説教:
『キリストの昇天』
2020年5月24日礼拝より
(ライブ中継による)
説教者:疋田國磨呂 牧師
聖書箇所:イザヤ書66章1-2節、
ヨハネによる福音書1章6-11節
本庄市見福にあるプロテスタント教会です
2020年5月24日礼拝より
(ライブ中継による)
説教者:疋田國磨呂 牧師
聖書箇所:イザヤ書66章1-2節、
ヨハネによる福音書1章6-11節
「皆さん、おはようございます。」 挨拶ができて、共に礼拝を献げることのできることは、神様のお恵みです。感謝します。
4月7日に緊急事態宣言が出されて、新型コロナウイルスの感染対策として1ヶ月の行動自粛が要請され、更に緊急事態宣言が5月末まで延長されました。
私たちキリスト教会も、神様から与えられた命を互いに守るために、教会堂に集まって礼拝することを自粛する中で、各教会は、主日の礼拝をどのように守り、献げるかが問われ、主日の礼拝のためにいろいろな工夫が取られています。
今まで、教会堂に集まって礼拝を献げ、互いに交わることが当たり前と思われていたことができなくなってしまったのです。感染を広げないために「スティホーム」と言われて、人々ができるだけ家に留まることが求められ、密集、密接、密封という三密をしないようにと要請されています。
そのために、私たち本庄教会も、教会堂に集まらないことにしました。幸いにしてインターネットを通して牧師たちが礼拝堂で献げる礼拝をライブ中継ができて、各家庭で一緒に礼拝を守ることができています。パソコンやスマートフォンを通して映像を共にしながら礼拝を献げるのですが、パソコンやスマートフォンのない方々もおられます。それで、電話で音声だけの中継で礼拝を守っておられる方が3名おられます。しかし、パソコンも電話もできない方が2人おられます。その方々には週明けに、録画したCDや説教原稿を届けたりしています。各家庭で心を合わせて礼拝が献げられるようにと牧師と信徒有志で水曜日から木曜日にかけて週報をお届けしています。
新型コロナウイルスは、私たちが、今まで当たり前だと思い、それが基本だと思っていた教会堂に集まっての礼拝や交わりができなくしてしまっています。しかし、そうした中で、キリスト教会はどのように礼拝を献げ、神の家族としての信仰と交わりを共にしていくかが問われています。
5月15日の新聞で、イタリアの作家、パオロ・ジョルダーノの言葉が紹介されていました。「パンデミック(感染症の世界的流行)が僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。数々の真実が浮かび上がりつつあるが、そのいずれも流行の終りと共に消えてなくなることだろう。もしも、僕らが今すぐそれを記憶に留めぬ限りは。」
この新型コロナウイルス感染の流行を通して、私たちキリストの体としての教会もレントゲンにかけられているのです。どんなことが写し出され、見えて来たでしょうか。教会の在り方がいろいろと問われて来たと思われます。示されたことをしっかりと記憶に留めて、キリストの体が成るために、各自が示された課題を分ち合い負い合って行きたいと願います。
*
(1)イエス・キリストに結ばれて生きる神の家族
コロナウイルス感染の対策として、人と人との間に距離を置くように言われています。人と人との間に距離を置くことによって、人と人との心が離れるのではないかとの恐れがあります。
そうした恐れの中にも、私たちには聖書日課を通して神様の御言葉を聞く幸いを与えられています。今、「ローマの信徒への手紙」を通して御言葉に聞いています。昨日は、6章1~14節の御言葉でした。3節「キリスト・イエスに結ばれるためにバプテスマを受けたわたしたちが皆」、8節「わたしたちは、キリスト共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。」、11節「キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。」と言われています。
ここに「キリスト・イエスに結ばれて」と「キリストと共に」が繰り返し言われています。私たちキリスト者は、人と人との間に距離を置いたとしても、イエス・キリストに結ばれて、キリスト共に生きる者たちなのです。ですから、たとい数カ月、お互いにお会いできないとしても、イエス・キリストに結ばれて、互いにキリストと共に生きる神の家族なのです。その恵みを感謝したいと思います。
(2)復活のイエス様が40日間弟子たちに神の国について教える
