「一杯のカップチーノから」
2018年10月21日(日)
本庄教会設立130周年記念礼拝説教より
入 治彦 牧師
聖書:詩編96編1~13節
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本庄市見福にあるプロテスタント教会です
2018年10月21日(日)
本庄教会設立130周年記念礼拝説教より
入 治彦 牧師
聖書:詩編96編1~13節
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◯ おはようございます。本庄教会の疋田國磨呂先生をはじめ皆様、教会設立130周年おめでとうございます。10年前の120周年の時もお招きいただき、今回もお呼びいただき、光栄に思っています。その間に父親の葬儀もしていただき、ありがとうございました。
疋田先生からお手紙をいただき、私どもの教会で神学生、伝道師をしていた指方周平さんという現在東所沢教会の牧師をしている方と疋田先生が埼玉地区で親しくしている関係でもあるそうです。疋田先生を彼の教会で特別伝道礼拝にお呼びしたとも伺っております。
また、私の教会にも疋田先生から福井神明教会でお世話になったという人が児童館で働いていたこともありました。キリスト教世界は狭いなあとも思います。
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◯ 現在は京都におりますが元々本庄に生まれ本庄に18才まで住んでいた者です。本庄教会との関わりは、両親が私を近所の幼稚園に入れようと思い、募集の日母親と私がその園に並んでいたところ、私の前でちょうど定員となってしまい、やむなく家から少しばかり遠い本庄教会付属の友愛幼稚園に入園することになったことに始まります。4才でしたが、父親があの親戚の家のそばにある十字架のついた建物の幼稚園だと言っていたことは何となく覚えています。そこで「主の祈り」が早く覚えられたと言って持ち上げられたり、小学校に入ったら教会の中で行なっていた絵画教室にも通うようになり、自然と日曜学校、教会学校に通うようになりました。その後、群馬県のキリスト教主義学校の新島学園に中学から通い、京都の同志社大学神学部に進みました。父親が亡くなる少し前に聞いたことですが、私は父親の勧めか自分から安中の学校に行ったと思っていたのですが、あの学校を勧めたのは、どうも本庄教会の肥後吉秀牧師だったということでした。神学部を勧めたのもその息子さんで新島の英語教師の肥後正久先生でした。
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◯ こんなことを言いながら、私は恥ずかしながら、伝道師を3つの教会(弓町本郷、近江八幡、向日町)で経験いたしました。その間に自分はこの仕事は無理だ、伝道師ではなく、むしろイタリアに行って道化師の修行をしようとヨナのようにこの仕事から逃げていた時期もありました。その間、本庄の実家に戻り、深谷の赤城乳業でガリガリ君を作って箱詰めするアルバイトをしたり、当時の小出牧師の紹介で家庭教師のバイトもしていたりしたことがあります。また、そのような時代も、本庄教会の会員の方々から、日曜日温かく受け入れていただいたことを改めて感謝しております。柴田 彰先生、飯野敏明先生にもお世話になりました。自己紹介はこの位にしておきます。
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◯ さて、世界に数多くの宗教がありますが「キリスト教のもっている特徴は何か、他の宗教と比べた時の違う点は何か」と尋ねられたら、皆さんは何とお答えになるでしょうか。見える形の偶像を拝まない、ただ一人の神を信じる宗教と答えるでしょうか。それとも、創始者のイエスという人が、単に知恵ある言葉を語っただけではなく、十字架にはりつけにされ、三日後によみがえったことを信じる、復活を信じる宗教と答えるでしょうか。そういう教義であるとか、教理に関わる問題をあげていくべきなのは、言うまでもありませんが、もっと簡単にごく一般的なイメージとしての特徴をあげるとしたら、何でしょうか。
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◯ 仏教の中には座禅を組む宗派もあります。イスラム教は、日に5回決められた時間に皆で祈るとも聞きます。そうやって考えていくと、キリスト教は、歌う宗教ということが言えるのではないかと思います。自分自身を振り返ってみても、キリスト教の宗教音楽や讃美歌というものに触れていなかったら、クリスチャンになっていなかったのではないかと思うこともあります。
