「聖霊なる神を身近に」
2018年5月20日(日)聖霊降臨日説教より
疋田國磨呂 牧師
聖書:ヨシュア記1:9、使徒言行録 2:1~13
1、聖霊降臨日(ペンテコステ)
今日は、聖霊降臨日を記念する礼拝です。この日をペンテコステとも言いますが、ペンテコステとは、ギリシア語で50を意味します。1節の「五旬祭」と言うのは50日目の祭りということです。
旧約聖書では、「過越の祭り」が終わって50日目に、祝われたのが「刈り入れの祭り」で小麦の刈り入れが祝われたのです。この日はキリスト教では主イエスが復活されてから50日目に当たり、その日に聖霊が降ったのです。
本庄近辺に住んでいると、今、麦畑が黄色く実り、刈り入れをしている畑もあります。キリストの復活から50日目頃は、春小麦が実り、刈り入れとなる頃なのです。
私たちは、4月1日に主のご復活のイースターを迎えました。それから50日目のペンテコステ、聖霊降臨日は、旧約聖書で言う過越しの祭りの後50日目の小麦の刈り入れの祭りと重なることが、本庄の麦畑の実りの光景を見てよくわかります。
2、聖霊が降った所
主イエスは、復活されて40日間、弟子たちに神の国について話され、そして、命じられました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」と。こう話し終わると、主イエスは弟子たちの見ているうちに天に上げられて、雲に覆われて見えなくなってしまったのです(使徒1:8~9)。
その10日後が、50日目の聖霊降臨となったのです。その日、「一同が一つになって集まっていると」(2:1)と記されています。
1章の14、15節を見ると、「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」のです。120人ほどの人々が一つになって、心を合わせて熱心に祈っていたのです。一同が一つとなって集まって、祈っている所に、聖霊が降ったのです。一同が聖霊に満たされた時、聖霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉でイエス・キリストによる救いの喜びを伝えるようになったのです。これが教会の誕生した初めだったのです。
ここで起こっていることは、聖霊降臨から二千年余り、いつの時代、どこの教会にも起きていることなのです。
復活の主イエスが「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」と言われているように、私たちの信仰の力は自分の中から出てくるものではなく、聖霊に満たされて受ける力なのです。
教会に力があるかないかは、どれだけの兄弟姉妹が集まって祈っているかで分かります。聖霊は一人一人の上に降りますが、一人ではなかなか力を現わせないのです。また、神は一人で何かをするワンマン・プレイを望まれないのです。イエス・キリストを信じる群れ、兄弟姉妹が集まり、心を合わせて祈っている所に聖霊は一番働かれるのです。
なぜなら、私たち一人一人はとても弱い者で、思いがあってもなかなか行動ができないのです。神は、そんな弱い者たちの集まりの中に聖霊として働いて、力を下さり、神が各自に与えられた賜物を用いて、御業に仕えることができるようにして下さるのです。賜物とは、自分が神のために喜んでできること・能力なのです。
だから、教会の「祈りの会」が大事なのです。主イエスは「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:20)と約束されています。それが「主日の礼拝」であり、週半ばの「祈りの会」「家庭集会」であります。本庄教会の皆が、主イエスの御名によって集まる所に、復活の主イエスがいてくださるだけでなく、聖霊の力が与えられ、各自の賜物が用いられるのです。
3、三位一体の神を身近に
私たちは、神は、父、子、聖霊の三位一体の神として、同等の人格的存在であることを教えられています。ところが、「神様」、「イエス様」と素直に言えるのに、「聖霊様」とはなかなか言わないし、言い慣れていないのです。
23年前に、大宮教会が韓国のソウルにある忘憂教会と教会交流を3年間しました。青年・婦人・壮年たち15人ほどがお互いに訪ね合い礼拝と交わりを共にしました。韓国の兄弟姉妹たちの大変熱いもてなしを受けました。主任牧師の李聖實(イソンシル)牧師は、その時教えてくださいました。「日本の信徒の皆様は、とてもよく聖書を勉強して知識がいっぱいあります。しかし、その教えが生活の中に現されていません。心が熱くされなければ、御言葉の知識は生活化されないのです。心を熱くして御言葉に生きるようになるためには、聖霊様の助けが必要なのです。日本の皆様は聖霊様の助けを頂くともっと喜びと感謝にあふれる生活ができると思いますよ。」と。
韓国では、聖霊は、「神様」「イエス様」と呼ぶように「聖霊様」と呼んでいます。聖霊なる神をとても身近に感じて生活しているのです。私たち日本のキリスト者も、聖霊なる神をもっと身近に感じて生活するならば、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」と(Ⅰテサロニケ5:16~18)いうことを自然と現わしていくことができるのです。
4、三位一体の神が主に働く時代
皆さんに、図式をしたものが渡っていると思いますが、これによって、三位一体の神の構造と、なぜ、聖霊なる神が私たちに最も身近な神であるかをお話しします。
キリスト教というか、聖書の世界観は、直線で表されます。天地創造の初めから世界が始まり、キリストの再臨によって御国が完成する終末の時までの一直線なのです。それが、ギリシア語で、アルファであり、オメガでありと言うのです。
神は天地を創造された後、最初、律法によって人々を治めようとした旧約聖書における神の律法の時代です。しかし、神は、律法に従うことのできない人間を何とか救おうとして神の御子、イエスの誕生と十字架の贖い、墓からの復活の出来事を起こされました。それが地上の33年間、新約聖書のイエス・キリストの時代です。
復活の主イエスが天に昇られて神の右の座に着かれてから、御自身の代わりとして別の助け主・弁護者としての聖霊が送られたのです。それがペンテコステから現代に至るまでの聖霊の時代であります。
ですから、この図のように、神は私たち人間に対して一番最初に働くのは、聖霊なる神として働かれるのです。この聖霊なる神の導きと助けによって、二千年前のキリストの十字架と復活の出来事は自分を罪から救うためであることが分かり、イエスをキリストと信じて生きるキリスト者になるのです。主イエスを通して目に見えない神を造り主と信じ、「アッバ、父よ」と呼んで祈ることができるようになるのです。
祈りにより神と対話し、御言葉に従うものとして「神のかたちを」回復するのです。
5、最も身近な聖霊なる神に親しくなろう
聖霊なる神は、私たち人間に一番最初に働かれ、最も身近な存在なのであります。
人は誰も、この聖霊なる神のお導きなくしては教会へ来ることも、聖書を理解することもできないのです。まだ洗礼を受けていない方を始め、主日礼拝に集っている私たちは皆、聖霊なる神の助けとお導きをいただいているのであります。
ですから、いちばん私たちに身近な神として聖霊なる神に親しくなるように努めましょう。お家で、ディボーションをする時、「聖霊なる神様」、または「聖霊様」と呼びかけて祈ってみてください。神の真理を悟らせてくださいます(ヨハネ16:13)。
祈り
天の父なる神様、ペンテコステの日、主イエス様を信じて集まって、心を一つにして祈っている兄弟姉妹の上に聖霊が降って初代教会が誕生しました。130年前、本庄に住んでいる兄弟姉妹たちの集まりの上に聖霊様が働いて本庄教会が誕生しました。今年は、本庄教会の創立130周年を祝う年です。聖霊様をより身近に感じて、その恵みに豊かにあずかり、本庄の人々に伝え分かち合う喜びと力をお与え下さい。主イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン。