちは、イエス様のご遺体を納めた場所を見つめているだけでした。

3.イエス様が復活された朝

 1節に「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。」とあります。土曜日の夕方日が沈むと、安息日が終わりますから、今でいうと、土曜日の夜に、香料を買いに行ったのです。

 2節「そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った」と記されています。「週の初めの日」とは、今日の日曜日のことです。日曜日の朝ごく早くに墓に行ったのです。マリアたちは、墓の入口の石を誰が転がしてくれるかと心配して墓に行きました。ところが、目を上げて墓を見ると、非常に大きかった石が既にわきに転がしてあったのです。

 マリアたちが、墓に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたのです。この若者は天使と言われています。若者がマリアたちに言ったのです。
「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」
 
 マリアたちは墓を出て逃げ去ったのです。震え上がり、正気を失ったと記されています。恐ろしくなって、だれにも何も言わなかったとも記されています。
 
 イエス様のご遺体が納められた墓が、空っぽになって、そこにあるはずのイエス様のご遺体がなかったのです。そして墓の中にいた若者は、十字架につけられたナザレのイエス様は復活なさって、ここにおられないと告げたのです。しかし、マリアたちには受け止めることができなかったのです。マルコによる福音書は、復活の朝の出来事をここで区切り終わっています。

 十字架につけられて死んだイエス様が、3日目に復活されたということは、人間の常識や感覚では受け止めることのできないことであったということなのです。

4. 復活のイエス様との出会い

 9節に「週の初めの日、朝早く、イエス様が復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現わされた。」とあります。

 9節~20節はカッコにくくられていますが、後で、付け加えられた部分だと言われています。マタイ、ルカ、ヨハネの福音書に共通する出来事をまとめて、結びとしている記事です。

 9節で言われている事は、マタイによる福音書の復活の朝の出来事に出て来ます。マグダラのマリアたちが、天使から、十字架につけられたイエス様を捜しているのだろうが、ここにはおられない。かねて言われた通り復活なさったのだと言われました。そして急いで行って弟子たちに「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」と告げなさいと言われました。

 そこでマリアたちは、恐れながらも大いに喜んで、弟子たちに知らせるために走って行ったのです。すると、復活されたイエス様が行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、マリアたちは近寄り、イエス様の足を抱き、その前にひれ伏したのです。その時、イエス様はマリアたちに言われました。
 「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」と。

 人間的に受け止めることができない主の復活は、復活されたイエス様御自身が、声をかけて、現れて下さったことによって信じて、受け入れられるようになるのです。

 12節のことは、ルカによる福音書24章13〜35節のエマオ途上の二人の弟子たちにイエス様が御自身を示された出来事として詳しく記されています。

 今日、復活のイエス様とお会いできるガリラヤとはどこなのでしょうか。それは復活の主を覚えて礼拝をする日曜日の主日礼拝です。今も、そこで復活のイエス様は人々を待っておられ、出会って下さるのです。

 今日では、イエス様が別の助け主(弁護者)として送って下さった聖霊なる神様の助けによって、イエス様の御声を聞き、イエス様との出会いを信じられるようになるのです。イエス様の十字架と復活の出来事は、信仰無くしては受け入れることのできないことであります。

5.地上でのイエス様の3つの約束

 今年の受難週は、イエス様が十字架への道を歩まれた1週間を聖書によって、過ごすことができるように、表を作って皆様にお渡ししました。しかし、教団の聖書日課では、月曜日から木曜日までヨハネによる福音書の14章から15章を読むようになっていました。

 受難週なのに、何でこのところを読むのだろうかと思いながら読みました。そして、ハッとさせられたのです。この2章に渡って語られていることは、イエス様がまだ地上に弟子たちと共におられた時、約束されている事柄なのです。

 14章は、小見出しの「イエスは父に至る道」では、イエス様は、2~3節でこう約束されています。
 「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」イエス様を信じる者たちに、詩編30:4の賛美に応え、天の御国の場所を用意して下さる約束なのです。

 14章の「聖霊を与える約束」の所では、16~17節でこう約束されています。
 「わたしは父にお願いしょう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。この世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」
 この聖霊が遣わされることによって、人々はイエス様をキリストと信じることができ、目に見えない神様を「アッバ、父」と呼んでお祈りをすることができ、また、聖書の言葉を神様・イエス様の御言葉として聞くことができるようになるという約束です。