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◯ 私は25年程前兵庫県三木志染教会におりました時、教会から派遣されて一人でネパールに行ったことがありました。2週間程の滞在でしたが、ネパールで18年間医療活動をされた岩村 昇先生が教会員でしたので、養子にされたお子さんたちの家に厄介になりいろいろな所を見学することができました。教会はカトマンズのギャネシュワルチャーチという500人位の礼拝に出席しました。そこで歌われる讃美歌は、ゴスペル調のものやネパールに古くから伝わる民謡に詩編の詩をつけたものが多かったのを記憶しています。特に教会学校の礼拝では、振り付けが多くついていまして、ヒマラヤの山に登ろうという歌詞の時には、頭の上に手で三角をつくって歌うという興味深いものでした。
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◯ また、22年前イタリアのペルージャに2ヶ月、ボローニャに5ヶ月程滞在した時には、メソジスト教会に出席しましたが、日本のプロテスタントの教会の讃美歌とほとんど変わらない、歌いやすいものが多かったのを覚えています。パバロッティはボローニャの音楽院で学んだということを誇りにしている会員もいました。そこの礼拝に出席している時、隣に座っていたおばさんが「讃美歌をきれいに歌っていますね。」とほめてくれました。礼拝後の愛餐会の時、私は調子にのって、知っているカンツォーネ1960年代日本でもはやった「ほほにかかる涙」(ボビー・ソロ)とか「夢見る想い」(ジリオラ・チンクエッティ)といった布施明さんや伊藤ゆかりさんなども歌っていた曲をイタリア語で歌い出すと、60代70代のおじさんたちが一緒に歌い出し、10曲くらい歌ったでしょうか。みんな喜んで帰って行きました。ところが、礼拝の時に私をほめてくれたおばさんが私のところにやって来て言いました。「ブルッタ フィーネ!最低の終わり方だった」と言って帰って行かれました。ああ、教会で神に賛美ではなく愛だの恋だのばかり歌ったためだったのかと解釈しました。
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◯ いずれにいたしましても、キリスト教というのは、本当に神に賛美の歌声をあげるということを、大切にしてきたことが伺えます。2000年にわたるキリスト教の歴史をひもといていっても、どのキリスト教であれ、教会が幾多の迫害を受け、逆境に苦しんだ時にも、たといそれがカタコンベのような地下の墓場で礼拝を守っていたような時にも、人々は讃美歌を歌い続けてきたからです。クリスチャンが2、3人集まる所では、聖書が読まれ、祈りがささげられ、讃美歌が歌い継がれてきたのであります。
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◯ さて、先程読んでいただいた詩編の96編の冒頭には「新しい歌を主に向かって歌え」と記されていました。「新しい歌」と一口に申しますが、一体どんな歌なのでしょうか。「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言いますが、歌というのは、その時代、時代を映し出す鏡のように、次から次へと新しいメロディー、新しいリズムが新しい時代の空気を予感させるように、どんどん世に出てまいります。私の20代の頃には、四畳半フォークブームの後、ニューミュージックというのが文字どおり新しい音楽でした。松任谷由実さんであるとか、中島みゆきさんといった人たちの音楽を聴く機会が多かったように思います。今では、Jポップやラップなり、ダンス系の音楽なり、いろいろな形のものが生まれていることと思います。サカナクションなどなかなかシュールでいいなと思うこともあります。そういった新しい曲の中には、後生にスタンダードとして古典として残るものもあれば、懐メロとしてしか取り扱われなくなってしまうものもあるでしょう。やはり、はやりすたりというものがあります。
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◯ ある作曲家に言わせると、最新の歌といわれるものでも、よくその旋法を分析すると、日本の結構古い4、7抜き音階、ドレミファソラシドの、ファとシといった半音の抜けた形であることが多いと語っていました。そういう意味で言えば、ここでいう新しい歌というのは、何か上っ面で新しいというのではなく、根本的に新しいものと考えることができるかも知れません。コヘレトの言葉というのが、旧約聖書に載っていますが、そこにはこう書かれていました。「今あることは既にあったこと。これからあることも既にあったこと」というように。
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◯ ある旧約聖書学者が20年前にこんなことを語っていました。「現代文明の基本的性格の一つは<新しさ>の追求に見られる。新−発見、新−発明にはじまった近代的性格を継承している。それは裏返していえば、現代資本主義社会が<使い捨て社会>だということである。そして今、我らの社会は、ゴミ、公害、そして、高齢化問題に悩み、最大の政治問題と化している。しかし、これらの問題は、ナウな新しさだけを追求してきた現代というものの根本的な問題と深く関係する。政治問題の底にある生き方と考え方の根底に問題がある。問題は、正に宗教的、神学的課題である。それは焦点が今だけにおかれ、過去も未来も見えなくなる点にあり、時間と歴史全体をとらえる方法を失っている点にある」と指摘していました。であるならば、そういう<今>だけに非常に力点をおく現代社会というものに、この詩人の言う<新しい歌>とはどんな意味をもっているというのでしょうか。
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◯ 今日のこの詩編はふつう4つに分けて考えることができます。1〜3節。4〜6節。7〜9節。10〜13節と区分できます。1〜3、7〜9は、神への讃美を促す部分です。何を賛美すべきかは他の2つの部分に記されています。4〜6の前半は、「神が造り主にいます」こと。10〜13節は「神が裁き主にいます」ということです。ですから、この詩人が賛美しているのは、神が創造主であり、裁き主であるということです。このことは、詩人が、歴史の初めと終わりを深く捉えていることを示しています。また、これぞ私たち現代人が失いかけたもの、しかし、詩人がもっているものに他なりません。詩人は、このことを賛美して「新しい歌を歌え」と言っているのです。それは<今だけ>という時を超えています。
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◯ 詩人がここで言うところの「新しい歌」とは、93編、98編、99編などと共に終末論的詩編と呼ばれ、その最も古い形が、イザヤ書42章に登場しています。そこでは「新しい歌を主に向かって歌え」に続いて「地の果てから主の栄誉をたたえ」と記されています。それは他の箇所でも見られることです。であるならば、<新しい歌>と<地の果てから>とは、必ずセットになっているのがわかります。言い換えるならば、新しい歌とは、ふつう私たちが考える、前のものと比較して新しいとか、何々より新しいということではなしに、地の果てから賛美する歌というが本当の新しい歌なのだということです。<新しい歌>とは<終わりの希望の歌>なのだと言ってもいいでしょう。
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◯ 中世のキリスト教会では、世の終わり、終末についての教えを<デ・ノヴィッシマ>と言いました。ノヴァは、どこかの英会話学校の名前かと思われるでしょうが、新しいという意味ですね。音楽用語では、最も強くと言う時、フォルティッシモ、最も弱くという時、ピアニッシモと言いますが、デ・ノヴィッシマという場合は、<最も新しいこと>という意味です。一番新しい、一番今の瞬間を、<最後>に見る見方を示しています。昔の修道院では、日常的な挨拶の言葉は、おはよう、こんばんはの代わりに、<汝の死をおぼえよ>という意味の『メメント(おぼえよ)・モリ(死を)』を使いました。縁起でもないと思われる方もいらっしゃるでしょうが、これはいつも自分の死からdeathから物事を考える、物事の限界から自分を見つめ直す、そのことが生きるということを新しく意味づけていく、物事の限界の中に、新しさを見い出していく生き方。それが終末論的に生きるということであり、新しい歌に他なりません。