このところ聖書日課は、旧約は「出エジプト記」、新約は「ローマの信徒への手紙」であったのに、5月21日は、突然、旧約は「列王記下」2:1~15、新約は「ヘブライ人への手紙」9:11~15になりました。それは、その日が「キリストの昇天日」だったのです。キリストが天に昇られてから10日後に、ペンテコステの聖霊降臨日になるのです。ですから、5月21日の10日後、5月31日の日曜日は、ペンテコステの聖霊降臨日の礼拝であります。
今日、共に聞く「使徒言行録」は、復活後のイエス様が弟子たちに大事な2つのことを示された様子が描かれています。
3節「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」と記されています。イエス様は十字架の苦しみを受けて死なれた後、復活されて、40日間、弟子たちに現れて、神の国について教えられたということです。
①大事なことの第1は、復活されたイエス様は、40日間、弟子たちに神の国について教えられたことです。
4~5節「そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。『エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。』」とあります。
復活されたイエス様は、弟子たちと食事を共にしておられたのです。そして、言われたことは、エルサレムを離れないで、父の約束されたものを待ちなさいと命じられたのです。父の約束されたものとは、聖霊によるバプテスマを授けられることです。
➁大事なことの第2は、主の弟子たちは、父である神様が約束された聖霊を授けられることを待つことです。
このイエス様の教えを受けた弟子たちは、6節に、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねています。この問いは、弟子たちが、依然として、旧約聖書におけるイスラエル民族の独立による神の国の地上的実現を考えていたことを示しています。即ち、メシアが来ると、当時の支配者であったローマ帝国をイスラエルが打ち破って勝利し、神の国が実現すると言うようにユダヤ人たちは考えていたのです。
弟子たちもそのように考え、イエス・キリストの十字架の贖いと復活によって、全世界の人々に開かれた神の国の福音であることを十分に理解していなかったのです。
7節に、イエス様は言われました。
「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。」
そして更に8節で言われています。
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
ここでイエス様が言われていることは、父なる神様が神の国についてお定めになった時や時期は、私たち人間には知る余地がないということです。
そして、イエス様が40日にわたって教えられた神の国の福音は、弟子たちが父の約束された聖霊を受けると、エルサレムから始まって、全世界の地の果てまでイエス様の証人となって宣べ伝えることができるようになるということです。
(3)イエス・キリストの昇天
イエス様が、このことを弟子たちに話し終わると、
9節「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。」のです。これがイエス様の昇天の様子なのです。弟子たちが天に上げられるイエス様を見ていると、白い服を着た二人の人(天使)が来て言いました。
11節「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」
これは、イエス様が再び来られる再臨のことを言っています。
*
(1)神の国の福音は、聖霊を受けてこそ世界に証しされ伝えられることです。
なぜ、イエス様は弟子たちに「父の約束を待ちなさい」と言われたのでしょうか。
もう25年も前になりますが、大宮教会と韓国のソウルにある忘憂(マンウ)教会と3年間相互訪問の交流をしました。その時、韓国の信徒たちの熱い祈りや積極的な伝道活動の様子に驚き、そこの主任牧師の李聖實(イ ソンシル)牧師に聞きました。「どうして韓国の教会の信徒たちは、こんなに熱心に喜んで伝道活動ができるのですか」と。すると李牧師はこう答えられました。「日本の信徒の皆様は、実に聖書をよく学び、聖書の知識を沢山持っています。ですが、それを生活の中に生かし現わし得ないのです。そのためには、聖霊を受けて心が熱くならなければなりません。聖霊様が御言葉を生活の中に生かしてくださるのです。」そこで私は、「どうしたら聖霊を受けることができるのでしょうか」と聞きました。そしたら、李牧師は、答えられました。「聖霊は、イエス・キリストを信じて洗礼を受けた信徒たち皆に既に注がれているのです。その聖霊様のご臨在を信じ、聖霊様がいつも働いて下さっていることを信じることです。」