 15章の「イエスはまことのぶどうの木」の所では7~8節にこう約束されています。
 「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」
 イエス様につながって、イエス様の御言葉にとどまるならば、願うものは何でもかなえられ、豊かな実を結ぶ弟子となって、父なる神様に栄光を帰することになるという約束です。

 このイエス様の3つの約束は、イエス様が復活されたからこそ、実現する約束なのです。人間の常識や感覚では受け止められないイエス様の復活の出来事は、信じる者には素晴らしい約束の実現への神様の御計画であったのです。

 イエス様が十字架につけられて死に、墓に葬られましたが、3日目に復活されて、天の神様の御許に行かれたからこそ、
(1)信じる者たちは、天の御国の予約席をいただくことができるのです。
(2)聖霊なる神様の助けをいただいてイエス様を救い主であると信じることができ、目に見えない神様を「天の父なる神様」と呼んで祈ることができるのです。
(3)イエス様の御言葉にとどまって豊かに実を結ぶ弟子となって、神様に栄光を帰することができるのです。

 この3つの約束の信仰的実現は、十字架につけられて死んだイエス様が復活されて、天の父なる神様の御許に行かれたから実現したのです。今、イエス・キリストを信じる者に与えられている信仰的現実なのです。今朝、このことを確認し、その約束の恵みを心から感謝し、喜んで信仰生活に励んで行きましょう。

〈祈り〉

 天の父なる神様、
 今朝、私たちの救い主イエス様の復活を覚える礼拝を献げることができ感謝いたします。死んだ者が復活するとは、人間の常識や感覚では受け止めることのできない出来事です。
 しかし、神様は、罪ある人間を陰府から引き上げ、天の御国へと救ってくださるために、イエス様の十字架と復活の出来事を御計画して下さったことを信じ、その恵みに生きることのできることを感謝いたします。
 聖霊のお助けをいただいて、この恵みの中に一人でも多くの方々が入ることができるようにお導き下さい。主イエス・キリストの御名によって祈ります。

 アーメン。

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2019年4月の生花

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講壇こうだんのお花(#51)*
19.4.28 flower no.51(resized)

2019年4月28日聖書せいしょ

ヨハネによるふくいんしょ21しょう17せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年4月28日礼拝れいはい
(復活節第ふっかつせつだい2主日しゅじつ)

『わたしのひつじいなさい』
♪音声再生(4MB:38分)

説教者:ひきよし 牧師ぼくし


聖書箇所:エゼキエルしょ34しょう11-16せつ
ヨハネによるふくいんしょ21しょう15-19せつ
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講壇こうだんのお花(#50)*
19.4.21 flower no.50(resized)

2019年4月21日聖書せいしょ

マルコによるふくいんしょ16しょう6せつが掲載されていました。

🔈説教音声が聞けます
2019年4月21日イースター礼拝れいはい
(復活節第ふっかつせつだい1主日しゅじつ)

『あのかたふっかつなさった』
♪音声再生(4MB:33分)

説教者:ひきくに 牧師ぼくし


聖書箇所:へん30ぺん1-6せつ
マルコによるふくいんしょ16しょう1-8せつ
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日本キリスト教団本庄教会
〒367-0044 埼玉県本庄市見福3-4-1
TEL 0495(22)2785


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2019年度特別礼拝・行事 (履歴)

*教会の住所*地図
〒367-0044 埼玉県
本庄ほんじょう見福けんぷく 3-4-1
電話:0495 (22)2785
礼拝は毎日曜日
10:30~11:45頃
どなたも歓迎!

*礼拝は毎週日曜日10時30分から行っています。
*こちらは既に行われた2019年度の特別礼拝・行事を表示しています。

2019年度

日付 行事内容 詳細
2019年
4/14(日) しゅしゅじつ イエス・キリストがじゅなんけられるちょくぜん、エルサレムへのさいにゅうじょうぐんしゅうしゅってかんげいしたことをおぼえ、じゅなんしゅうはじまりにしゅイエスのじゅうめぐみをおぼえてれいはいをおささげします。
4/14(日)4/20(土)じゅなんしゅう
4/17(水)
4/18(木)
4/19(金)
じゅなんしゅうとくべつとうかい
19:00~20:00ごろ
イエス・キリストがじゅうかられたことをおぼえるじゅ(4/18)のちょくぜんみっかん、キリストのじゅうめぐみにかんしゃし、いのりのときちます。
4/21 (日) イースターこどもれいはい
午前9:30〜
10:15
イエスさま復活ふっかつをおいわいし。エッグハント(たまごさがし)をします。
4/21 (日) 復活日ふっかつび礼拝れいはい
(イースター)
午前10:30〜
イエス・キリストの復活ふっかついわ礼拝れいはいです。
6/9 (日) 聖霊降臨せいれいこうりん礼拝れいはい
(ペンテコステ)

はなどもの礼拝れいはい
聖霊せいれいがキリストの弟子でしくだり、教会きょうかい誕生たんじょうしたことを記念きねんする礼拝れいはいです。
またどうじつどもたちのために祝福しゅくふくいの礼拝れいはいし、そののち病気びょうきなど理由りゆう教会きょうかいれない方々かたがたにおはなとどけます。
6/16 (日) 三位さんみ一体いったい主日礼拝しゅじつれいはい キリストの生涯しょうがいと、聖霊せいれい降臨こうりんおぼえ、神様かみさまちち聖霊せいれい三位さんみ一体いったい神様かみさまであられることをおぼえて礼拝れいはいします。
8/4 (日) 平和へいわ聖日礼拝せいじつれいはい 世界せかい平和へいわいのねがい、また神様かみさまがイエス・キリストをとおしてしめされた平和へいわおぼえて礼拝れいはいします。
9/8 (日) 恵老けいろう(敬老けいろう)の礼拝れいはい 敬老けいろうおぼえて、ご高齢こうれいかたのためにかみ祝福しゅくふくいの礼拝れいはいします。
9/15 (日) 教会きょうかい1日いちにち研修会けんしゅうかい 礼拝れいはいののちに信仰生活しんこうせいかつをよりゆたかにするためのまなびのときちます。
◆◇◆主題しゅだい◆◇◆
たまものかしあうきょうかい
せいしょ:ローマのしんへのがみ12しょう3-8せつ
◆◇◆◇◆◇◆◇
<プログラム>
礼拝後れいはいご軽食けしょく講義こうぎのちちいさなグループにかれてぶんたまもの(ちょうしょ)についてかくにんいます。
10/13 (日) 神学校しんがっこう礼拝れいはい 伝道者養成でんどうしゃようせいつとめるおおくの神学校しんがっこうはたらきをおぼえ、あらたに伝道でんどうこころざもの献身者けんしんしゃ)があたえられるよういの礼拝れいはいします。
10/20 (日) 本庄教会ほんじょうきょうかい設立せつりつ131周年しゅうねん
念礼拝ねんれいはい・・・「みんなで礼拝れいはいまも」として
本庄教会ほんじょうきょうかい今年ことし10がつ20にち設立せつりつ131周年しゅうねんむかえます。これまでのあゆみへの感謝かんしゃをもって礼拝れいはいささげます。どなたもふるってご参加さんかください!
10/20(日)10/27(日)キリストきょう教育週間きょういくしゅうかん
10/31 (木) 宗教しゅうきょう改革かいかく記念日きねんび 1517ねん10がつ31にちマルチン・ルターによって宗教しゅうきょう改革かいかくはじめられたことをねんするです。
ほんじょうきょうかいでのれいはいはございません*
11/3 (日) 永眠者えいみんしゃ念礼拝ねんれいはい これまで逝去せいきょされた方々かたがたおぼねんする礼拝れいはいをします。
11/10(日)11/16(土)しょうがい者週間しゃしゅうかん
11/24 (日) 収穫しゅうかく感謝かんしゃ
謝恩しゃおん礼拝れいはい
 「しゅうかくかんしゃ」には17せいにイギリスからアメリカに信仰しんこうゆうもとめてわたったピューリタンがはじめた礼拝れいはいならい、神様かみさまくださるみのりのめぐみを感謝かんしゃし、またごろ世話せわになっている方々かたがた感謝かんしゃをして礼拝れいはいおこないます。
また「しゃおん」とはほんキリストきょうだんが11がつだいよんにちよういん退たいされたきょうとそのごぞくおぼえてれいはいささげるとしてさだめたものです。
12/22 (日) 主日降誕しゅじつこうたん礼拝れいはい
(クリスマス)・
愛餐会あいさんかい教会きょうかい学校がっこう合同ごうどう
イエス・キリストの誕生たんじょうねんしてクリスマス(12/25)のしゅう日曜にちよう主日しゅじつ)に礼拝れいはいし、食事しょくじともにしながらおいわいのときちます。どもたちも一緒いっしょにクリスマスをおいわいします。
12/1(日)12/24(火)
待降節たいこうせつ(アドベント)
イエスさま御生おうまれになったクリスマス(12/25)までの4しゅうかん礼拝堂れいはいどうのローソク(クランツ)を日曜にちようごとにともして4週間しゅうかんかぞえます。
12/24
(月)
クリスマス・イヴ礼拝れいはい
19:00~20:00
イエス・キリストの誕生たんじょうねんして、クリスマス(12/25)の前夜ぜんやeveイヴ)に礼拝れいはいし、いわいます。
1/5 (日) 新年礼拝しんねんれいはい あたらしいとしむかえたことに感謝かんしゃして礼拝れいはいします。
1/6 (月) 公現こうげん(栄光祭えいこうさい) 公現こうげん東方とうほう博士はかせがおうままれになったイエス・キリストを訪問ほうもんしたねんします。わたしたちをすくうためにイエスさま誕生たんじょうされたことをおぼえ、感謝かんしゃささげるです。
ほんじょうきょうかいでのれいはいはございません*

