説教:
『キリストの復活』
2020年4月12日復活日礼拝より
説教者:疋田國磨呂 牧師
聖書箇所:詩編149編1-9節、
マタイによる福音書28章1-20節
本庄市見福にあるプロテスタント教会です
2020年4月12日復活日礼拝より
説教者:疋田國磨呂 牧師
聖書箇所:詩編149編1-9節、
マタイによる福音書28章1-20節
皆さん、イースター、主のご復活 おめでとうございます。
神の御子イエス様は、私たち人間の罪を赦すために、十字架に架けられて「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と祈りつつ、御自身の命を献げられ、そして、墓に葬られました。しかし、イエス様が弟子たちに予告されていたように、墓に葬られて3日目の朝、週の初めの日の明け方、すなわち日曜日の早朝に、復活なさったのです。
昨年暮れに、中国の武漢で発生した新型コロナウイルスが、3カ月の間に、アジア、ヨーロッパ、アメリカ、オセアニア、アフリカと、あっと言う間に世界的に拡大してしまいました。昨日の朝日新聞の夕刊によると、「新型コロナウイルス感染者による死者が、日本時間11日現在、10万人を超えた。」と報じています。今、全世界がコロナウイルスの恐怖の中に置かれています。
日本も、新型コロナウイルス感染対策のために、先週、4月7日、国の緊急事態宣言が7つの都府県に発せられ、埼玉県もその対象の県となりました。
それで、私たち本庄教会も、すべての人々の命と私たちの命を守るために、主日礼を、ライブ中継を通して、同時に、各家庭で献げることになりました。
今回の新型コロナウイルスの世界的感染は、今から600年ほど前、1347年に中央アジアに発生したペスト病の発生・拡大感染に似ていると8日の新聞に報じられていました。その時も、ペストに対する何の防御の手立てもなく、あっと言う間にヨーロッパに広がり、5年間でヨーロッパの人口の3分の1が失われたそうです。
その紙面で、歴史小説作家の佐藤賢一氏は、次のように書いています。
「一説に人類は、どんな歴史の教訓も600年で忘れるという。あるいは知識として持ち得ても、現実味を覚えなくなるのかも知れないが、いずれにせよ、今の世界の無力が妙にうなずけてくる。この2020年は、1347年の大ペストから673年だからである。もう過去からは何も引き出せない。だから、うまく対処できない。仕方ないとしても、その報いは大きい。ことによると、世界を一変させてしまうくらい大きい。」と書いています。
私たちは、今朝、このような歴史的な事件に匹敵する新型コロナウイルス感染拡大の恐怖の最中に、2020年のイースターを迎えて、礼拝を献げているのです。
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私たちは、今朝、新型コロナウイルス感染と死の恐怖の中に置かれているからこそ、死の力に打ち勝って復活されたイエス様の出来事に、しっかりと目を向け、復活の主イエス様の御言葉に耳を傾けたいと願います。
受難週の金曜日の午後3時ごろ、イエス様は「父よ、彼らをお赦しください」と祈りながら死なれました。そして、イエス様の弟子であったヨセフと言う人が、イエス様のご遺体を引き取ることをピラトに願い出て、岩を掘った新しい墓の中に納め、入り口に大きな石を転がして閉じました。それを見届けていたのが、「マグダラのマリアともう一人のマリア」でした。弟子たちについては、マタイ福音書は「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。」(26:56)と記しています。ヨハネ福音書は「週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」(20:19)と記しています。
一方、祭司長たちは、イエス様が「御自分は三日目に復活する」と言っていたから、弟子たちが来て、イエス様の死体を盗み出すかも知れないと言って、ピラトに番兵をつけるように願い出ました。そこで、イエス様の墓の石に封印がされ、番兵がつけられました。
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1節、「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。」と記されています。
マリアたちが墓に行くと、大きな地震が起きました。すると墓の入口の石が転がっており、その石の上に天からの天使が座っていました。その稲妻のような輝きで、番兵たちは恐ろしさのあまり震えあがって死人のようになってしまいました。
天使は婦人たちに言いました。
「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」
婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、弟子たちにこのことを伝えるために急いで墓を去りました。すると、イエス様が行く手に立たれ、「おはよう」と言われたので、婦人たちはイエス様の足を抱き、御前にひれ伏しました。
するとイエス様御自身が言われました。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」
このようにしてイエス様は復活されて、マリアたちに会い、弟子たちにガリラヤに行くように伝言されたのです。
このところから、4つのことを聞き、考えたいと思います。
普通、人々は、人間の歩みは死んで墓に入ったら終わりと思っています。富める者も貧しい者も、愛情も憎しみも、真面目な生活もでたらめの生活も、全く同じように死んだら終わりです。
しかし、イエス・キリストを信じる者は、死んで墓に入ったら終わりではなく、イエス様の復活によって、天国で神様の御支配の中に生きる永遠の命にあずかることができるのです。墓は、キリストを信じる者には天国の入口にすぎないのです。
イエス様は言われています。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ福音書11:25~26) これは永遠の命の約束であります。
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番兵たちの報告を聞いて、祭司長と長老たちの指導者たちは、番兵たちに多額の金を与えて、イエス様の復活を否定する工作をしました。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。」と言う噂を流させました。
どんな時代にも、このように都合の悪い事を隠蔽する工作がおこなわれるのですね! 最近、私たちは日本の政治の中でも、隠蔽工作を幾つも見て来ています。
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しかし、隠蔽工作にもかかわらず、あの情けない弟子たちは「ガリラヤに行くように」との伝言を聞いて、ガリラヤの山に行き復活のイエス様とお会いしました。イエス様にお会いしてひれ伏す弟子たちの中には、疑う者もいたのです。
ところが、イエス様はとがめもせずに、この11人の弟子たちに大宣教命令を与えられたのです。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」
あらゆる人々をイエス様の弟子にし、バプテスマを授け、イエス様の語られた御言葉を守るように教えることは、全てのキリスト者の群れ、即ち、教会に与えられた光栄ある使命であります。私たち本庄教会にも、この使命は託されているのです。
この使命に励む私たちに、イエス様は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と約束して下さっているのです。復活の主イエス様がいつも一緒にいて下さるということは、イエス様の御言葉に従って、親しい者や家族のため、隣人のために福音が伝えられるように祈り、励む者に与えられる祝福であります。
新型コロナウイルス感染の恐怖の中に在る私たちに、復活のイエス様は「恐れることはない。」「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と約束されているのです。この復活のイエス様の御臨在を信じて、互いに愛し合い、祈り合い、支え合って2020年も神の家族としての歩みを進めて行きましょう。
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天の父なる神様、
今、私たちは新型コロナウイルスの世界的感染の恐怖の中に、イースター礼拝を献げています。お互いの命を守るために教会に集まることも自粛するような状態ですが、この時こそ、死の力に打ち勝たれたイエス様の御臨在を求めます。どうか世界の人々を憐れみください。どうか、新型コロナウイルスの感染から人々をお守りください。感染された人々を助け癒してください。また愛する者を失った人々をお慰めください。
本庄教会の礼拝につながる一人一人を守り、死にも勝利して復活されたイエス様の御臨在と、十字架の贖いによる私たちの救いの恵みを周りの方々に分かち合うことができるようにお導き下さい。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン。
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