私は、ハッとしました。私自身が、どれだけ聖霊のご臨在を身近に感じて生活してきただろうかと深く反省させられました。また、李牧師は、聖霊のことを「聖霊様」「聖霊様」と親しく呼んでおられることにも心にいたく感じました。
聖書の神様は、父・子・聖霊としての三位一体の神様です。教団の多くの信徒たちは「神様」「イエス様」とお呼びしているのに聖霊だけは「聖霊」と呼んでいることに気づきました。
私は、帰国してから、大宮教会の皆さんに、聖霊は、三位一体の神様ですから、「聖霊なる神様」、または「聖霊様」と呼んで、イエス様に対するように聖霊を身近に感じるようにしましょうと呼びかけて来ました。それが具体的になったのが、聖霊様の導きの下に、毎日、聖書日課を通して神様や主イエス様の御言葉を聞くと言う、ディボーションなのです。
聖霊なる神様は、イエス様が天に上られた後、御自分に変わっての弁護者・助け主として父なる神様が送られた方なのです。私たちは、その聖霊様の助けなくしては、神の国の福音を証し、伝えることはできないのです。信仰生活において聖霊様の御臨在と御助けを第一に思わなければなりません。このために、ペンテコステの聖霊降臨の出来事が必要だったのです。
(2)復活のイエス様の昇天の意味
イエス様が死人の中から復活されたという出来事は、イエス様はもはや地上の肉の体ではなく、天的に栄化された霊の体を持っておられ、永遠の命の世界に属しておられることを意味しています。
昇天とは、ただ空間的にイエス様が天の上空に上げられて行くということではなく、正にキリストの勝利そのものの現われであり、神様の救いのご計画の完成を表わすものなのです。イザヤ書66章1~2節の御言葉の預言が実現し完成したのです。
そのことをイエス様が分かりやすく言われているところがあります。
「ヨハネによる福音書」14章1~4節です。
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」
イエス様は、私たちが父なる神様のところにイエス様と共に永遠に生きるために、場所を用意するために天に昇られたのです。
「ヨハネによる福音書」は、もう一つ、復活のイエス様が昇天される意味を語っています。
ヨハネによる福音書14章16~17節
「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。」
ヨハネによる福音書16章7節
「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。」
このように、イエス様が天に昇られたのは、私たちのために聖霊様を弁護者・助け主として送った下さるためだったのです。
以上のように、イエス様の昇天の意味は、私たちのために永遠の命に生きる場所を準備するためでした。また、イエス様が召天されたから、別の弁護者としての聖霊様が送られてきて永遠に一緒にいて下さるようになったのです。
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父なる神様、共に礼拝を献げることのできることを心より感謝いたします。新型コロナウイルスのパンデミックは、私たちの在り方をレントゲンするものだとの言葉に考えさせられる中にも、実は、あなたは、私たちのすべてをいつもお見通しであることの自覚が薄かったことを思い深くお詫びします。
今日はイエス様の昇天の意味を、御言葉を通して教えられ、確認させられました。聖霊なる神様の助けを受けることなくしては、私たちは神の国の福音を証し伝えることができないことを改めて認識しました。既に、聖霊様が私たちの内に宿り、いつも一緒にいて下さることを豊かに味わうことのできる1週間とさせてください。イエス様が昇天して、神様の家に私たちの場所を用意して下さっていることを喜び、地上の生活をあなたの御国の福音のために献げることができるように聖霊様の助けをお与え下さい。
父なる神様、新型コロナウイルスから私たちを守って下さい。また、病んでいる方々を癒してください。この病気のために愛する者を亡くした多くの人々をお慰めください。今なお、治療の最前線に働いておられる医療関係者を守り支えて下さい。神様、地上の私たちを憐れみ、新型コロナウイルスの感染を1日も早く終息させてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
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