その他の期間の予定

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◇◇◇メニュー◇◇◇
表紙
初めての方へ
私たちの教会
礼拝堂 内観
集会案内
牧師紹介
Q&A
説教音声
➢年度予定
報告・お知らせ

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日本キリスト教団本庄教会

〒367-0044 埼玉県本庄市見福3-4-1  TEL 0495 (22) 2785

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本庄がん哲学カフェ『のぞみの会』

*教会の住所*地図
〒367-0044 埼玉県
本庄ほんじょう見福けんぷく 3-4-1
電話:0495 (22)2785

第50回 がん哲学カフェのご案内
10月のがん哲学カフェは10月18日に実施されます。
(定例では毎月、第三金曜日午後2:00~4:00に行われています)
会場: 日本キリスト教団 本庄教会集会室

*近隣の医院等の駐車場はご利用いただけませんのでご注意下さい。本庄教会敷地内の駐車場をご利用ください。

「本庄がん哲学カフェ」は、お茶やコーヒーを飲みながら、がんの仲間や家族の皆と共にがんと向き合い〝病気であっても病人でない生き方〟を共に励み、分かち合う場になることを願ってタンポポ背景なしご案内いたします。

どなたもご参加ください。

 本庄教会へのアクセス

JR高崎線の本庄駅南口から徒歩で約11分です。
アクセスマップ_small
□ マップサイトで本庄教会の位置を検索 (Googoleマップへのリンク)

樋野興夫先生 resized**がん哲学てつがくカフェについて**
樋野ひのおき医学博士がん講演会の音声とスライドを公開中。
➢視聴はこちら


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日本キリスト教団本庄教会
〒367-0044 埼玉県本庄市見福3-4-1
TEL 0495(22)2785


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「種を蒔く人になりなさい~楕円形のこころ:ガン哲学のエッセンス~」

3月24日に行われた樋野ひのおき先生のご講演の音声とスライドです。

1)音声下の灰色の枠内にある再生ボタン()を押して頂くと講演の音声が始まります。停止する際は停止ボタン()を押して下さい。音声が始まりましたら、さらに下の2)スライドと合わせてご視聴ください。をタッチ・クリックすると、インターネットブラウザの新しいタブが立ち上がり、そちらで音声がながれます。
*音声再生時の巻き戻し方法*
パソコンの方:音声の再生中・停止中に「Shiftキー」を押しながら「十字キーの左(◂)」を押します。
スマートフォンの方:再生位置表示(シークバー)に示されている掴み(現在位置)を任意の時間(巻き戻しなら左)までずらして移動させ、離します。

↓音声はこちらです(表示されない場合は灰色の部分を一度タッチ・クリックしてください)
[googleapps domain=”drive” dir=”file/d/1DHhMjxTu3UYuQ8gGVmLTTxbkfLLiEfJX/preview” query=”” width=”640″ height=”180″ /]
2)スライド
スライドは手動ですので、音声に合わせてスクロールしてご覧ください。ホームページへ掲載の都合上、画像・文字データが多少荒い箇所もございますが、どうぞご了承ください。をタッチ・クリックすると、インターネットブラウザの新しいタブが立ち上がり、そちらでスライドが全画面表示されます。
*スクロールの仕方*
パソコンの方:マウスをお持ちの方は、カーソルをスライドの上に乗せて、ホイールを回すことで次のページへ移動できます。マウスをお持ちでない方は、カーソルをスライド右端のサイドバーに合わせて一度クリックして頂き、下ボタン(↓)で次のページに移動できます。拡大・縮小は、スライド右下のむしめがねマーク横の+ボタンと-ボタンをご利用ください。
スマートフォンの方:スライド上で、下から上へとなでることで、下のページに移動できます。上手くいかない場合は、スライド上で全体をつまみ寄せて縮小(ピンチイン)してから、上下させるとページの移動がしやすくなります。拡大は、指で押し広げてください(ピンチアウト)。縮小は、全体をつまみ寄せて(ピンチイン)ください。拡大・縮小後に、画像が上手く表示されない時は、一度タップ(軽く画面を指で叩く)していただくと、表示されます。

