月報『マラナタ』17号巻頭言(1)

説教:
へいつくひとびとさいわいである』

2019年8月4日の説教より

せっきょうしゃひきくに 牧師ぼくし
せいしょしょ:イザヤしょ26しょう1-13せつ
マタイによるふくいんしょ5しょう9せつ

19.8.maranatha 國磨呂牧師

1、平和聖日を覚えて

 今朝は、日本基督教団は平和を覚える聖日として礼拝を献げています。
 
 8月は、私たちの日本においては、第二次世界大戦、又は太平洋戦争とも言いますが、6日に広島に、9日に長崎にと原爆が投下され、15日に敗戦の受諾宣言をして戦争が終わった月であります。
 
 今年で戦後74年が経ちました。74歳以下の戦後生まれた方々は、この太平洋戦争のことは直接何も体験していなく、何も知らない方々であります。私は、昭和18年生まれで76歳です。終戦の時は3歳で、石川県の羽咋という田舎で育ちましたから、戦争のことはほとんど覚えていません。ただ辛うじて、富山県境の山の向こうの空が真っ赤だったこと、飛行機が飛んでいたことが、かすかな記憶として残っているのです。それは富山市が空襲を受けた時の様子であったと教えられました。

 私のようにまだ3歳であっても、東京や広島・長崎などのように、直接、空襲や原爆投下を受けた地域に住んでいた方々は、忘れられない恐ろしい戦争体験として記憶に残っているかと思います。 

 74年間に渡る平和な日本に生活する者にとって、第二次世界大戦の出来事は遠い過去のこととなりつつあります。日本は戦争をしないという戦争放棄をうたう現平和憲法に守られてきたのですが、その憲法を変えようとする政治の動きがあります。

2、関東教区「日本基督教団罪責告白」

 このような状況の中に在って7年前、この第二次世界大戦を太平洋戦争としてアジア諸国を侵略して行った日本に対して、私たち日本のキリスト教徒はその戦争推進に加担して行った経緯を確認し、それを悔い改めた告白が、関東教区「日本基督教団罪責告白」であります。

 私が関東教区総会議長の任を負った2007年5月~2011年5月の2期4年間、戦争責任告白検討委員会を設けて、副議長経験者の村田元先生を中心に、教区議長経験者の石橋秀雄先生、三浦修先生、秋山徹先生をはじめとする10人余りの先生方で、歴史的資料に学びつつ、キリスト者としての罪責告白作成の検討をしました。教区議長交代の2011年5月の第62回総会に議案として挙げ、2012年5月第63回総会で秋山徹教区議長のもとで、関東教区「日本基督教団罪責告白」を可決致しました。

 この先生方は、私とほぼ同じ年代の方々で、今、このことと取り組まなければとの決意と祈りの中で検討し作成した「日本基督教団罪責告白」であります。今日の礼拝後の役員会で承認を得た後、次週の11日の主日礼拝の中で、関東教区「日本基督教団罪責告白・リタニー」を皆さんで告白できたらと願っております。

3、「平和」とは何か

「教会婦人」8月号に、関東教区の書記を務めておられる東新潟教会の小池正造先生の説教「平和のあるところ」が掲載されています。その最初の所に、小学校3年生のお嬢さんに、「平和」とは何だと思うかと聞いたら次の3つを答えたと記されています。
・戦争がないこと。
・食べることができること。たくさん美味しい物が食べられると幸せ・平和と感じるから。
・環境が守られること。人間だけが幸せだったら良いのではなく、動物たちも幸せに生きるためには、人間は環境を壊してはいけないのだ。

 小池先生は、小学校三年生にしては意外にしっかりした答えが返ってきたと驚かれています。

 私たちは、平和を、政治的、国家権力的争いという視点でとらえがちですが、小池先生のお嬢さんは、食べられること、環境が守られること等と日常生活の身近な視点でとらえておられることにハッとしました。

 戦争が起こって平和でなくなると、食べる物も食べられないし、人間も動物たちも不幸になってしまいます。このことを、日本の私たちは、テレビや新聞が報道するアフリカや中近東の出来事と思って見ていますが、74年前、私たち日本でもそんな状態だったのです。

4、神様が授けてくださる「平和」

 ユダヤ人たちにとって「平和」は人間の最高の幸福を作り出す全てのものと理解されていました。「平和」は、ヘブル語で「シャローム」と言います。イスラエル旅行をすると挨拶の言葉として「シャローム」と言います。それは、「平和がありますように」と言う祝福の言葉で、キリスト教徒の間でも、「シャローム」という言葉は、挨拶の言葉になっています。私がよく行っている韓国でも、また数回行ったアメリカでも「シャローム」と言うと、笑顔で「シャローム」と挨拶が返ってき、抱擁して再開や出会いを喜び合いました。