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◯ シチリアのパレルモにあるカプチン派のカタコンベを訪れたことがありました。あのカップチーノというお抹茶のように泡立ったミルクコーヒーの名前は、フードのついたカプチン派の僧衣が薄茶色をしているところからとって、カップチーノになったと言われています。そのパレルモのカタコンベには、8000体のミイラが保存されていました。中には不思議発見などにもクイズとしてとりあげられた「ロザリア」という2才のかわいい女の子のまるで生きているようなミイラもありました。どうしてこのような薄気味悪い墓をつくったのか、係の人に聞いてみました。それは、人間最後は皆死すべき者だということを視覚に訴えて伝えるためだということでした。まさにメメント・モリだと思わされました。
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◯ 心臓の脈拍が弱いために、大きな手術をして、心臓の働きを助けるペースメーカーを入れる手術をしたあるお医者さんが、ある時こんなことを話していたそうです。「私はね、一度死んでよみがえらされたようなものですよ。手術後、自分の体の中にペースメーカーが入っていることは、私に神様の大きな御心を考えさせてくれます。主イエスが共にいますことを思います。本当はこの機械があろうとなかろうと、神様のおゆるしがなければ、私たちは一時も生きていることはできないのですから。5年ずつ電池を変えるごとに、神様がまた5年生きることをゆるしてくださったのだなと感謝したくなります」と。
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◯ 私と同年輩の李ジョンスン宣教師という在日韓国人の女性の牧師がいました。ロックバンドも組んでいた人で、もうお亡くなりになりましたが、その方がお話しくださった韓国の「三年峠」という民話を思い出します。「ある山深いところに三年峠と呼ばれる峠があった。そこには石や岩がゴツゴツとあって、よく人がつまずいたそうです。そこで一度つまずくとあと3年しか生きられないという言い伝えがあって、そこはとても恐ろしい場所と言われてきました。しかし、うちのじいさんが隣村まで大切な用事があって、そこを通って行かなくてはならない。ある日そこをじいさんが通っていったところ、案の定、石につまずいてしまった。家中の者たちがじいさんの寿命があと3年だと言って嘆き悲しんだのです。その時、一番小さい孫が笑って言いました。『大丈夫だよ。おじいちゃん、1回転んで3年だったら、2回転べば6年は生きる。3回転べば9年は生きるじゃないか』それを聞いた家族は嬉しくなって、みんなで三年峠に出かけて行って、ゴロゴロゴロゴロ峠を転んで降りていって、みんなで長生きした」という話です。マイナスがプラスに変わっていく話です。
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◯ 人生ってそういうものじゃないでしょうか。長さは違っても、人間には死があり、この世には終わりがある、だから、走っていけるのではないでしょうか。トライアスロンならぬ、何万キロ、何十万キロずっと走り続けなければならないなら、それだけで気が遠くなってしまいます。主イエスが共にいますならば、一緒にゴロゴロ喜んで峠を転んで降りていこうじゃありませんか。それこそが<終わりの希望の歌>であり、<新しい歌>ではないでしょうか。
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◯ 私どもの教会員で、長らく肝臓癌で入退院を繰り返していた人がいました。元気な時には必ず礼拝に出席しておられました。しかし、最後の最後まで死が退散してしまう位に前向きに生きられ、シャンソンのコンサートを教会で3回、病院でも2回されました。越路吹雪さんや加藤登紀子さん、美空ひばりさんの歌などを歌っていました。私のような素人にも一緒に出なさいと言ってくださり、カンツォーネを歌ったことがありました。本当に最後の最後まで歌に生きられました。お見舞いに行ったこちらが逆に励まされて帰ってきたこともよくありました。あの歌こそ最も新しい歌だったのではないかと思わされます。
神様、本日は、設立130周年を迎えた本庄教会の方々と共に礼拝を守ることができまして、ありがとうございました。
私たちあなたによって生かされて生きていることをおぼえ、日々感謝をもって歩む者とならせてください。
本庄の地にあって宣教活動を行なっている疋田國磨呂先生、義也先生、勝子先生をはじめ教会員、関係者の方々の上にあなたからの祝福が豊かにありますように。
主の御名によっておささげいたします。
アーメン
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