↓スライドはこちらです(表示されない場合は灰色の部分を一度タッチ・クリックしてください)
[googleapps domain=”drive” dir=”file/d/1OGyLv2E44uUlPaNbrrsNheuj8Rht8XQu/preview” query=”” width=”1280″ height=”700″ /]

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日本キリスト教団本庄教会

〒367-0044 埼玉県本庄市見福3-4-1  TEL 0495 (22) 2785

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マラナタ12号編集後記

本庄教会月報第12号をお届けします。

本庄教会月報第12号をお届けします。
タンポポ教会の庭にもタンポポや矢車草が可憐な花をつけ、春の訪れを告げています。気温の日格差が大きいこの時期、くれぐれもご自愛ください。        
  在 主

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『マラナタ』12号 報告

本庄がん哲学カフェ発足
「特別がん講演会」より

 3月24日(日)14時から、順天堂大学教授・医学博士で、NPO法人「がん哲学外来」理事長の樋野興夫先生を講師に招き、本庄教会を会場に講演会を開催しました。
樋野興夫先生(resize)
講演会後ホールに移動し、16時まで樋野先生を囲んで質疑を含め親しく交わりの時を持つことができました。
 
 出席者は49人で、近隣の熊谷教会や島村教会からも出席者がありました。本庄教会からは18人が出席し、会場準備から後片付けまで、当日の運営に協力してくださいました。

 4月から毎月、原則として第3金曜日14時から本庄教会ホールで「本庄がん哲学カフェ」を開催します。講演会出席者のアンケートからすでに4人の方が参加を希望されています。このことについてご理解とご協力とをお願いいたします。

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タンポポ背景なし本庄教会では毎月第3金曜日14:00から哲学カフェ『のぞみ会』を行っています。
➢次回の本庄がん哲学カフェの詳細はこちらをクリック・タッチ


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*樋野先生ご講演の音声・スライドを公開しました*

留意事項をご確認いただいた上で、どうぞご利用ください。

ご留意事項とお願い

*音声とスライドは約36MBの容量です。特にスマートフォンの携帯回線の方は、通信量にご注意ください。
*Googleの仕様のためサインインを求められることがありますが、サインインの必要はありません。基本的にはそのままでご利用いただけます。サインインを求められた場合、プライベートモード・シークレットモード等でブラウザを立ち上げて頂くと、サインインせずに利用できます。
*音声リンクの他ウェブサイトへの転載・埋め込みはお控えください。
*アクセスが集中しますと、エラーメッセージ(現在、このファイルを閲覧、ダウンロードできません…)と表示される場合があります。不具合・不備がある場合は、下記リンク先のフォームにてお知らせ頂けると幸いです。修正いたします。なお不具合報告フォームでの回答はメールアドレス等の情報を必要とせず、匿名で行われます

不具合報告

樋野興夫先生 resized 講師:樋野ひのおき医学博士
「種を蒔く人になりなさい
~楕円形のこころ:ガン哲学のエッセンス~」
(容量約36MB/音声約50分)
➢音声とスライドを視聴するにはクリック・タッチ

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月報『マラナタ』12号巻頭言

2018年度標語の学び(2)
『主よ、祈りを教えてください』

2019年2月3日、
24日、3月3日の礼拝説教より
ひきくに磨呂まろ 牧師ぼくし
聖書せいしょへん145しょう1-21せつ
ルカによる福音書ふくいんしょ11しょう1-13せつ
マタイによる福音書ふくいんしょ6しょう5-15せつ

1、「主の祈り」の構造と内容

 キリスト教の祈りの形は一般に、①初めに神様を「父なる神様」と呼びかけます。②祈りの内容(感謝・願い・懺悔など)は自由です。③終わりに「イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン」と言えれば、キリスト教の祈りなのです。