 イザヤ書26:12に「主よ、平和をわたしたちにお授けください。わたしたちのすべての業を成し遂げてくださるのはあなたです。」と言われているように、ユダヤ人たちは、平和は神様がお授けになるものだと考え「主よ、わたしたちに平和をお授けください」と祈り求めています。

 聖書は、神様に造られた人間が神様を信じて、神様の御心に従って共に歩むことが平和の根源であると教えています。その神様に従わないで歩むことを聖書は「罪」と教えています。神様に逆らって生きる罪の歩みには、平和はありません。

 ある人は言っています。“罪とは、神様と戦争していることである”と。造り主である神様と戦争しても勝ち目はありません。しかし、私たちは神様に従うよりも、自分の思いのままに自分中心に生きようとするのです。自分の考えを一番にして生きようとすると、人の言うことも受け入れず、争いがおこります。自分の国を一番にして生きようとすると、国と国の争い、戦争が起こります。

 ですから、戦争の原因は何かと問うと、自分の立場、自分の考えを一番にすることから起こります。今、アメリカのトランプ大統領は、〝アメリカを第一に〟と主張しています。それで、今まで平和であった他国との関係が揺らぎ始めています。このことが国家間の大きな争いとならないようにと、願い祈ります。
神様は、神様が造られた人間は皆、共に仲良く、助け合って生きる平和を願っておられるのです。だが〝自分を一番に〟と主張する人たちは、神様を一番にしないから、神様からの平和をいただけないのです。

5、平和を実現する人々は幸いである

 マタイによる福音書5:9にイエス様は「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」と言われています。この御言葉は、山上の説教と呼ばれる一節であります。

 口語訳聖書では「平和をつくり出す人たちは、幸いである。彼らは神の子と呼ばれるであろう。」と訳されています。「平和を実現する人々」が「平和をつくり出す人々」となっています。昨年の秋出された、新共同訳の新しい訳は、「平和を造る人々」と口語訳と同じように訳されています。

 では「平和を造り出す人々」とは、どういうことなのでしょうか。

 平和は、私たち人間の力では造り出すことのできないものであって、神様が授けてくださるものであることをイザヤ書の御言葉から学びました。神様に逆らって生きる罪の人間には、平和は授けられないことも学びました。

 しかし、人間を造られた神様は、すべての人間が平和に生きることを願っておられるのです。人間が平和に生きるためには、人間の罪を解決しなければなりません。人間がどれだけ罪深く生きて、神様の平和をいただけなくなっているかを知らせるために、神様はクリスマスに神の御子・イエス様を誕生させられたのです。イエス様を通して神様はすべての人間が、神様を信じ、神様の御心に従って、神様を中心に平和に生きることを願っておられることを知ることができるのです。

 それだけでなく、神様はすべての人間の罪を赦すために、御子イエス様を十字架に犠牲の死として献げられたのです。十字架のイエス様の死こそが、自分の罪を赦す犠牲の死なのだと信じ、イエス様をキリストと信じる者は、神様の子供とされ、神様と共に生きる平和が与えられるのです。

 イエス・キリストこそが、罪ある人間に真の平和を造り出して下さるお方なのであります。

 コロサイの信徒への手紙1:19~22に次のように言われています。
「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、天にあるものであれ、地にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自分の前に聖なる者、きずのない者、とがめることのない者としてくださいました。」

平和を造り出し、平和を実現してくださるのは、神の御子、イエス・キリストなのです。

 「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」(エフェソ2:14)と言われています。イエス・キリストを信じる者たちの間において、神様の平和が造り出され、神様の平和が実現するのであります。

 そこで、私は、「平和を造り出す人」または「平和を実現する人々」を「イエス・キリストを信じる人々」と置き換えることができると思います。

 「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」と言う御言葉は“イエス・キリストを信じる人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。”と言うことができるのです。

 イエス・キリストを信じることこそが、平和を造り出すことであり、平和を実現する道なのです。

 イエス・キリストを信じることによって、神様から授けられる本当の平和の喜びを、この8月、まだ知らない人たちに知らせ、分かち合いたいと願います。

 祈り 

父なる神様、
 今日は平和聖日として礼拝を献げ、本当の平和とはどんなものであるかを御言葉に聞くことができ感謝いたします。平和は、造り主である神様がすべての人々に授けてくださるものであり、イエス・キリストを信じることこそが、平和を造り出し、平和を実現する道であることを確認できたことを感謝いたします。キリストを信じることによって与えられたこの真の平和の喜びを周りの人々と分かち合う8月とさせてください。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。

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