月報『マラナタ』13号巻頭言

イースター礼拝説教:
『あの方は復活なさった』




2019年4月21日説教
ひきくに磨呂まろ 牧師ぼくし
聖書せいしょへん30ぺん1-6せつ
マルコによる福音書ふくいんしょ16しょう1-8せつ


1、2019年復活の朝

 「おはよう」、これが、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、イエス様が葬られた墓を訪ねたマグダラのマリアたちに、復活されたイエス様が最初に語り掛けられた挨拶でした(マタイ28:9)。ギリシア語でカィレエテ〝喜びなさい〟と言う意味で、日常の挨拶言葉となっていたのです。日本語では「おはよう」と訳されています。

 今朝は、午前6時から本庄早稲田駅の傍のマリーゴールドの丘公園で、イースター早天祈祷会を持ちました。そこでも、「おはようございます」と言って早天祈祷会を始めました。本庄市を見渡すことのできるマリーゴールドの丘の上で、主の弟子たちのように復活されたイエス様の御言葉を聞いて、本庄市に遣わされた本庄教会の御業と兄弟姉妹のため、4月から遣わされた伊勢崎教会の西谷祐司先生、桐生教会の長谷川直紀先生の働きのため祈りを合わせました。

2、イエス様の死と葬り

 今朝は、マルコによる福音書を通して、イエス様の復活の出来事を覚えたいと思います。

 「安息日」とは、今日の土曜日に当たります。西暦の暦では、1週間は日曜日から始まり、7日目の土曜日に終わります。土曜日が安息日です。ユダヤの律法によると、月曜から金曜日までの6日間働いたら、7日目の土曜日は、一切の仕事を休んで安息日として守りなさいと定められています(創世記2:2~3、出エジプト20:8~11)。
 
 イエス様が十字架につけられたのが金曜日の午前9時で、亡くなられたのが午後3時過ぎでありました。日が沈むと、安息日に入りますから、金曜日の日が沈む前に、急いでイエス様のご遺体を墓に葬らなければなりませんでした。アリマタヤ出身のヨセフが、勇気を出してピラトの所に行って、イエス様のご遺体を渡してくれるように願い出ました。ピラトは、イエス様がこんなに早く死なれることを不思議に思って、百人隊長にイエス様が死んでしまったのかを確かめさせたうえで、ご遺体をヨセフに引き渡しました。

 ヨセフは亜麻布を買い、イエス様を十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入口に石を転がしたと記されています。イエス様が息を引き取られてから日が沈むまでの2時間ほどの間にしなければならないので、大変、急いで行わねばなりませんでした。普通なら、遺体に香油を塗ったりするのですが、できなく、マグダラのマリアたちは、イエス様のご遺体を納めた場所を見つめているだけでした。

3.イエス様が復活された朝

 1節に「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。」とあります。土曜日の夕方日が沈むと、安息日が終わりますから、今でいうと、土曜日の夜に、香料を買いに行ったのです。

 2節「そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った」と記されています。「週の初めの日」とは、今日の日曜日のことです。日曜日の朝ごく早くに墓に行ったのです。マリアたちは、墓の入口の石を誰が転がしてくれるかと心配して墓に行きました。ところが、目を上げて墓を見ると、非常に大きかった石が既にわきに転がしてあったのです。

 マリアたちが、墓に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたのです。この若者は天使と言われています。若者がマリアたちに言ったのです。
「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」
 
 マリアたちは墓を出て逃げ去ったのです。震え上がり、正気を失ったと記されています。恐ろしくなって、だれにも何も言わなかったとも記されています。
 
 イエス様のご遺体が納められた墓が、空っぽになって、そこにあるはずのイエス様のご遺体がなかったのです。そして墓の中にいた若者は、十字架につけられたナザレのイエス様は復活なさって、ここにおられないと告げたのです。しかし、マリアたちには受け止めることができなかったのです。マルコによる福音書は、復活の朝の出来事をここで区切り終わっています。

 十字架につけられて死んだイエス様が、3日目に復活されたということは、人間の常識や感覚では受け止めることのできないことであったということなのです。

4. 復活のイエス様との出会い

 9節に「週の初めの日、朝早く、イエス様が復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現わされた。」とあります。

 9節~20節はカッコにくくられていますが、後で、付け加えられた部分だと言われています。マタイ、ルカ、ヨハネの福音書に共通する出来事をまとめて、結びとしている記事です。

 9節で言われている事は、マタイによる福音書の復活の朝の出来事に出て来ます。マグダラのマリアたちが、天使から、十字架につけられたイエス様を捜しているのだろうが、ここにはおられない。かねて言われた通り復活なさったのだと言われました。そして急いで行って弟子たちに「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」と告げなさいと言われました。

 そこでマリアたちは、恐れながらも大いに喜んで、弟子たちに知らせるために走って行ったのです。すると、復活されたイエス様が行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、マリアたちは近寄り、イエス様の足を抱き、その前にひれ伏したのです。その時、イエス様はマリアたちに言われました。
 「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」と。

 人間的に受け止めることができない主の復活は、復活されたイエス様御自身が、声をかけて、現れて下さったことによって信じて、受け入れられるようになるのです。

 12節のことは、ルカによる福音書24章13〜35節のエマオ途上の二人の弟子たちにイエス様が御自身を示された出来事として詳しく記されています。

 今日、復活のイエス様とお会いできるガリラヤとはどこなのでしょうか。それは復活の主を覚えて礼拝をする日曜日の主日礼拝です。今も、そこで復活のイエス様は人々を待っておられ、出会って下さるのです。

 今日では、イエス様が別の助け主(弁護者)として送って下さった聖霊なる神様の助けによって、イエス様の御声を聞き、イエス様との出会いを信じられるようになるのです。イエス様の十字架と復活の出来事は、信仰無くしては受け入れることのできないことであります。

5.地上でのイエス様の3つの約束

 今年の受難週は、イエス様が十字架への道を歩まれた1週間を聖書によって、過ごすことができるように、表を作って皆様にお渡ししました。しかし、教団の聖書日課では、月曜日から木曜日までヨハネによる福音書の14章から15章を読むようになっていました。

 受難週なのに、何でこのところを読むのだろうかと思いながら読みました。そして、ハッとさせられたのです。この2章に渡って語られていることは、イエス様がまだ地上に弟子たちと共におられた時、約束されている事柄なのです。

 14章は、小見出しの「イエスは父に至る道」では、イエス様は、2~3節でこう約束されています。
 「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」イエス様を信じる者たちに、詩編30:4の賛美に応え、天の御国の場所を用意して下さる約束なのです。

 14章の「聖霊を与える約束」の所では、16~17節でこう約束されています。
 「わたしは父にお願いしょう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。この世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」
 この聖霊が遣わされることによって、人々はイエス様をキリストと信じることができ、目に見えない神様を「アッバ、父」と呼んでお祈りをすることができ、また、聖書の言葉を神様・イエス様の御言葉として聞くことができるようになるという約束です。

 15章の「イエスはまことのぶどうの木」の所では7~8節にこう約束されています。
 「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」
 イエス様につながって、イエス様の御言葉にとどまるならば、願うものは何でもかなえられ、豊かな実を結ぶ弟子となって、父なる神様に栄光を帰することになるという約束です。

 このイエス様の3つの約束は、イエス様が復活されたからこそ、実現する約束なのです。人間の常識や感覚では受け止められないイエス様の復活の出来事は、信じる者には素晴らしい約束の実現への神様の御計画であったのです。

 イエス様が十字架につけられて死に、墓に葬られましたが、3日目に復活されて、天の神様の御許に行かれたからこそ、
(1)信じる者たちは、天の御国の予約席をいただくことができるのです。
(2)聖霊なる神様の助けをいただいてイエス様を救い主であると信じることができ、目に見えない神様を「天の父なる神様」と呼んで祈ることができるのです。
(3)イエス様の御言葉にとどまって豊かに実を結ぶ弟子となって、神様に栄光を帰することができるのです。

 この3つの約束の信仰的実現は、十字架につけられて死んだイエス様が復活されて、天の父なる神様の御許に行かれたから実現したのです。今、イエス・キリストを信じる者に与えられている信仰的現実なのです。今朝、このことを確認し、その約束の恵みを心から感謝し、喜んで信仰生活に励んで行きましょう。

〈祈り〉

 天の父なる神様、
 今朝、私たちの救い主イエス様の復活を覚える礼拝を献げることができ感謝いたします。死んだ者が復活するとは、人間の常識や感覚では受け止めることのできない出来事です。
 しかし、神様は、罪ある人間を陰府から引き上げ、天の御国へと救ってくださるために、イエス様の十字架と復活の出来事を御計画して下さったことを信じ、その恵みに生きることのできることを感謝いたします。
 聖霊のお助けをいただいて、この恵みの中に一人でも多くの方々が入ることができるようにお導き下さい。主イエス・キリストの御名によって祈ります。

 アーメン。

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