 この形はイエス様の教えられた「主の祈り」に基づいたものです。そこで「主の祈り」の構造と内容(週報の裏面を参考)について学びます。

「主の祈り」の構造と内容ですが、
呼びかけ:「天にまします我らの父よ」
第1の祈り:「ねがわくは御名をあがめさせたまえ。」
第2の祈り:「み国を来らせたまえ。」
第3の祈り:「みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ。」
 この第1~第3の祈りは、御名、御国、御心と神様に関する垂直関係の祈りです。

第4の祈り:「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。」
第5の祈り:「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。」
第6の祈り:「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。」
 この第4~第6の祈りは、私たち人間に関する水平関係の祈りです。

最後の祈り:「国と力と栄とは限りなくなんじのものなればなり。アーメン」
 この最後の祈りは、頌栄と呼ばれる神様の御業をほめたたえ賛美する祈りです。

2、神様への呼びかけ

 神様への呼びかけの「天にまします我らの父よ」は、マタイによる福音書では「天におられる私たちの父よ」となっており、ルカによる福音書では「父よ」となっています。おそらくルカの方が原型に近いのではないかと言われています。

 「天にまします」は、天におられるお方という意味で、十戒で「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。」と言われているユダヤ人は、神様の名を唱える代わりに〝天におられるお方〟と呼んだのです。

神様への呼びかけは、イエス様が十字架につけられる前にゲッセマネの園で汗が血の滴るように祈られた時「アッバ、父よ」と祈られたように「父よ」と祈れば良いのです。

 「アッバ」と言うのはアラム語で、ユダヤ人の家では幼子が父親を呼ぶときに用いられた言葉です。日本でいうと「お父ちゃん」「パパ」という幼児語です。ユダヤ教の祈祷文には例のない実に親密な呼びかけなのです。

 イエス様が、目に見えず畏れ多くて近づきがたいと思われていた神様を初めて「アッバ、お父ちゃん」と呼ばれたのです。そしてイエス様は、キリストを信じる者に「アッバ、お父ちゃん」と呼んで祈るように教えられたのです。小さい子供が「パパ」「ママ」と何の疑いもなく、全幅の信頼を持って親にしがみついてくるように、私たちは神様を「天におられる私たちのお父さん」と呼びかけることができるのです。

 天におられるお父さんと呼びかけることによって、天の神様と地上の私たちとの垂直(縦)の関係がつながるのです。これが「天にまします我らの父よ」の意味と恵みです。

3.「御名を崇めさせたまえ」

 第1の祈りの「ねがわくは御名をあがめさせたまえ」は、聖書ではマタイによる福音書もルカによる福音書も「御名があがめられますように」となっています。この第1の祈りは、願いではなく、賛美なのです。

 「崇める」(キリシア語でハギアゾー)とは、聖なるものとすること。人間のものから区別して神様のものとして扱うことの意味です。

 例えば、キリストを信じる者が聖なる者とされたということは、この世の人間の支配から神様の支配の中に置かれるということなのです。キリスト者は、もはや自分自身のものではなく、神様に支配された神様のものなのです。

 パウロは言っています。「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿って下さる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは代価を払って買い取られたものです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(コリントの信徒への手紙一6:19、20)

 私たちは、神様が十字架によってキリストの命の代価を払って買い取られた、神様のものとされた者です。だから聖なる者として神様の栄光を現すことができるのです。

 ところで、御名を崇めるということは、どんなことなのでしょうか。神の御名について、モーセが神様から「モーセよ、モーセよ」とホレブ山で呼びかけられた出来事があります。神様から「今、行きなさい。わたしはあなたをエジプトのファラオのもとへ遣わす。わが民イスラエルをエジプトから連れ出すのだ。」とイスラエルの出エジプトの使命を与えられた時のことです(出エジプト記3:1~15)。モーセは、イスラエルの民たちから、その名は何と言うかと聞かれた時、何と答えますかと神様に尋ねました。神様は「わたしはある。わたしはあるという者だ」と答えられました。「わたしはある」と言うことは、〝過去も現在も未来も変わることなくおられる〟と言うことです。以来、神様の御名は「『わたしはある』という方」と呼ばれるようになりました。

 しかし、十戒の第3戒に「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。」と命じられてから、人々はみだりに神様の御名を唱えることができなくなりました。それで「天におられるお方」と呼ばれるようになったのです。

 しかし、目に見ることのできない神様は、クリスマスの出来事を通して、御名を具体的にはっきりと私たちにお示しになりました。
 
 マリアが身ごもったことを知ったヨセフが、ひそかに縁を切ろうとしていた時、主の天使は夢に現れて、告げました(マタイによる福音書1:20~23)。

 「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子の名をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 このすべてのことが起こったのは、主が預言を通して言われていたことが実現するためであった。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

 神様の御名は、御子イエス様を通して「その名はインマヌエルと呼ばれる」と示されたのです。「インマヌエル」とは、神様が過去も現在も未来もいつまでも私たちと共におられると言うことなのです。モーセに示された「わたしはある」という方が、イエス様を信じる者と共にインマヌエルのお方、永遠に共におられるお方として、御名を示されたのです。

 ところが神様がイエス様と共におられるということを信じることは、世の人々にはそんなにたやすいことではありません。

 イエス様は、誰も生まれたことのない馬小屋の中に馬の餌箱をベッドとして生まれ、その生涯は貧しいヨセフとマリアの家で育ち、最後は、十字架につけられて死なれたというように、誰もそのようなイエス様と共に神様がおられることを信じることができなかったのです。あの弟子たちも、イエス様を裏切り、否み、見捨てて逃げて行ってしまったのです。
 
 イエス様は、十字架の上で、「父よ、彼らをお赦しください、自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカによる福音書23:34)と全ての人の罪の赦しを祈りつつ、死んで行かれました。三日目に、墓より復活されて弟子たちに現れ、神の御国のことについて教えられ、40日後に天の父なる神様の御許に引き揚げられました。
 
 弟子たち120人ほどが一つになって、心を合わせて熱心に祈っていたところに聖霊が降りました。一同は聖霊に満たされた時に、〝十字架につけられて死なれたが3日目に復活されたイエス様こそ全ての人々を救う救い主である。この十字架につけられたイエス様こそが神様の御名と愛を現されるお方である。〟と、ほかの国々の言葉で宣べ伝え始めたのです。
 
 ヨハネは言っています。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハネによる福音書1:18)

 パウロは言っています。「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマの信徒への手紙5:8)

 十字架につけられた独り子である神・イエス様において神様の御名が示され、また神様の愛が示されたのです。

 神様は、イエス様の出来事に神様の御名と愛を示されたのです。しかし、当時の人々はそれを受け入れることができなかったのです。いや、当時だけでなく今も、受け入れられない人々が多いのです。ここに集う私たちは、聖霊のお導きによって、十字架に付けられて死なれ、復活されたイエス様にこそ、神の御名と愛が現わされていることを信じることができているのです。

 御名が崇められるようにとは、十字架につけられた神の子イエス様こそが、神様の御名と愛を現されたことを信じて、神様の御名を崇めますと賛美の祈りをするのです。

 ある人は、〝御名を崇めるということは、神様の御名を自分の前に大きくすることである。そうすると自分は小さくなります。神様の御前に自分を小さくすることが神をほめたたえ賛美することなのです。〟と言っています。小さい自分を見つめると、神様の恵みがどんなに大きいものであるか分かり、神様の御手の中に置かれて生きることの喜びと感謝があふれてくるのです。

4.「御国を来たらせたまえ」

 第2の祈り「み国を来たらせたまえ」は、ルカによる福音書もマタイによる福音書も「御国が来ますように」となっています。

 「御国」とは「神の王国」を意味します。これは、人間の王制度から取った表現でありますが、人間的な支配体制を超えた純然たる神様の支配、神様を王とする世界を意味します。「神の国」=「神の支配」と言ってよいのです。

 イエス様は、「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間(ただ中に)にあるのだ。」(ルカによる福音書17:20~21)と言われています。

 御自身が神の子として誕生されたことによって神の国は実現していることを教えられています。即ち、イエス様をキリストと信じる者は、今、神様の御支配の中に置かれているので、神の国を生きる者なのです。同時に、御国が完成される終末的な出来事として到来することも告げています。

 ですから、この祈りは、〝今日も、あなたの御支配の中に生きる者として下さい〟と言う祈りなのです。キリストを信じて神様の御支配の中に生きる私たちを通して地上の神の国・神の支配が広げられて行くのです。

5.「御心を地にもなさせたまえ」

 第3の祈り「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」は、ルカによる福音書にはなく、マタイによる福音書にだけあって、「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」となっています。この第3の祈りは、第2の祈り「御国が来ますように」の説明であるとも言われています。

 神様の御心が天で行われているように、この地上にも行われますようにとの祈りです。これは信仰者個人が神様の支配に生きるだけでなく、地上の人間の生活の全般に及ぶ祈りです。また、神の国の完成を願う終末的な祈りであります。

 私たちは、神様の御心が地上に実現しますようにと、第2の祈り「御国を来たらせたまえ」と祈ります。しかし、この二千年間、イエス・キリストを通して「御名が崇められますように」と祈りつつ、神様の御名が崇められることの困難を覚えるように、「御国が来ますように」と祈る祈りの実現の困難をも覚えます。何故なのでしょうか。

 今回、この学びを準備していて気づかされたことは、実は「御国が来ますように」という祈りは、ユダヤ人たちの切実な祈りであったことです。

 旧約聖書では、神様が天と地とを創造され、世界を支配されていること(詩編19:1~5)、イスラエルの王として民たちを支配されること(イザヤ書44:6)、やがてメシアが来て王国を確立することの待望(イザヤ書9:5~6、11:1~5、ゼカリヤ書9:9~10)が告げられています。

 しかし、ユダヤ人たちの神の国を待ち望む祈りは、繰り返し繰り返し、民族的エゴイズムによって妨げられて実現しませんでした。自己の民族的願望と神の国の実現とが混同されていると指摘されています。

 エゴイズム・自己中心の願望が、神の国の実現を妨げ、イエス・キリストにおける神の御名を崇めることをできなくしてしまっているのです。エゴイズム・自己中心は神中心の反対語で、それが聖書の言う罪なのです。神様を中心にして、神様の御心を尋ね聞かないで、自分の願望や考えに基づくことがエゴイズム、罪の生き方なのです。

 私たちキリスト者も、「御国が来ますように」と祈りつつも、エゴイズム・自己中心によって御国の進展を妨げている可能性があるのです。だから、なかなか神の国が実現しないように思われるのではないでしょうか。〝人間の自己実現〟と「神の国の実現」を混同してはならないのです。

「御国を来たらせたまえ」という祈りにつきまといやすいエゴイズムを洗い落すために、第3の祈り「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈るのです。この第3の祈りを、実際に生き抜かれたのが御子イエス様なのです。

 私たちは、イエス様が十字架に架けられる前にゲッセマネの園で祈られた祈りを思い起こしたいと思います。イエス様は、ひざまずいて次のように祈られました。

「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行なってください。」(ルカによる福音書22:41~42)

 イエス様は自分の願いを捨てて、神様の御心のままに従って、全ての人間の罪を赦すために、御自身の命を十字架の上に献げられたのです。これは神様の私たちに対する犠牲愛(アガペー)なのです。この犠牲愛によって救われた信仰者は、自分の生活の中に神様の御心が行われますようにと祈り求めつつ歩むのです。

 御心とは神様の御計画なのです。神様は私たち一人一人に御計画を持って導いておられるのです。その神様からの御心・御計画が自分の生活を通して現わすことができるような生き方をして行きたいと祈り願いつつ「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈るのですが、この第3の祈りは、イエス様のゲッセマネでの祈り「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行なってください」という祈りと一体化させられることなくしては祈ることはできないし、また実現しないのです。

 私たちは「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈りつつ、神様の御心を何とか実現したいと願いながらも、お互いの思いが一つにならなかったり、病気や災いが起こったりして、なかなか物事が進まない場合が多くあります。

 創世記(45:4~8)のヨセフ物語でヨセフの言葉があります。
「わたしは、あなたたちがエジプトに売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。・・・・わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。」

 このように、神様の御心は人間の憎しみや恐れを超えて実現されるのです。

 また、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマの信徒への手紙8:28)との御言葉があります。この御言葉にしっかりととどまり、「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行なってください」と主イエス様の祈りに併せて祈りつつ歩んで行きましょう。
 
また、主日ごとに「わたしの王よ、神よ、あなたをあがめ世々限りなく御名をたたえます。」(詩編145:1)と神様を礼拝する生活に励んで行きましょう。

〈祈り〉

父なる神様、あなたの御名を賛美いたします。

クリスマスにお生まれになった神の御子・イエス様を通して、私たちは「天のお父さん」とあなたの御名を呼びかけることができることを感謝いたします。

十字架につけられ復活されたイエス様こそ、あなたの御名と御愛を現されたお方、インマヌエルと呼べるお方であることを知ることができ感謝し、御名を崇めます。

「御国を来たらせたまえ」と祈りつつも、その御国の進展を妨げているエゴイズムの罪のあることを、また自己願望の実現と御国の実現を混同しがちなことも知らされました。それゆえに、「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈ることのできる者であることを感謝します。

御言葉を通してあなたの御心に聞き従いますが、「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行なってください」とのイエス様の祈りを自分の祈りに併せて歩む者とならせてください。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。
 アーメン。

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